「いただきます」の前に〜前編〜
人は言う「男は胃袋を掴め」と。
でもきっと、女も胃袋で掴めるのだろう。現に俺は彼女の胃袋を掴んでる。でも……彼女が恋してるのは俺の料理で、俺じゃない。
俺は自分の料理に嫉妬する。
愛すべき、憎むべき弟は、いつだって俺に幸せと不幸を同時に運んでくる。
あの運命の日も。カフェのオープンまであとわずかで、準備に追われて、寝る暇もなく忙しい時期にやってきた。
「兄貴。客を連れてきたよ」
「智。まだ開店してないんだが……」
疲れでため息が漏れそうなのをこらえ、一瞬言葉を失った。隣の女性に目を奪われたのだ。
女性的なパステルカラーのニットのアンサンブルと、春めいたシフォンスカート。栗色の髪はゆるいウェーブを描いて、色白の顔を彩る。目鼻立ちが整った美しさ。何より意思の強そうなアーモンド型の大きな瞳は、うっかり吸い込まれそうだ。
「こちら会社の先輩」
「初めまして、峰崎琴子です。弟さんにはいつもお世話になってます」
「うわー。峰崎先輩の真面目モード。仕事以外で初めて見た」
「失礼ね! 明日仕事量二倍にしてあげるわよ」
「すみせん。峰崎様」
コントのようなやりとりに、思わず笑いをこらえる。どうやら会社で上手くやってるようだ。お調子者で、世渡り上手な智らしい。
「峰崎さんですね。初めまして。加賀裕人です。弟がいつもご迷惑をかけているようで、すみません」
「いえ……そんなことは……」
初対面の相手の前で、コントをして恥ずかしくなったのか、唇をとがらせて目線をそらす。少し意地っ張りな感じも可愛い人だなと思った。
「ねえ、兄貴。峰崎先輩に試食してもらったらどうかと思うんだけど。先輩、今ダイエット中だから、野菜料理に興味があるってさ」
「野菜料理……まあ、間違ってはいないな。マクロビオティックは野菜中心だし」
店の隅にある本棚には、マクロビの初心者本が並んでいる。知らない人が、この店で興味を持って、知りたくなった時にすぐ手に取って見られるように、用意してある。
ページをめくりながら、二人にかいつまんで説明した。
玄米や、豆、野菜、海草と、調味料も天然の素材を生かし、味付けも控えめに優しい味付けにする。
ベジタリアンの一種だが、ベジタリアンといっても、色々あって細かい違いを説明するのも難しい。日本では悪い意味で有名になってしまったビーガンも、近いものがある。
「陰陽五行とか、東洋医術の思想もあったり、突き詰めると宗教みたいなものなので、そこはあまり深く考えなくても良い。ただ健康に良い食べ物を、食べ過ぎず、ほどよい分量でというくらいで。うちのコンセプトは『一汁一菜』玄米、野菜の汁と、野菜のおかずを一種、それと漬物。シンプルな食事です」
「シンプルだけど体によさそう。食べないダイエットって美容に悪いし、カロリー控えめでも、野菜がたっぷり食べられて、ダイエットになるならよいわね。ここ、会社の近くだし、ランチで来やすいし」
「来て貰えるのは嬉しいです。まだ試しで作った料理ですが、是非食べていってください」
身内以外の初めての客。それが嬉しくて思わず笑みがこぼれた。
峰崎さんが、一瞬目を見開いて、そっと目をそらした気がするが、気にせず準備をすることにした。
コンロに火をかけて、出汁を温め直し、漬物を小鉢に盛る。
出汁に味噌を溶く前でよかった。やはり飲む直前に溶かすのが一番美味い。わかめと豆腐を入れて煮込んだ出汁に、減塩の赤味噌と、少しだけ白味噌を混ぜ、薄口にしあげる。
圧力鍋で炊いた玄米ご飯も、さっき炊いたばかりだから、まだふっくら艶やかで、ほかほかだ。
黒豆とカボチャのコロッケに、海藻サラダを添えた、ワンプレートも用意して。
全てを器に入れて運ぶと、峰崎さんは、くんくんと鼻を鳴らす。それが猫っぽくて可愛い。
「良い香り。いただきます」
ネイルに縁取られた指先は一見軽薄で、でもきちっと手を合わせて、頭を下げる礼儀正しさとのギャップが、好印象だった。
