豚ロースお好み焼きと契約

『次は予定を変更して、鈴代さんをご案内したいお店があるのですが』


 私が料理を作ったら、次は食事をご馳走され、また料理を作る。今まではその繰り返しで、続けて奢ってもらうことはなかった。

 急に契約を変えるなんてなぜだろう? フォローを外されたのも聞けないまま。嫌な予感だけが私の中に渦巻いていた。



 年末年始の慌ただしさが落ち着いた日。

 東京の外れ、少し歩けば埼玉。そんな小さな駅にある、ありふれた小さなお好み焼き屋さんに、連れて行ってもらった。

 地元密着の、特別なところはない、こじんまりとした雰囲気。

 扉をガラッと開けたら、年配の女性が笑顔で出迎えてくれた。


「昴ちゃん、久しぶりやねぇ。元気にしてはったん?」

「お久しぶりです。すみません、長いこと来てなくて」

「いいんよ、また来てくれたんやから」


 名前で呼ぶほどの行きつけ? とちょっと驚きつつ席に座る。桐谷さんが苦笑した。


「子供の頃、裕人や智とよく来て。でも、十年ぶりくらいです。ここは何も変わらない」

「思い出の店ですか?」

「はい。人と一緒に外食をする。そう考えた時に一番に思いつく場所です」


 そんな大切な所に連れてきてくれたのが嬉しくて、思わず頬が緩む。


「お好み焼きは、豚ロースというのがおすすめで」

「あ、明太チーズもんじゃ。食べたいです」

「昴ちゃん。たこ焼き焼いてあげましょか? 好きやったんな」

「お願いします」


 たこ焼き好きな子供の頃の桐谷さん。想像しただけで微笑ましい。

 桐谷さんが細くて白くて筋張った手で、グレープフルーツをぎゅぎゅっと絞る姿に見とれた。

 華奢に見えて男の人だな。グレープフルーツの皮にほとんど身が残らずに絞られる。

 生グレープフルーツハイで乾杯して一口。安物の焼酎にフレッシュなグレープフルーツの果汁が、不思議と落ち着く優しい味だ。


 豚ロースはおばさんが作って持ってきてくれた。お好み焼きの上に、どーんとスライスの豚肉が何枚も乗ってて、ボリューム満点。

 カリッとジューシーな豚肉と、ふわとろなお好み焼き、ソースとマヨと鰹節が絶妙なコラボをしてる。


「美味しい! 豚肉をお好み焼きの上に載せるって面白いですね」

「僕も他ではあまり見かけなくて。久しぶりに食べました。やっぱり美味しい」


 しみじみと味わう、桐谷さんの柔らかな笑顔がいいなって思った。


「はい、たこ焼きね」


 たこ焼きの上の鰹節が湯気で踊ってる。青のりたっぷりで、歯につきそうだけど、そんなこと気にして美味しいものを食べないのはよくない。


「あっつあつ。とろっとろ。タコが大きい」

「タコが少ないたこ焼きはたこ焼きではないですよね」


 その言葉に大きく頷く。とろとろの生地に包まれた、タコを噛み締めると、ぎゅぎゅっと旨味が出てた。ソースとマヨたっぷりなのも嬉しい。青のりと鰹節が良い仕事してる。


「鈴代さんはもんじゃ焼きを作ったことは、ありますか?」

「何度か店で食べたのですが、いつもお店の方にお願いしてました」

「では、今日は僕が」


 桐谷さんの白い手が、二つのコテを華麗にふるい、手際よくもんじゃ焼きを作っていく。


「すごいですね」

「料理はできませんが、これはここでよく作ってるうちに慣れました」

「これも立派な料理ですよ」


 出来上がったもんじゃを、小さなはがしで、生地を少しだけとって、鉄板に押し付ける。

 じゅっと音がして、香ばしい香りが立ちあがる。

 パクリと口にすると、ピリッと明太と、とろりと濃厚なチースが、香ばしくて美味しい。次はもっちもちなもちだ! 一口ごとに味が違うのが楽しい。


「もんじゃ食べたの、凄い久しぶりです。一人では食べませんから」

「そうですね。僕も久しぶりです。食事はいつも一人でしたから」


