沈黙の蟹とあったかスイーツ
蟹料理の店に入ると、個室席に案内された。落ち着くし、のんびりできていいよね。クリスマス感は全く漂わないけど。
最初に冷えたビールで乾杯。コクのある恵比寿の生ビールが嬉しい。
「メニューはコースを頼んであります。他に食べたいものがあれば、遠慮なくどうぞ」
「あ、ありがとうございます」
メニューを見るのもワクワクした。コース料理は品数あるし、全部食べてから考えよう。
コースの前菜は蟹茶碗蒸し。蟹の身がどっさり入って、爽やかな三つ葉の香りと、旨味のあるしいたけ、そして銀杏に心が奪われる。茶碗蒸しの銀杏好きなんだよね。これが無いと落ち着かない。
出汁にも蟹の味がたっぷりしみて、卵の部分だけでも美味しい。
テーブルに焼き網とコンロが並べられ、期待に胸が膨らんだ。
じゅー、と焼ける蟹の香ばしい香りが、食欲をそそる。適度に水分の抜けた蟹の身は、プリッとした歯ごたえで旨味を凝縮させ、香ばしさのアクセントが加わって最高!
「美味しいぃ。焼き蟹は初めて食べました」
「そうですか。それは良かった」
桐谷さんがとても嬉しそうに笑った。
焼き蟹を食べ終わると、網が片付けられ、鍋がセットされる。
さっと、お湯にくぐらせた蟹しゃぶは、半生でふわっとトロッと甘くてジューシーで……ああ、たまらない。
蟹の甲羅酒は蟹味噌の旨味が、日本酒に溶けて酒+珍味の絶妙のコラボ。これがまた蟹料理にあう。
ああ……魅惑の蟹三昧に舌鼓。
思わず蟹に夢中になってたら、なぜか桐谷さんがずっとニコニコしてるのに気が付いた。
「……えっと、食い意地張りすぎですよね」
「いえ。鈴代さんが美味しそうに食べる姿。見てるのが好きなので」
眼鏡のずれを直しつつ、ちょっと照れた顔が可愛くて、ドクンとときめく。
「私も、私が作った料理を食べる桐谷さんの姿を見るのが好きです。とても美味しそうに食べてくれるから嬉しくて」
「え、そんな顔をしてましたか?」
真っ赤になって照れる所も可愛い。
よし、良い雰囲気でデートっぽくなったぞ。蟹に負けずに、恋しろ乙女。
……と、思ったが。人は蟹を食べる時に無言になってしまうのだ。
ボイルした蟹の身を、ほじほじ、ほぐしながら食べる。美味しすぎて手が止まらない。つい蟹を黙々と食べてしまう。
桐谷さんの白くて細くて華奢で、少しだけ筋張った手が、蟹フォークを華麗に振るい、綺麗に殻から身をこそいで行く姿は、感心するほど美しい。
ただひたすら、無心に蟹を食べ続ける。
蟹は文句なく美味しい。でも、おしゃべりもしたい。会話がないのが少し寂しいのは、今日がクリスマスだからだろうか。
恋と胃袋、どちらも欲しいのは贅沢かな?
蟹を食べ尽くし、食後のお茶を飲んでほっと一息。このまま帰るのかと、しょんぼりしたら、桐谷さんが困ったように首を傾げた。
「このお店、好みに合いませんでしたか?」
「そんなことないです! 絶品でした。食べ終わるのが惜しくなるくらい」
「それならよかった」
「あ、あの。デザートを食べませんか? クリスマスですし」
蟹料理の店にデザートはなくて。でも桐谷さんとデザートを食べたい。
「ケーキを買って、桐谷さんの家で……」
「わかりました。この時間でも開いている、ケーキの美味しい店を探しましょう」
家に行きたいという言葉は瞬殺された。
お家でクリスマスデートは不可なのかな。
蟹料理の店を出て、駅に向かい、どんなスイーツが食べたいか、話しながら外を歩く。
「甘いものは、早見さんが詳しいですね」
「そうですね。今日もオススメのケーキを教えてもらいました」
「Twitterにスイーツ専用アカウントがあると聞きました」
そんなのあったんだ。早見さん凄い。桐谷さんにアカウントを聞いてチェックしたら、流行のキラキラスイーツの写真ばかりで、目眩がしそうなほどに眩しい。
目に美しくて美味しそう。ふと遠くから聞こえてくる音に、びくんと体が反応した。
『いしやきいも。おいも』
ああ、冬の誘惑スイーツ。石焼き芋。もうその声だけで食べたいセンサーが。
だがしかし。クリマスデートのデザートが、石焼き芋でいいのか? 立ち食いになるぞ。たぶん。
そうわかっていてもそわそわしてしまう。
「鈴代さん。もしかして石焼き芋ですか?」
「は、はい。食べたいなって」
「僕も好きです。最近はサツマイモの種類も増えて食べ比べも楽しいですね」
石焼き芋の誘惑に抗えず、おじちゃんを呼び止めて買った。それほどお腹に余裕はないから。少し小ぶりの物を選んだ。
桐谷さんの白くて細くて筋張った手で、ばきっと、芋を真ん中で割ったら、断面からふぁっと湯気が立ち上る。
甘い香りがヒクヒク鼻を刺激して、それだけで美味しそう。
「どうぞ。熱いから気をつけてください」
新聞紙にくるまった石焼き芋を受け取って、そっとかぶりつく。
