第五話 魔術師の少女④

「――時間の遡行、そして加速。つまり時を操る魔法を完成させることがミケルセン家の悲願なの。それは知ってるでしょ?」


「……話に聞いた程度には」


 捕らえた使者たちに縄を掛けながら、クリフがマージェリーの話を聞く。


 ミケルセン家は魔術師の他にも銀行業を営んでおり、教会に対しても多大な寄付や投資を行っている為、その影響力はこの聖帝国全体に及ぶ。


「時間の支配とは、世界の理を支配するという事。理論の研究以上に、術者としての肉体うつわが必要になるの。魔法を開発した後、それを処理して行使できるだけの強度と性能を持った魔術回路がね」


 魔術回路。血管の傍を通って全身を巡っている、魔術の行使には欠かせない器官である。魔力を造成し、巡らせ、そして発散させる。


 訓練によって多少の変化が見られる以外は、魔術回路は通常、遺伝によってのみその性質が決まる。その為魔術師の家系では、結婚する相手に対しては魔術回路の優劣が何よりも最優先される。


 魔術界の権門けんもんであるミケルセン家が、最高の魔術師であるユークリッドを婿養子として迎える話だという事は、さほど魔術師の事情に明るくないクリフであっても容易に想像がついた。


「――まあ、そういう訳で。アタシはユークリッドと結婚させられるって話だったんだけど。そこまでは良いのよそこまでは」


「では何がいやなのじゃ。ユークリッドとめあわせられて、それを良しとするならばこの話はではないか。欠伸あくびが出そうな御伽噺じゃ」


「話は最後まで聞きなさいよ。良かったのよ、ダメなのは

 ……ユークリッドの事は昔から知ってたけど、結婚するとなるとアタシは知らないところはどうしても知っておきたかった。

 魔術師のアイツは知ってたけど、アイツは人間的な部分、特に私生活プライベートについてはビタイチ何も洩らさなかった。だから――」


「……調べたんじゃな、ぬしの性質たちならば恐らく」


「そうよ、それで――」


 マージェリーの身体が露骨に震え始めるのを見て、ノエルが興覚めな顔をしてひらひらと手を振る。


「構わん構わん、そこは妾には。おい、この辺でもうよいぞクリフ。奴らを締め上げよ」


「……と、俺の連れは言っている」


 じろりとクリフが使者たちを睨みつけると、ごくりと生唾を呑み込む音が彼の方にも聞こえた。


 目が終始泳ぎ、耳たぶが微かに赤くなっているところから見ても、二人は明らかに恐怖し緊張している。


 ――拷問の訓練も受けていない……当然か。


 クリフが腰に差した短刀を抜き、陽光に煌めかせる。


 よく手入れされた刃の輝きの中には、人を斬ったものだけが帯びる怪しい光が確かにある。


「拷問のやり方には色々あるが……この世で一番酷い拷問が何か、考えた事はあるか?」


 刃先で左の方を指す。左の使者は何も答えない。


 右の使者を指す。右の方は震えた声で「皮を剝がされる事」と答えた。


「皮、か。そうだな、確かに皮を剥がすのは。特にお前ら聖帝国の太陽教信者ひつじ共の皮を剥がすのは最高だ。の当たるところでやるのが一番面白い」


 まだ恐怖に耐えようとしていた二人の顔が怯えに変わったのは明らかだった。傍で見ていたマージェリーでさえ、口元を手で覆っている。


 遥か高みに座す太陽と、それを作り給うた創造主、そしてその教えを下界へと伝えた聖女。


 これらを最も美しく尊いものとして信仰する太陽教は、黄の聖帝国と青の王国の国教である。クリフやノエルはともかく、残りのこの場にいる三人が太陽教徒である事は間違いない。


 そしてこの太陽教徒にとって最も忌み嫌われるのが……血と肉である。


 聖典に曰く、太陽は穢れたものをとしない。


 聖女は男と交わらず、子を産まず、月のものも来ず、また血を流す事も肉を晒すことも無かったと聖典である『太陽の書』には記されている。


 この事から血肉は「太陽に見せるべきではないもの」として忌み嫌われ、もしも昼間に血を流し、肉やはらわたを陽光の元に晒して死んだ者は決して天には行けぬと聖帝国では子どもの時から教わる。


地上ここ穢土えどだ。血があり、肉があり、月があり、性があり欲があり死が満ちる世界だ。俺たちはいつまでもここで生きる、そう思わないか?」


「やめろ! そんな事をしても、我らの信仰の前には等しく無意味だ!」


「俺が手ずから地獄へ送った連中も、皆同じ言葉を吐いていたよ」


 短剣の切っ先が、右の使者の額へぴたりと押し付けられる。刃が食い込み、皮膚がぐにゃりと曲がる。


 にやり、とその時初めてクリフがほくそ笑んだ。それは蟻の隊列を潰して回る幼子の様な、極めて残忍な微笑みだった。


「お前は頭蓋あたまからにしよう。お前くらい信仰の厚い奴なら、頭の中身も太陽様のお気に召すだろうよ――と、言いたいところだが」


 不意に刃が額から外されて、クリフが今度は晴れやかににこりと笑う。


 絶体絶命の中で突如降って湧いた、ひと筋の光明。


「俺はそこまで悪い奴じゃない。悪い奴じゃないから……お前たちの事を。お前たちが親切であることを俺は信じて疑わない」


「ぁ……え?」


「本当は俺だって、人の皮なぞ剥がしたくはないんだ。

 ……けれど、もしお前らが俺を裏切る様な事があれば、悲しいが俺はお前らを地獄へ落とさなければならない……だから、


「た、助け……?」


「ああ。だが太陽の思し召しだって、誰にでも行き渡る訳じゃない。だから――」


 そこで使者達は、全てを察した。


 助かる席は二つとない。より多く、質もより高く、クリフへさえずった鳥だけが……ことなく鳥籠から出られる。


「よりに、思し召しは下るだろうよ」


 上手い拷問とは、身体ではなく心を虐めるもの。


 二人の口が開くのは、殆ど同時の出来事だった。

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