夜景デートはゴージャスに
十二月に入ると一気にクリスマスカラーだ。街が浮き足立つように、私の心も浮ついた。
私は桐谷さんが好きで、たぶん桐谷さんも私が好き、だと思う。
私が泣いたら、すぐに駆けつけて助けてくれた。私の代わりに怒ってくれた。
とてもとても嬉しい。
しかし、一つ困ったことがある。お互い好意はあるんだろうと思うが、告白された訳でもないし、おつきあいしてるわけではない。
はっきり告白すればいいのに、恥ずかしくてうっかりまた食べ物話でごまかしそうだ。
桐谷さんも慎重すぎるというか、奥手すぎるというか。クリスマスが近づいてきてるのに、告白するようなそぶりも見せない。
だから。タッパーを返してもらい、新しい料理を届けに行ったときに言ったのだ。
「綺麗な夜景が見えるおしゃれなレストランで食事がしたいです」
私のリクエストに、桐谷さんはパチパチと瞬きをして驚いた。
私が今までリクエストした店を思い返す。
天ぷら、鰻、串カツ……色気より食い気な店ばかりだった。
食い気より色気な店を選んだら、デートになるのではないだろうか。
桐谷さんは眼鏡の奥で、瞳を泳がせながら言った。
「わかりました。お礼の分も含めて、良い場所にご案内できるように調べておきます」
お礼という言葉に引きつる、これは照れ隠しなのか。実は私に好意なんてなかったんだろうか? ちょっと不安になった。
でも……これはデートに違いない。そうじゃなくても良い店に連れていってくれるんだろう。
どんなゴージャスな店でも恥ずかしくない服装を着て、待ち合わせ場所に向かった。
「スカイツリーですか? ソラマチとか色々飲食店ありますよね」
スカイツリーにはソラマチという商業施設がある。東京の下町がイメージで、日本の伝統文化と現代のセンスを融合したような、モダンなインテリアが印象的だ。
おしゃれなファッションや雑貨屋、ちょっと高級な店、水族館やプラネタリウムまである、まさしくデートスポット。
「鈴代さんこちらです」
「え? 展望台行きのエレベーターですよ」
「はい。レストランは展望台にあるので」
「えぇ!」
呆然としてる間に、エレベーターはぐんぐん上がっていく。
スカイツリーのエレベーターは四台あって、春夏秋冬、四種の内装が施されているらしい。
私達が乗ったのは夏で、隅田川の空に打ち上げられた花火をイメージした江戸切子がドアの上に飾られていた。
「夜景の綺麗なレストランというリクエストでしたので。東京で一番高いところなら、一番綺麗かと思いました」
綺麗な夜景とリクエストしたが、これは予想の斜め上すぎだ。驚きすぎて心臓が痛い。
電気が消えた暗いエレベーターに灯る、江戸切子の電飾と、あの日た花火が重なって、少し気が緩んだ。
「綺麗ですね」
「鈴代さんは江戸切子が好きでしたね。これを見られて運が良かったです。ここのエレベーターは四季を選べないので」
ああ、そうか。同じものを見ても何を思い浮かべるか違うのだ。
私はあの日の花火を思い浮かべ、桐谷さんはペアグラスを思い浮かべた。
違うけど、どちらも二人の記憶なのが、とても嬉しい。
スカイツリーの展望デッキ、フロア345にたどり着いた、音もなくすっと扉が開いた瞬間、広がる景色にため息がこぼれた。
「わぁ……綺麗ですね」
ガラスの向こうに広がる夜景の美しさに、思わず見とれてしまった。
高すぎて少し雲がかかるだけで、夜景を見られない。今日は運よく晴れているらしい。
夜の闇は遠すぎて、夜景の見分けがつかない。どれが新宿都庁で、どれが池袋のサンシャインタワーなのかもわからない。
わからないけれど、この美しさを桐谷さんと一緒に楽しめるのは良いな。
「初めて来ましたが、綺麗なものですね」
「スカイツリー初めてなんですか?」
「東京タワーも登ったことはありません」
そこまで筋金入りか。案外東京に住んでると行きそびれるかも。デートでもないかぎり。
もしかして、桐谷さんの初デート? だったらとても嬉しい。素敵なデートスポットで告白してくれないだろうかと胸が高鳴る。
そのまま案内されるがまま、フレンチレストランへ。
