第四話 魔術師の少女③

「――――――」


緩く拳を握り、クリフが構える。身体に余分な力は一切ない。ゆっくりとした動きだが、その目には刃の様な冷え冷えと冴え渡る輝きがある。


 例えるなら、猛虎。否、それは狼であった。


「我らはミケルセン家の使者だ、そちらにおわすマージェリー様に火急の用がある。速やかにここを通して頂きたい!」


「……と言ってるが、どうする」


「ざけんじゃあないわよこのドサンピン! あのクソ野郎の元に戻って家畜ブタになるくらいなら今ここで舌を噛んで死ぬわ!」


「滅多なことを言わないで下さいッッ!」


 雷の様に鋭い声が飛び、マージェリーが一瞬びくんと身体を竦ませる。


「ミケルセン家が百年に渡り、絶えず受け継ぎ磨いてきたその身の魔術回路! ユークリッド様との縁談は、その回路をより魔法の域へと近付ける千載一遇の好機なのですよ! 貴女様の身体は、この世に生を受けた時よりご自身だけのものではないのです!」


「どうかお戻りください! もしも今ここでお戻りにならないと申されるのでしたら――」


「申されるのでしたら、何だ?」


 ずい、と一歩前に出て、クリフが使者二人を睨みつける。使者達の額に、冷や汗が伝った。


 ちらりと殺気が垣間見えた瞬間に、クリフの身体は半ば自動的に動いていた。


 ほんの少しでも気を緩めればたちまちに相手を喰い殺す狼の目が、二人をこの場に縫い付けている。


 ――中々よく通る声だな。そう言えばこいつも……。


 一瞬だけ、マージェリーの方へとクリフが視線を移す。


 遠くまでよく響きよく通る、何年も訓練された喉である。歌か芝居か、恐らくは歌であろうとクリフは推量する。


 魔術、ユークリッド、そしてよく通る声。これだけ条件が揃えばこの三人が何者であるかを特定することは容易い。


「どいて貰おうか、貴公に用は無い」


「お前らは聖歌隊コーラル……『緑の歌うたい』だろう。ユークリッドの息が掛かった者なら、悪いがここを通すつもりはない。そして――」


 再び、クリフが視線を逸らす。その瞬間に二人は動き出していた。


 クリフの誘いに二人が乗る形で、勝負の幕は上がる。


「「――『打て』!」」


 はっきりと、素早く、その言葉は二人の口から放たれた。


 身体から発せられる鮮やかな緑の光、そして一拍遅れてやってくる、疾風の様な二つの拳。


 ――刻印魔術か!


 クリフの目が、大きく見開かれる。


 刻印魔術。あらかじめ任意の場所に刻んだ刻印に魔力を込め、鍵語けんごと呼ばれる自ら定めたキーワードを唱えることによって発動する術式である。


 あらかじめ準備が必要である、発動できるのは単純な効果で大したものは見込めないといった欠点はある。


 しかしこの術式の最大の長所はという所である。


 鍵語を唱えるほんの一瞬、それだけあれば十分である。


 勝負は、ほんの一瞬で決した。


 飛来した二つの拳はすんでのところで空を切っていた。狙いを外した訳でも、防がれたわけでもない。ただほんの少し力をあらぬ方向へ加えられ、軌道を逸らされ空を切ったのである。


 腕が伸びきり、前のめりの体勢で使者達の動きが止まる。その刹那に、クリフは大きく動き出した。


 まずは左。鳩尾みぞおちに向かって真っすぐ拳を打ち込む。次いで右の方の喉に素早く突きを入れた。


「お前らが五体満足で帰ることも、もう無い」


 勝負は、ほんの一瞬で決した。クリフの足元で、呼吸の取れなくなった使者達がじたばたと這いずり回りながら悶絶する。


「魔術師だから接近戦は来ないだろう、と思われたのか? とんだ間抜けに見積もられたものだ」


 苦虫を嚙み潰したような顔でクリフが吐き捨てる。呼吸を封じる様に攻撃することが、最も手っ取り早い魔術師対策であることを、彼は長年の経験によって知っていた。


 通常、魔術師は刻印魔術を使わない。


 この世の全てを解明する鍵である『魔法』へと至ることをモットーとする魔術師にとって、刻印魔術は児戯じぎにも等しい幼稚な術式である。


 自然・刻印・降霊のうち、最も低級な術式である刻印を使う事は、魔術師にとって己の矜持プライドを著しく傷つける屈辱。


 それ故、多くの魔術師は刻印魔術を意図的に避ける。


 だが時折、それを逆手にとって裏をかこうとする者もいる。先の大戦で飽くほどそうした賢しい手を見てきたクリフにとって、この程度の小細工は取るに取らないものだった。


「おい、マージェリーと言ったか」


 畳んだ二人を脇へと蹴遣りながら、クリフがマージェリーの方を向く。


「詳しく話を聞かせろ。ユークリッドを討つまでは、一緒にいても良い」


 マージェリーの顔が僅かに綻んだのは、クリフとノエルの目から見ても明らかだった。

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