「あつっ! でも美味しい!」
ねっとりとした甘みが濃厚な安納芋。口の中でとろっと、ほろほろ。ああ……美味しい。熱々を頬張りつつ、歩く。
隣をちらりと見ると、桐谷さんも同じものを食べてて、一つの芋を二人で分け合う。こういうのもいいかもしれない。
「美味しいですね」
「はい。石焼き芋、久しぶりに食べました」
「いつも高級な料理ばっかり奢っていただいてたけど。安くても美味しいものを、一緒に食べられれば、私はそれで十分です」
はぐっと芋を頬張って言ってみたら、桐谷さんが嬉しそうに笑った。
「そうですか。お礼なので、値段がはった物のほうがいいかと思ってました」
「値段より美味しさですよ。次は、ラーメンはどうです? 美味しいラーメン屋巡りとか楽しそう」
「楽しそうですね」
二人で芋を食べ終わって、心もほっこり温かくなって、自然と笑顔が浮かんでくる。
ふと道端で外国人観光客が、何か困ってそうに人に話しかけていた。英語だから、わからなくて断って立ち去る人ばかり。
私も英語はできない。桐谷さんならと見上げたら、視線に気づいたのだろう。苦笑して観光客の人に英語で話しかけていた。
何かを話して観光客の人は笑顔になって、去っていった。
「凄いですね。桐谷さん」
桐谷さんが恥ずかしそうに笑った。
「凄いのは鈴代さんですよ」
「え? 私は何もしてませんが?」
「以前の僕なら面倒だとか、勇気が出ないとか、ためらって素通りしてました。鈴代さんに期待されたのかと思ったら、頑張ってみようと思えて」
楽しそうに目を細めながら、桐谷さんが歩きつつ話を続ける。
「鈴代さんと出会って、色々知って、経験して、僕の狭い世界が広がった気がします」
「ただ一緒に食事してただけですよ」
「食事をする以外、何もできない。まともに会話もできない。そんな僕と付き合って食べていただけるだけで、とても嬉しいんです」
「私もです。食べ物に夢中になって、会話を忘れちゃうような女と、楽しく食事してくれるの桐谷さんくらいです。他の誰でもなく、桐谷さんと一緒が一番楽しい」
桐谷さんがふっと切なく微笑んで、私の頬に手を伸ばした。触れた指先がひんやりして気持ち良い。顔が火照って仕方がないから。
桐谷さんが私に触れようとしたこと、良太の時以外思い出せない。
「僕は、鈴代さんの笑顔を守りたいんです」
思わずこぼれ落ちたような、少しかすれた声が、耳に響いて、ドクンドクンと胸が高鳴る。その目はまっすぐに私を見つめていた。
「……実は……」
桐谷さんが何かを言いかけたその時、携帯の着信音がなった。仕事関係のメールだ。
メールなんて無視したい、今この状況の方ほうが何億倍も重要だ。でも、桐谷さんの手がパッと離れて、顔もそらされてしまう。
「どうぞ。こちらはお気になさらず」
「……すみません。仕事の連絡みたいで」
急いでメールに目を通す。難しいものではないし、納期までまだ余裕がある。スケジュールも確認したが、問題なさそうだ。
仕事を受けますと返事をして、顔を上げた。
「すみません。お待たせして……」
言いかけて、桐谷さんの表情がこわばってるのに気づいた。視線の先にはスマホが。
「どうかしました?」
「いえ。時間があったので、暇つぶしにTwitterを眺めていただけで……」
すきま時間にTwitterチェックはよくある。でもなぜ怖い顔になるんだろう?
「鈴代さんのTwitterは、問題ないですか?」
見てみると通知が二件。二日前に書いた飯テロツイートへのいいねと、いいねした人にフォローされていた。
誰かのリツイートを見て、時間差でいいねされるのはよくあることだし、それがきっかけでフォローされるのもよくあることだ。
「いえ。特に問題ないですよ」
「……そう、ですか……」
桐谷さんの歯切れの悪さが気になった。
「さっき何か言いかけてましたよね?」
「すみません。また今度でもいいですか?」
そう言われると、無理に質問できない。結局何も聞けずに別れた。
深夜0時の飯テロツイート。桐谷さんのいいねやレスがつかないかと待っていたけど、反応はない。しばらくしてアビシニアンのアカウントでいいねはついた。
なぜ片方だけ? 気になって桐谷さんのアカウントにDMしようとしたができなかった。
どうして? 焦る気持ちで、調べて驚く。
桐谷さんが私をフォローしていない。ブロックではないが、相互フォロワーでないとDMできない設定だ。
勝手にフォローが外れるバグだろうか? それならアビシニアンのアカウントで飯テロツイートを見た時に気づくはず。
これがわざとなら、距離を置かれるようなことをしてしまったかも知れない。悪いことがおこりそうな胸騒ぎがした。
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