味噌汁を啜って、ほうっ……とため息をつく。
「……美味しい。薄味だけど、そのほうが具材の美味しさがダイレクトにわかるわ。わかめはシャキシャキだし、豆腐の濃厚な甘みが美味しい! それにちょっと白味噌はいってるでしょ? 私白味噌好きなの」
「鋭いですね」
「ふふん。ちょっと幼馴染みに、食べ物に煩い子がいて、詳しくなっちゃったの」
本人無自覚なのか、さっきより、ずっと砕けた言葉で、目も生き生きと輝いている。
「カボチャコロッケ! きゃー、揚げ物なんて久しぶり、カボチャも優しい甘さで良いわね。黒豆も入ってる? なんか香ばしい」
一口食べる度に、頬を押さえたり、悲鳴をあげたり、オーバーリアクションで、楽しそうに、美味しそうに食べる姿に、胸が高鳴った。
自分の料理をこんなに素直に喜んで食べてくれる。それは何より嬉しい。
「ああ……久しぶりに美味しい食事が食べられたわ。ダイエットフードは美味しくないのばっかりだったし」
「口にあったみたいで、よかったです」
「味は大満足。でもね……」
そう言いながら、笑顔を消して、茶碗をじっと眺めた。その眼差しは驚くほどに鋭い。
「はっきり言って、器が地味。もうちょっと綺麗な方が女子受けするわよ」
「いえ……男女問わず、いろんなお客さんに来て欲しいので、あまり派手なのは……」
「甘いわね!」
びしっと指先をつきつけられて驚く。どや顔で胸を張られると、大きな胸が揺れそうで、思わず視線をそらした。
「なんだかんだで、男は肉! だし、女性客が多くなるわ。誰でも気軽に……なんて八方美人じゃなくて、メインターゲットを絞って、それに合わせて見栄えに凝るべきよ。器だけじゃなくて、メニューに、チラシに、インテリア、webもよ」
「さすが、峰崎先輩」
それまで空気のように静かだった智が、ぱちぱちと手を叩く。
おしゃべりなようでいて、黙るべきところは、きちっと黙る、絶妙な空気の読み方が……癪に障る。
さっきからニヤニヤ笑いで、こっち見てたの気づいてたぞ。
何考えてるのかすぐわかるが、何も言いたくない。……峰岸さんの前では。
「峰崎先輩は広報部に所属していて、宣伝やマーケティングに詳しいんだ」
「それは凄いですね」
「ちょっと気づいただけよ。ねえ、もしよかったら、ここのプロデュースさせて」
「ありがとうございます。とても嬉しいのですが……開店資金に余裕がないので」
「器は100均で少し買い足すだけでも良いわ。どうせ割れるし消耗品でしょ。インテリアは……まあ、妥協して後回しで。メニューや、チラシ、webなんかは、私の幼馴染みがフリーのデザイナーなの。安くやってくれるわ」
「それはありがたいですね」
「あの子、食べ物が大好きだし、たぶんここの店と相性いいわ。きっと良いデザインにしてくれるから」
そう、幼馴染みについて語る峰崎さんの表情は、母性的ともいえるくらい、とても優しく温かで。きっとその幼馴染みが大好きで、大切にしてるんだろうなと、わかってしまって。
強気な言葉とのギャップが参った。
「あ、私への報酬は現物支給で。試食でどんどん奢ってね」
ぱちんとウインク付きで、ちゃっかりしてる。思わず吹き出してしまった。
疲れてたはずなのに、久しぶりに大笑いしたら、すっきりした。
そう、あの日、俺は何度も彼女に惚れたんだ。
瞳の美しさに、フランクな明るさに、礼儀正しさに、ずばずば意見を言う強さに、幼馴染み想いの優しさに。
なにより、俺の料理を、あんなに美味しそうに嬉しそうに食べてくれるなんて、好きにならないわけがない。
それから彼女は何度も店に通ってくれて、自然と名前で呼びあうようになって。あまりに一気に距離感が近くなって、ハラハラするのだけど、わかってる。
彼女が夢中なのは、俺の料理で、俺じゃない。
俺は自分の料理に嫉妬する。
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