第三話 魔術師の少女②

 少女の手を取り、クリフは元来た道を進む。


 林檎が届くのを今か今かと待ち構えていたノエルが、クリフの通り過ぎる姿を見て目を剥いてついてきた。


「おい、おいぬし! 何じゃこの小娘は! 林檎は持ってきたのかえ!?」


「見て察しろ! 暫くはお預けだ!」


「何じゃと? 妾の命令よりも斯様かような、海の者とも山の者とも知れぬジャジャ馬娘が大事と抜かすか! ええい、もはや許せぬ! 火炙りにして地獄へ送ってやろうぞ!」


「何よこのチンチクリンは。取って煮込んで食べちゃうわよ」


「かかかっっ! 妾を取って食うとは見上げた大言壮語たいげんそうごじゃ! おいクリフ、こやつ気に入ったぞ!」


 愉しげに嗤いながらも、ノエルの脚はクリフ達のそれと変わらぬ速度を保っている。


 熟達した魔術で筋力を強化すれば、子供の身体と言えど大人とそう変わらない速度を出すことは難くない。


 右に曲がり、また左に曲がり、路地の奥へ奥へと進んでいく。


 この町には全体を幾重にも分断する形で水路が走っており、それを縫う形で幾つもの橋を架けて複雑な道路を形成している。


 正確な地図と土地勘が無ければ、地元の人間でもどの道がどう繋がっているかを完全に把握することは難しい。


 ――何度かここに来たことが幸いしたな。


 クリフがこの町に来たのは、何も今日が初めてではない。


 暗殺、警護、諜報……そして国を挙げての征伐。先の大戦おおいくさで彼の駆け回った範囲は、優に人界の七割以上を占める。


 この町にも既に訪れ、おおよその土地勘は持っている。追手の一人二人を撒けぬクリフではなかった。


「ねえ、追ってきていない? 足音がもう聞こえてきてるんだけど」


 不安そうな少女の声に応える様に、クリフがその手を強く握る。


 ――足音がかなりばらついて来ているな、素人め。


 道に迷っている証拠である。後ろの方にはついてきているが、曲がり角へぶつかる度に足音の止まる時間が長くなっている。


「マージェリー様! いずこにおわしますかマージェリー様!」


「ユークリッド様がお待ちになっております! どうかお姿を!」


「…………」


 びた、とクリフの脚が止まる。思わずつんのめって倒れそうになりながら、少女が再び彼の甲冑に突っ込んだ。


「痛っっ……いきなり何すんのよ愚図ぐず! こんなところで止まったらすぐに捕まっちゃうじゃないの!」


「事情が変わった。悪いがここで待ち構えるぞ」


「はぁ? 待ち構えるって何よ! アタシは『逃げる』って言ってるのであって、断じて『戦う』なんて――」


「マージェリー、と言うのはお前の事で合っているんだな?」


 少女の言葉を遮る様にして、クリフが問いかける。


 静かで、それでいて重い、他の言葉を挟む隙の無い問いだった。


 呆気に取られた様な間の抜けた顔で、暫し少女がクリフを見つめる。


「……そう、だけど」


「おいクリフ。こやつユークリッドの女か何かかえ? はよう後ろの二人共々締め上げた方が良いのではないか?」


「それはこれからの言葉次第だな。気を付けろよ、一挙手一投足いっきょしゅいっとうそくがお前の命を左右すると心得ろ」


「あっ、パクリじゃ! こやつ妾の言葉をパクったのじゃ!」


「……あーもう! うるさい! いいから聞きなさいよ!」


 ぴしゃりと言い放ち、少女が二人の方へと向き直る。


 さっと取り出した銀時計には、魔術師協会の紋章が刻まれていた。


「一度しか名乗らないからよく聞きなさいな! アタシはミケルセン家次代当主、魔術師協会第七位、マージェリー・ミケルセンよ! どこの馬の骨かは知らないけれど、拝謁はいえつたまわれたのだからこうべを垂れてつま先にキスをしても良くってよ!」


「……何じゃ偉そうに。妾やっぱりこやつ嫌いかもしれぬわ」


「まあ落ち着けノエル。ミケルセン家と言えば魔術師の名門で、第一位のユークリッドとは昵懇じっこんの仲だ。……つまり」


 かちゃり、と音を立てて、クリフが長剣の柄へと手を掛ける。


 ――こいつもまた、俺の敵だ。


 クリフにとって、他人は味方と敵以外に何もない。


 自分に益する人物か、或いは自分に仇なす人物か。その両極端でしか他人を推し量ることができない様に、クリフという男の天秤はできている。つまり、斬るか斬らないか、だ。


「ちょっとちょっと! もしかしてアタシがあのクソ野郎と仲良しこよしだと思ってんじゃあないでしょうね!? 一番酷い冗談よ、!」


「……何?」


 うっかり抜き放ちそうになった剣を、クリフが止める。ノエルはノエルで、悠然とした様子で二人をじっと見ていた。


 依然として、足音はこちらへ近づいている。


「ねえ、アタシと協力しないかしら? アンタ、アタシと同じ目的なんでしょう? きっと力になれると思うの!」


「……何故そうだと言い切れる」


「めんどくさいわねぇ、カンよカン。女のカンはこういう時当たるの」


 ちっちっ、とマージェリーが得意げに指を振って舌を鳴らす。


「それで、どうなのよ? アタシと来てくれる?」


「断る、と言いたいところだがな――」


 さっとクリフが身をひるがえし、マージェリーの前へと立ち塞がる。殆ど時を同じくして、二人の男が路地の角から姿を現した。


「まずはお前の巻き込んだことに決着をつけるとしようか」


 ぐ、とクリフが拳を握り込む。緩やかに脱力し、重心は低く保たれている。


「俺はクリフ。これより勇者を殺す者だ」


 大きく息を吐き出して、静かに低く、彼は確かにそう言った。

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