栗クリスマス
『すみません。急に仕事でトラブルがあって。すぐに終わらせてから向かいます。一時間以内には到着すると思います』
『大丈夫ですよ。近くの喫茶店で珈琲飲みながらのんびりしてるので』
心に余裕を持ってそう言えた。だって今日はクリスマスイヴ。
最後に会ったときは、嫌々なのかなと心配したけど、電話で約束を決めたときは、なんだか嬉しそうに聞こえた。
契約でも何でも、今日は二人で楽しめるならいいか。
駅の側のコーヒーショップに入ってのんびりする。お店の場所はメールしておいたし、後は待つだけ。
本でも持って来ればよかったな。そう思いながらスマホをいじってたときだった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ね」
「早見さん」
クリスマスイヴに、たまたま入ったコーヒーショップで知り合いと出会う、けっこうな偶然かもしれない。
「ここの席座ってもいい? 混んでるから」
見渡すと、座る場所に困るくらいに混んでいた。早見さんはトレーの上にコーヒーとケーキを何個も。重そうで大変そう。
頷くと、早見さんは向かいの席に座った。
「休憩中? 誰かと待ち合わせ?」
「桐谷さんと、この後食事に行くので」
「ああ。なるほどね。いいなぁ。私は今仕事が終わって、予定ないのよね。イヴなのに」
あれ? 前に早見さん恋人がいると言ってたようなと思ったけど、事情があるかもしれないし、余計なことを言うのは辞めておこう。
早見さんはお腹が空いてたのか、ケーキをパクパク食べながら珈琲を飲んでいる。気持ち良いくらいの食べっぷり。
私がじーっと見てたからか、苦笑された。
「ここのケーキ美味しいの。だから夕食前についね」
この後夕食なのか。それでこの量はすごいな。結構大食い。甘いもの好きなんだな。
「このモンブラン、和栗を使って、栗の自然な甘さと風味が良いの。栗ペーストと甘さ控えめな濃厚なクリームが絶妙なバランスで」
美味しそうに、モンブランを食べる姿に、じゅるり。
普段人に飯テロばかりしているが、飯テロされるのは滅多にない。
「飯テロです。この後食事を食べに行くのに、食べたくなるじゃないですか」
「今度来た時に食べればいいんじゃない?チョコケーキもオススメよ。香りの良いビターチョコを使ってて、ラズベリーの酸味とほろ苦ナッツ。どのデザートも大人向けの味付けなのよね」
嬉しそうにケーキを食べる早見さんが、羨まけしからん。絶対、今度一人で食べにいく。
ケーキを食べ終え、珈琲をまったり飲み始めた早見さんが、ふと口を開く。
「鈴代さんは峰岸と同じ年よね?」
「はい。早見さんも琴子と同期ですよね?」
「同じね。三十になっちゃったわ。仕事に夢中なうちに、あっという間に二十代が終わって。結婚なんてまだまだと思ってたけど、三十ってなると気になるし、親からも結婚はまだかって、催促されるし困るわ……」
この年頃なら、ごく普通の悩みで、何気ない愚痴なのはわかってる。余計なことを言わずに、空気を悪くしないほうがいい。
でも、クールな早見さんだから、何となく大丈夫かなと、つい甘えたくなった。
「結婚を催促されるの、羨ましいです。私、両親が亡くなってるので」
一瞬、カップを持つ手が止まった。
「ごめんなさい。余計なことを言って。でも、口に出せるのは、割り切ってるのかしら?」
「はい。一人っ子で、両親がいない。昔は寂しいなと思ったんですが、桐谷さんも同じだって聞いて、親近感が増して」
「なるほどね。自分と同じ境遇、同じ食べるもの好き。共通点があるのは良いことよね」
早見さんが優しく頷いてくれて嬉しかった。好きだと自覚してから、誰かに桐谷さんの話をするのが楽しくなってしまう。
付き合えないという謎はまだあるけど、お互い両思いなのは確かだし。
