幸せのおかわり
「桐谷さん! 事情があるなら早く言ってよ。恋音を守るのは私の専売特許なんだから!」
守り役に特許なんて必要なんだろうか? 琴子の発言はインパクトが強すぎる。でも、私を心配してくれる思いがこもってて嬉しい。
「昴。もう俺に関係ないって逃げるなよ。次に逃げたら、殴るだけじゃすまないからな」
裕人さんの笑顔が怖い。いつも穏やかで優しい人が怒ると怖いって本当だな。
あの後、裕人さんがやってきて、事情を聞いて怒って、桐谷さんを殴った。
……泣きながら。殴った痛みより、心の痛みが辛そうで、流石の桐谷さんも反省した。
「みんなで対策すれば、一人の負担は減るわよね。私もできることがあれば協力するわ」
「助け合いの心ですね。もちろん僕も手伝いますよ。あ、早見先輩へのお礼は僕が体で」
「いらない」
また早見さんに頬をつままれる、智さんが楽しそう。
「それで二人は付き合うことになったのね。おめでとう」
「付き合ったかと思ったら、即同棲、しかも結婚を前提にって展開早すぎない?」
「昴兄も思い切ったことしたねえ。鈴代さんのおかげでちょっとは度胸がついたかな?」
「智はいつも余計なことを言う」
素直に祝福してくれたのが早見さん、相変わらず文句が多いのが琴子、昴さんをからかいたいのが智さん。不満を言うのが昴さん
今日の「フォルトゥーナ」は賑やかだ。
店が定休日だから、みんなで食事をしようと、貸切で店に六人で集まった。
私が肉や魚料理を作り、裕人さんが野菜料理を作って、琴子も料理作りを手伝った。
早見さんオススメのチョコレートケーキは、酸味の効いたベリーとビターなチョコとナッツの香ばしさがハーモニーを奏でる大人の味。
昴さんはとっておきのワインを持ち込んで、智さんはこだわりの紅茶を買ってきた。
好みは色々違えど、みんな食べることが好きな集まりだから、とても楽しい。
「鈴代さん。本当にありがとうございます。鈴代さんがいなかったら、もう昴に会えなくなって、俺が後悔してました」
裕人さんが丁寧に頭を下げるので、慌てて立ち上がった。
「いえ。自分がしたいことをしただけです」
「兄貴も昴兄の心配しなくてすむようになった分、自分の事を心配しなよ」
「お前はいつも余計なことを言う」
裕人さんからも怒られても、けろっとしてる智さんは図太い。
「ねえ、恋音。これ食べて見て」
琴子に里芋の煮物を出された。一口パクリ。甘さ控えめで出汁が効いてる。優しい味が里芋によく沁みていた。
「美味しい」
「でしょ。これ私が作ったの。しかもマクロビ食材だけで」
「凄い!」
琴子が自慢げに胸をはる。どうやら最近、コンプレックスが少しはマシになったらしい。
「琴子さんは本当に努力家で熱心ですよね」
裕人さんが褒めると、照れたようにそっぽを向く。こっそり微笑むのは、恋する女の顔。
ああ……付き合うんだな。琴子から惚気話を聞くだろう。二人で幸せな恋話もいいかもしれない。
ずっと右手に指輪をしていた早見さんも、今日はしていない。
とても柔らかくなった気がする。
「昴さん」
「どうしました? 恋音さん」
人差し指を立てて唇に添え、顔を寄せる。
「私達の約束、みんなには内緒ですよ」
「わかっています」
昴さんが苦笑いをした。
そう。私と昴さんはある約束をしたのだ。
「今までの料理人契約は破棄しましょう」
「そうですね」
恋人になるんだし、契約なんて必要ない。
「代わりに恋人契約をしましょう」
「へ?」
なんでお互い好きで付き合うのに、わざわざ契約が必要なのか。
「結婚を前提でお付き合いするとして、初めにルールを決めておいたほうが、後々揉めずにすむと思います」
「は、はあ」
「このマンションで一緒に住みましょう。恋音さんも二人暮らしのほうが生活費がかからなくて、便利ではないでしょうか?」
「は、はあ」
「家賃はかかりません。食材や光熱費は折半。二人の外食は全部僕が払います。雑費を除いて、互いの収入の残りは各自の自由です。料理をお任せしますが、掃除は得意です。任せてください。洗濯は別々がいいでしょう」
理論整然と合理性を解く。お付き合いを始めたばかりの恋人が、するものだろうか?