フロア345の周囲半分を、ぐるっと回る作りで、景色を眺めながら食事ができる。高級感あふれる店内に、いくらするんだろうとハラハラした。
店内のテーブルは全部埋まってて、人気なのがわかる。外国人と思われる客も多い。
「フレンチのコース料理を予約しておきました」
「あ、あの。ここ、凄く高そうで、奢ってもらうの、申し訳ないような……」
「安くはありませんが、料理だけなら、そこまででもありませんよ。浜松の鰻と変わらないくらいです」
「へ? そうなんですか?」
意外だなと思いつつ、ドリンクメニューを差し出されてギョッとした。
「あ、あの。見間違え、じゃないですよね。なんだかボトルワインの値段が……」
一番安いチリワインで七千円。一番高いので一〇万円なんて恐ろしすぎる。
「ええ。ですから。料理だけならそこまで高くないと。ボトルワインは高級な物しか扱ってないのでしょうね。鈴代さんは何がいいですか? 二人で飲むならボトルですよね」
「グラスで! 一杯だけでいいです」
グラスワイン一杯千円代というだけで、すでに泣きそうだ。
「それでは足りないのでは?」
「お酒は二軒目にしましょう。ここは食事を楽しむのをメインに」
「わかりました」
桐谷さんは酒好きだからか、ちょっと残念そう。支払うのは桐谷さんだし、文句をつけるのもどうかと思うけど。
それでも庶民的な私は、こんな贅沢したら、恐ろしくて料理の味も味わえない。
色んな意味で緊張で震えながら、グラスワインをかかげて。
「乾杯」
本式の乾杯は、ワイングラスを当てないと初めて知った。
高級ワインを入れるなら、グラスも超高級かもしれない。ぶつけるのが怖いのも頷ける。
たった一杯なので、惜しむように一口だけ口に含んだ。
ワインに詳しくない私には細かい違いはわからない。でもとてつもなく美味しく感じた。思わずグイグイ飲みたくなるのを堪える。
その後出て来た料理を見て目眩がした。
もはやこれは料理じゃなく
四角い白皿の上に、オレンジ色に透き通ったカラスミ、みずみずしく赤いラディッシュ、黄色のパプリカ、ルッコラの葉が一枚。絵を描くようにかけられたバルサミコソース。
皿の選び方、盛り付け方、食材の彩りのバランス、ソースのかけ方。全ての面で芸術的に美しすぎて、眩しくて、フォークをつけるのが恐れ多い。
「どうかしましたか? 美味しいですよ」
私が手をつけないので、桐谷さんは平然と食べながら、小首を傾げている。
「あ、あまりに綺麗で、食べるのがもったいないな……と」
「残すのは、もっともったいないです」
その通りだよね。観念して一口。
カラスミって初めて食べたけど、高級食材だ。和な感じの食材に、ラディッシュ、パプリカ、ルッコラが一切れづつ。
そこにバルサミコ酢が効いたクリームソースが、とびきり美味しいぃぃ。
ただ。一口サイズがちょんちょんちょんと三つで一皿が終わり。前菜とはいえ、あっけなさすぎて寂しい。
もっと野菜だけでも乗せてよ。見栄え重視で一切れづつなんて。
思わずバンバンと、机を叩きたくなるのを堪えた。
コース料理だからその後も続いた。和と洋の高級食材を使ったコラボレーション。そのどれもがあまりに美しすぎて、量が少なさすぎて。
とても美味しいのだけど、素直に味わえない複雑な気分。
桐谷さんの白くて細くて華奢で、少しだけ筋張った手が、華麗にナイフとフォークを動かして、とても綺麗に食べていく。
地味目な容姿なのに、ゴージャスな店に全く気後れもせず、自然と溶け込む。
その姿に見とれてしまった。
「どうかしましたか?」
「い、いえ。なんでもないです」
美しすぎる料理とワインの値段と桐谷さんが気になって、せっかくの夜景を見る余裕もない。
神楽坂のフレンチは、もう少しボリュームがあって、ワインも手頃で、気軽に楽しめたなと黄昏る。
デザートまで食べ終わった所で、桐谷さんがしょんぼりしていた。
「お口に合いませんでしたか?」
「とんでもない。とても美味しかったです」
今度からリクエストする時は、予算上限指定も入れておこう。こんな値段が心臓に悪い店ばかりだと落ち着かない。
「混んでるようですし、行きましょうか」
「は、はい」
店を出てまた展望台に戻る。このままここで告白か?
