緑の魔法使い編

魔術師と歌うたい(vs.エヴァ・テッサリーニ)

第二話 魔術師の少女①

「クリフ……おいクリフ!」


 あどけない声と、身体を微かに揺らす小さな感触。


 クリフが視線を足元へと向けると、一人の童女……ノエルがこちらを見上げていた。まるで人形の様な端正な顔が僅かに歪んで、薄く微笑む。


「何を呆けておるのじゃ、寝不足かえ?」


「……いや、すまない。少し、夢を見ていた気分だ……」


「ぬしらしくもないのぅ。あっ、分かったのじゃ! ぬし、妾に懸想けそうしておるじゃろう? 何じゃ、ぬしも唐変木とうへんぼくに見えてなかなかいところがあるではないか。ほれ、もっと見つめて蕩けて良いのじゃぞ、ほれほれ」


「…………」


 意地の悪い目で彼の方を見ながらスカートの裾をひらひらと動かすノエルを無視して、クリフは辺りをもう一度見渡してみる。


 二人がやって来たのは、黄の聖帝国領内、聖都からほど近い鉱山の麓にある町。


 鉄鋼の加工と太陽教会最大規模の聖歌隊『緑の歌うたい』の大きな支部があること以外には取り立てて特徴の無い町である。


 しかしそれなりに経済は潤っている様で、大通りでは市が開かれ大勢の人々で賑わっていた。


「……しかし、潤っておる割には何もない場所じゃの。本当にユークリッドはここにおるのかえ?」


「前の町では、十日前には確かに奴がここへ向かったと教会の人間に吐かせた。確かな情報だ」


「ほ、左様か。にしてもぬし、常々やり方がちと乱暴ではないか? あまり関心せんの」


「何だ、今更聖人君主でも気取るつもりか?」


「かかかっ! ぬしも中々冗談の上手い奴じゃのう!」


 けらけらと嗤いながら、ノエルがきょろきょろと辺りを見渡す。


「あまりきょろきょろするな、目立つ」


「そうは言うがの、妾は人界へ来るのは大体四百年しひゃくねんぶりなのじゃ。少しくらいは見物しても罰は当たるまい?」


「…………」


 ――いきなりこれでは、先が思いやられるな……。


 他の町へと潜り込むことも、そこで情報を集めることも……彼は誰よりも


 大きな町へと忍び込む為には、他の人に違和感を憶えさせないことが何より重要となると彼は長年の経験から学んでいた。


「ノエル、首を振って周りを見るな。目だけ使って見ろ。そして歩くリズムを俺に合わせるんだ」


「何じゃぬし、妾に指図するのかえ」


「町で不審者だと目を付けられても仕方がないだろう。いいから今は俺に従え」


「…………」


 不承不承ふしょうぶしょう、といった具合にノエルがクリフの後ろについて行く。


 場所には場所の、暗黙の了解がある。


 例えばこうした往来の只中では……当然遅く歩いてはならない。かと言って駆け足で進むのも目立つ。


 遅すぎず、しかし走らない様に、絶えず早歩きで少し下を見ながら歩く。


 衆人の目に怪しく映れば、それだけで市井での行動は取りづらくなってしまう。


「おいクリフ、あそこの露店にあるのは、ひょっとして林檎かえ?」


「ひょっとしなくとも林檎だな。いいからもうきょろきょろするな」


「四百年前と比べると随分赤く大きくなっておるのぅ。おいクリフ、妾に林檎をひとつ持ってこい」


「後でな。今は時間が一時いっときでも惜しい」


「ええい、妾は今口にしたいのじゃ! はようこちらへ持てぃ!」


「分かった、分かったから脛を蹴るな」


 膨れっ面で自分の脛をげしげしと蹴ってくるノエルのつむじを、クリフがぐりぐりと親指の腹で押す。


 ノエルが「ぐぅ」と声を漏らし、脛を蹴る足を止めたのを認めてから、クリフは斜向かいに見える露店へと踏み出した。


 ――全く、大物なのか単に図々しいのか……。


 ノエルとクリフが共に旅路へと向かったのはほんのひと月前の事であるが、未だに彼はこの童女のことが分からない。


 ノエル・【ノワール】・アストライアと名乗る、年端もゆかない童女。


 彼女について知っていることは、彼女の目的が勇者を殺すというただ一点のみに尽きる、というのが現状だった。


 後は年相応の童女の様でもあり、或いは老獪な君主の様でもあり、掴みどころがない。


「存外、魔王というのも嘘ではないのかもしれないな」


 人の波を目立たない程度に掻き分けながらクリフが進み、裏路地と十字に交わるところにまで足を進めた時、


「ちょっとっ! そこをどきなさ――きゃああっ!?」


 裏路地の方から誰かが走ってきて、派手な音を立ててクリフへとぶつかった。


 クリフの方は何ともなかったが、ぶつかった方は彼の甲冑に額をぶつけたらしく、額を押さえて涙目になっている。


 歳は十代半ばを少し過ぎたほどか。釣り気味な目尻をさらに吊り上がらせて、喰い殺さんばかりの表情で一人の少女がクリフを睨んでいた。


 輝く白金の髪を短く切り、眼窩の中には宝石の様な緑の瞳がある。


 耳の先が少し尖っており、それは彼女が妖精エルフの遠い子孫であることを物語っていた。


「……大事ないか、前は見た方がいいぞ」


「~~~~っ! アンタがぼっとしているからでしょうが! アタシが誰か知っての狼藉なら断じて許さないわよ! いいからそこをどきなさい!」


「この場合、悪いのはどう見てもそっちだと思うが……」


 その時、何かざわつく様な気配にクリフが感付いた。


 ――二人。いや三人か。軍人ではなさそうだな。


 クリフが少女から裏路地へと視線を移して、僅かに眉をひそめた。


 裏路地から、ばたばたと足音が聞こえてくる。


 気配の中に殺気はないが、足音はかなりいた調子である。歩き方はどうにも素人臭いので、訓練を受けた人間ではなさそうだった。


「 ……ええい、もういいわ! アタシもう行くわね!」


 焦った表情で駆け出そうとした少女の腕を、クリフがはしと掴む。


 そう強い力で握っている訳でもないが、少女の身体は縫い付けられた様にぴたりと動かなくなってしまった。


「ちょっと、何すんのよ!? 離しなさいったら!」


「いいから聞け、逃げるなら北にではなく南に逃げた方が良い。あちらの方が道は入り組んでいるが袋小路がない。すぐに撒ける筈だ」


「え、でも……」


「付いてこい、こっちだ」


 少女の手を素早く引いて、クリフは早足に進み始めた。

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