 一人では食べないものを、二人で一緒に食べる。それは何より幸せな事だ。

 お腹も心も満たされて、おばちゃんに飴までもらって店をでた。




 まだ寒い冬の冷気が、私達を包んだ。


「外は寒いですね」

「はい。駅まで急ぎますか? それとも二軒目とか」


 桐谷さんを見上げて笑って見せたら、桐谷さんはなぜか悲しそうな表情をしていた。

 なぜフォローを外したのか。今が聞くチャンスかもしれない。聞かないまま、知らないまま、食事を続けるのは厳しい。

 苦しいくらいの胸の鼓動を抑えて、大きく深呼吸をして、口を開く。


「桐谷さん」


 私が立ち止まって声をかけたら、桐谷さんも立ち止まって見下ろした。


「Twitter。私のフォロー外してますよね。どうしてですか?」

「鈴代さんと親しくしているのを、知られたくない人がいて。アビシニアンは知られてないので、そちらでご連絡いただければ」


 私と親しくしているところを知られたくない。それってどういうこと?

 迷いながら口を開こうとして、桐谷さんが唇を震わせた。


「先日、結婚についてお聞きしましたね」

「え、ええ」

「僕は一生結婚しないと決めているんです」

「え……?」


 桐谷さんがとても真剣に、まっすぐに私を見て言った。


「お付き合いは遊びじゃありません。付き合うなら結婚前提だと考えるのが当然だと思います。でも僕は結婚する気がない。だからお付き合いできないんです」


 桐谷さんのその言葉は、胸に突き刺さった。せっかくお酒と料理で温まった体が、急速に冷えていく。

 その言葉が、まだ自分の中で消化できない。


「すみません。重い話をしてしまって」

「い、いえ。桐谷さんの気持ちを、言っていただけたのは嬉しいです」


 でも、どうして結婚しないと決めているのかわからない。私が落ち込みすぎたの、顔に出てたかもしれない。

 桐谷さんがとても悲しげに私を見つめる。


「鈴代さんと会うたびに、好きな気持ちが大きくなって、期待に答えられないのが苦しいです。鈴代さんは、辛くありませんか?」

「それは……」


 好きだけど付き合えない。結婚したくないと言われて、会えば会うほど好きになるもどかしさを、苦しく無いと言えば嘘になる。

 今日もせっかく美味しい料理なのに、結婚しないのショックで、もう味も思い出せない。


「もう、辞めましょうか。契約」

「え?」

「会わなければ、互いに傷つくことも無いですよね? だから今日を最後の思い出に、僕にとって一番大切な店にご案内したのです」


 その時、昔の記憶がフラッシュバックした。

 勝手に結婚をやめると言った言葉。あの時は怒れなくて、どれだけ後から後悔したか。

 だから、何も考えずにとっさに叫んでいた。


「嫌です! 桐谷さんと会えないのは嫌です。でも付き合えないというのも苦しいです」

「それなら、どうしたらいいでしょう?」


 その問いに答えなどない。

 会いたい。会うと嬉しい。でも付き合えないのは辛い。これから会い続けるほど、どんどん苦しくなっていくのだろう。


「結婚して幸せになれる男性と、出会った方が良いと思います。契約を辞めましょう。僕のマンションにも、もう来ない方がいい。そのほうが鈴代さんにとって、良い選択です」


 桐谷さんの声がせつなく掠れて苦しそうで、そんな言葉を言わせてしまうのが辛い。


「嫌です。契約を辞めるの嫌です。次の料理は何にしますか? 何が食べたいですか?」


 次に何を食べるか。その約束が、私達の絆だから。

 だけど桐谷さんは私から目をそらし告げた。


「食べたい料理はありません」


 次の約束がない。それは私達の関係の終わりだった。

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