「二軒目に行きましょうか。どこがいいですか? ソラマチは詳しくないですが、飲食店がありましたね」
「ま、待ってください。もうちょっと、夜景がみたいです」
せっかくのデートスポット。文句なしに美しい夜景。それなのにろくに堪能もせず、料理を食べるだけで終わりはせつなすぎだ。
「わかりました」
そのままゆっくり二人で歩き始める。
のんびり夜景を眺める桐谷さんは、あまりにいつも通りにすぎて、まさか本気でデートだと思ってないんだろうかと疑い始めた。
「夜景に興味はなかったのですが、まるで星の上にきたみたいですね」
「ええ。桐谷さんは星が好きですか?」
「はい。子供の頃は天文学者になりたいと思っていました。冬の星座はオリオン座を起点に探すといいです。オリオン座は一等星だからよく目立って」
天文学者になりたかった子供の頃を想像するだけで、心がほっこりするし、食べ物と猫以外の話題がスラスラ出てくるのも初めてで、とても嬉しい。
「これ以上登れませんので、そろそろ降りましょうか」
床はゆったりとした傾斜があり、ぐるっと一周してる間に、いつの間にか上のフロア350までたどり着いていた。これより上の展望回廊は、別料金のチケットを買っておかないと登れない。
空の上のデートが終わってしまうのが寂しくて。何にも変わらない桐谷さんに慌てた。まったく告白しそうもない。
私はしびれを切らし、思い切って口を開く。
か細い声が震えてしまった。
「あ、あの……。今日はデートではないのですか?」
「え?」
桐谷さんは口を開けてぽかんとしてる。本気で驚いてるところを見ると、デートのつもりがなかったのは明白だ。
胃袋で心も繋がって、解った気になっていたけれど、どうやら本当は何も解っていなかったのかもしれない。
ちゃんと言葉にしないと伝わらない。
このチャンスを逃したら、もう二度とない気がして、勇気を振り絞った。
「私は桐谷さんが好きです。だから今日はデートかと思って楽しみにしてました」
誤解しようもないほど、直球ストレート。
ガタンッ。桐谷さんがよろめいて、転びかけて足を壁にぶつけた。痛そうな音が響いた。
「夢かと思いましたが、痛かったです。夢じゃないんですね」
「へ?」
「僕を好きになるなんて、ありえないと思っていたので」
そう言ったあと、桐谷さんは真っ赤な顔をそらして、深呼吸を繰り返した。
この気の動転ぶりは、私のことが好きだからだよね? ただ鈍すぎて、私の気持ちに気づいてなかっただけで。
呼吸と眼鏡のずれを整えた桐谷さんは、真正面から私を見て綺麗な顔で笑った。目尻に涙まで浮かべて。
「ありがとうございます。とても嬉しいです。僕なんかを好きだと言っていただけて」
「僕なんかって、桐谷さんは自己評価が低すぎです。優しくて、真面目で、誠実で、一生懸命で、私のために怒ってくれた。素敵な人です」
やっと、やっと言えた。
言葉にしないと伝わらないほど、鈍い桐谷さんには、はっきり言わないとダメだ。
そこまで言い切ってから不安になる。好きだとは言った。でもまだ返事をもらってない。
気持ちは嬉しいけど、ごめんなさいだってありえる。
「あ、あの。桐谷さんは、その、私のこと」
おそるおそる見上げたら、桐谷さんはまっすぐに私を見る。
いつもクールな桐谷さんとは思えないほど、熱を帯びた瞳が私を射抜いた。
「僕も鈴代さんが好きです。会うたびに、どんどん好きになって、絶対無理だと思ってても止められないほどに、僕は、貴方に恋をしてしまいました」
情熱的な告白を聞いて、私は身体中がカーッと燃え上がったような気がした。嬉しくて、恥ずかしくて、でも嬉しくて。
私たちやっぱり両思いだったんだ。
「それなら、これからは契約ではなく、お付き合いですよね?」
念のための確認で言ったら、桐谷さんがなぜか固まった。
桐谷さんの顔が、悲しげに歪んでいく。
「僕は、鈴代さんに恋をしています。今も。心から愛してます。鈴代さんには笑顔でいてほしい、幸せになって欲しい。世界で一番大切な人です。でも……」
そこでためらった後、深く頭を下げた。
「すみません。でもお付き合いはできません。だからこれからも契約で」
なぜ? なぜ? なぜ?
互いに好きなのに付き合えないって、どうして?
私の思考回路はショートした。
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