「親がいないのは、それで良いところがあるかもしれないわよ。結婚しても嫁姑問題で困らなかったり」
「結婚って! 早見さん、気が早すぎです」
早見さんがクスクス笑ってる。からかわれたのだろう。でも両親が亡くなって可哀想な子と扱われるより、ずっと気持ちが良い。
「でも、そうですね。いずれ私も結婚するとして、相手の親と揉めるのは大変かもしれませんね。私は文句を言うのが苦手なので」
意地の悪い姑にいびられたら、何も言えずにストレスを溜め込みそうだ。
「あら。桐谷さん来てたわね。私、邪魔をしてたかしら」
早見さんに言われて振り返ったら、桐谷さんが近くで棒立ちしていた。眼鏡のブリッジを抑えながら、顔を背けてる。
「鈴代さん、桐谷さん、またね」
さっと立ち上がって、早見さんは帰った。
今の聞かれた? 結婚の話は生々しいし、そもそも付き合えないと断られたのに、気まずいな。どうしよう。
「お待たせして、すみませんでした」
何事もなかったように、いつも通り生真面目対応で、慌てて立ち上がる。
「いえ、たまたま早見さんと会ってお話ししてたら、時間があっという間で……」
「同じ年代の女性同士、話が弾むのはいいですね」
「そうですね。早見さんは、さばさばしてて、気持ちが良いので、付き合いやすい人です」
私がじとっとしてしまいがちだから、スパッと仕切ってくれる人の方が、一緒にいて楽だ。琴子みたいに。
「行きましょうか」
「はい」
私のトレーを桐谷さんが持ってくれて、申し訳ないけどありがたい。でも、トレーの上のカップがカタカタ鳴ってる。桐谷さんが震えてる? 何で?
機械的に返却口に置いた所も、不自然に見えなかったのだけど、気になって。
「桐谷さん。大丈夫ですか? 体調が悪いとか、仕事の後で無理してたりしませんか?」
「……え?」
戸惑うように固まった後、ゆっくりと頭を横に振った。
「いえ、大丈夫です。行きましょう」
おかしなところなど何もないやり取り。なのに何故かとても不安になった。
店まで歩く途中。いつも通り何も話さなかったけど、無言の時間でも何となくわかる。桐谷さんの気持ちが沈んでるの。
「早見さんと結婚の話をされてましたね」
あの話を聞かれてたのか。カーッと体が熱くなって慌ててしまった。
「あ、あれはその。私達の年代ではよくある世間話で……」
「結婚を意識する年代ですね……」
そこで言い淀んだのは、きっと私の元婚約者を思い出して、言いづらかったのだろう。
「昔、結婚しようとした頃は、両親が突然亡くなって、一人で心細くなって。家族が欲しくて焦って、相手をきちんと見てなかった、私が悪かったのかなと、今は思ってます」
そう。良太だけが悪いわけではない。結婚を焦って、良太がどんな男か、きちんと見定められなかった、私も悪かったんだと思う。
私の返事を聞いて桐谷さんは困ったように首を傾げた。
「鈴代さんは悪くありません。自分が悪いなんて言ってしまうのは、優しすぎます」
「そうですか?」
「失礼ながら、今は結婚したいですか?」
「えっと、そうですね。今すぐとは言いませんけど、いずれは……」
付き合う前から結婚とか、重い女だと思われたくない。でも正直、桐谷さんはとても良い夫になりそうな、結婚向きな男性だなと思う。だからいずれはと、夢見てしまう。
眼鏡の奥の桐谷さんの瞳が、物憂げに揺らめいた気がした。
そのまま裏路地を入って行き、目立たぬようにひっそりと佇む純和風なお店。
クリスマス感はまるでない。
「蟹料理の店です。鈴代さん、甲殻類が好きだとおっしゃってましたよね」
「大好きです!」
力説したら桐谷さんが嬉しそうに笑みを浮かべた。
もちろん蟹は好きなのだけど、それ以上に私の好みを覚えてて、選んでくれた気持ちが嬉しい。
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