「恋人契約は一年後に見直します。その時点で話し合い、恋人を継続するか、別れるか、結婚するか決めましょう。期限を決めないと、いつまでも進まないのはよくあることです」
「そ、そうですね」
さらっとプロポーズが混じってる気がしないでもないが、あまりに事務的すぎてムードの欠けらもない。
「この恋人契約は、破棄したくなったら、申し出て相手の同意を得るまで、十分に話し合う。もしこれを破った場合は重大な罰金です。僕の貯金を全部差し上げてもかまいません」
「え?」
「僕は大事な話をしたがらない悪い所がありますし、鈴代さんもルールがあったほうが安心しませんか?」
じわじわと言われた意味が理解できて、嬉しくて頬が緩んだ。
桐谷さんが勝手に別れを切り出して、逃げようとしたこと、気にしてくれてるのだろう。
契約という形で、話し合いもせずに一方的に逃げない、別れないと、ちゃんと決めてくれたんだ。私のために。
「僕達は二人とも自宅でできる仕事ですし、買い出しだって、ネットスーパーや通販を使えば、いつまでだって引きこもれます」
「そんなに私が一人だと、不安ですか?」
「不安ですね。仕事が手につかなくなる」
「奇遇ですね。私も桐谷さんが一人だと不安です。ちゃんと食事をするのか、問題を抱え込まないか」
「すみません。契約に大事な話は、抱え込まずに話すも加えましょうか」
生真面目で律儀な桐谷さんなら「契約」として決めた「ルール」は絶対に破らない。
これからは一人で抱え込まずに、ちゃんと話をしてくれる。それがとても嬉しい。
「あの、私からもいくつか、契約に追加条項の提案が」
「なんでしょう?」
「まず一つ目。恋人になるなら、それらしく名前で呼びませんか?」
桐谷さんが固まって、ロボットみたいにカクカクしながら頷いた。
「私の名前、呼んでみてください」
「……
恥ずかしそうに、か細い声なのが可愛い。
「はい、昴さん」
私に名前を呼ばれて、嬉しくてアヒル口になるのも可愛い。
「もう一つ、重要な事なのですが」
「なんでしょう?」
「恋人同士で同居する。同棲です。どの程度スキンシップが許されるか、決めておきませんか? キスか、ハグか、一緒に寝るのか」
ガタン。昴さんが動揺のあまり椅子から転げ落ちた。
顔を真っ赤にして、手のひらを見せ、ストップという仕草をした。
「僕も男ですから、全くそういうことがしたくないわけではないですが。経験がないので、心の準備が……」
恥ずかしそうに縮こまる姿が可愛くて、智さんがからかいたくなるのが少しわかった。
「キスもダメ、ですか?」
昴さんは眼鏡の奥で視線を彷徨わせ、首を横に振った。
「いえ、その。僕もキスはしてみたいです。しかし……」
「しかし?」
「キスがしたい時は、どう許可を得たらいいのでしょうか? タイミングなどは定められたルールが存在するのでしょうか?」
ロマンの欠けらもない返事だけど、凄く真剣なので、冗談ではなく本気のようだ。
「毎回キスしましょうというのも、恥ずかしいですし。合言葉を決めますか? キスしたいなと思ったら、合言葉を言うとか」
「なるほど。それはわかりやすいですね。どういう合言葉がいいでしょうか?」
少し悩んで閃いた。
「『キスの天ぷらが食べたい』でどうですか?」
初めて二人で行ったお店は天ぷら屋だった。あのキスの天ぷらは本当に美味しかった。
冗談のつもりだったけど、昴さんは気に入ったようだ。はにかみながら笑うとえくぼが見えて可愛い。
「わかりました。そうしましょう」
「『キスの天ぷらが食べたい』で決定で」
確定事項の確認で言ったつもりだった。
だから昴さんの顔が近づいて来た時、びっくりして思わず突き飛ばしてしまった。
しまった。昴さんがしょんぼりしている。
「合言葉を言われたので、するタイミングかと思いましたが。僕は間違えてしまったのですね。すみません」
申し訳なさそうに詫びる姿が、本当に真面目すぎて仕方がないなぁと思ってしてしまう。
「昴さん」
「なんでしょうか? 恋音さん」
昴さんが私の方を向いたので、今度ははっきり目と目を合わせて、笑いながら言った。
「キスの天ぷらのおかわりが食べたいです」
そう言ってから目をつぶり、キスのおかわりを待った。
飯テロ女と契約料理〜君の飯に恋してる〜・終わり
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