幕間4

 もうじき日付が変わる頃。腹の虫が鳴り止まない。記憶が確かなら、冷蔵庫に何もない。

 でも納期まで時間がないから、買いに行く時間もない。

 眠いし、だるいし、少しでも休みたいが、ここまで差し迫ってるのは、自業自得なのだから、仕方がないと栄養ドリンクをぐいっと飲み干して、仕事を続けた。


 そう、自業自得なのだ。

 DM攻撃をされたと言った彼女の声は、涙まじりに震えてた。

 感情的になっている相手ほど、冷静に話を聞かないといけない、そう言い聞かせてたつもりだが、内心腹わたが煮えくり返っていた。


 怯える彼女を守りたい、彼女を傷つけるものは許さない。

 だから一刻も早く犯人を見つけないと、仕事が手につかなかった。やり返してやらないと気がすまなかった。

 本人が望んでもいないのに、復讐方法まで考えて、結果仕事が滞った。


 復讐しますかと聞いたとき、鈴代さんは怒らなかった。それでも僕が気が済まなくて、勝手にアイツらに釘を刺した。

 本人が望んでないことまでやろうとしてる。

 僕は鈴代さんの家族でも、恋人でもなければ、友達と呼べるかも怪しい。

 そんな人間が口出す権利なんてないのに。


 でも、彼女が困っている時に、助けにいくことができたのは嬉しい。他の誰でもなく自分を頼ってもらえたのが。


 余計なことを思い出してタイムロスした。睡眠不足で集中が切れてるのかもしれない。少し仮眠でもと思いつつTwitterをチェックした。

 0時を過ぎていたから。


 予想通り飯テロツイートが流れてきた。今日はバインミーだ。嬉しそうに食べている鈴代さんの笑顔を思い浮かべるだけで、疲れが吹き飛ぶ。

 ふとカレンダーを見て、気がついた。

 お礼の食事をしてないのに、しばらく仕事が終わらない。早めに謝罪しておこう。

 そう思ってDMを送ったら、電話がかかってきた。また何かあったのかと心配になって、焦って声を取り繕う冷静さを欠く。


『……鈴代さん。どうかされましたか?』

『メール拝見しました。今、仕事が忙しいと。もしかして、私のせいですか? DM対応のせいで、仕事が溜まってしまったのですか』


 どうしてこんなに、さといのだろう? 

 僕が勝手に腹を立てて勝手にやったことなのに、自分を責めるだろうと思ったから。知られたくなかったのに。


『すみません。私のせいで』

『……いえ、僕がしたくてしたことなので。気にしないでください』

『仕事が忙しいなら缶詰で、外食してる余裕ないですよね。ちゃんと食事してますか?』

『……たまにコンビニに買い出しに……』


 電話の向こうから、溜息が聞こえた。


『明日、お伺いします。バインミーを差し入れと、缶詰中に食べられる食事も一緒に。こちらで作って持っていきます』


 差し入れると言われ一瞬、喉が唸ったのは仕方がないと思う。

 これだけ腹が減って、あのツイートを見たばかりだから。


『そ、そんなことをしていだだくのは申し訳な……』

『私がしたくてすることなので、気にしないでください』


 そう言い切った鈴代さんの声が、少し怒って聞こえたのは、気のせいだろうか?

 怒るということは、相手へ関心を持つことなのかもしれない。

 僕が鈴代さんを傷つける人間へ、怒ったように。鈴代さんも僕の体を心配して怒ってくれたなら、嬉しいと思う。


 明日、鈴代さんが来た時に、心配させないために、一眠りしてシャワーを浴びよう。

 そう決めてタイマーをセットして、布団に倒れこんだ。



 夢を見た。あの人の夢だ。

 昔の若かった顔と、最近の老いた顔。交互に出てきて、調子よく笑ってる。


『貴方のことを忘れたことはないわ。ずっと会いたかったの』


 嘘だ。

 恋のために僕を捨てたのに、今更近づいてきたところで、怒りすらわかない。

 好きの反対は無関心。嫌いという感情を向けることさえ億劫だ。我慢してやり過ごせばいい。そう思っていたけれど。


『離れていた時間を埋めるために、一緒に暮らしましょう。料理も作ってあげる。だからマンションなんて売ってしまいましょう』


 媚びへつらった笑顔の裏の下心を考えただけでムカムカする。


『私を見捨てるの? 今貴方に捨てられたら、私は死ぬしかないわ。私が死んでも良いっていうの?』


 嘘だ。死ぬ気なんてさらさらない癖に。わかっていても、命を盾にしたそのやり口は、精神的に辛い。

 振り払っても、消えないその顔が、夢だとわかっていても不愉快だ。現実だけでなく、夢にまでしつこく付きまとってくるな! そう思っても無駄で。

 イライラして、もやもやして……。


「にゃー」


 はっと胸に重みを感じて目を開けると、幸音シオンが僕の上に乗って鳴いていた。

 枕元の時計を確認すると八時ちょうど。六時にタイマーをセットしたはずが寝過ごしたようだ。

 早く餌をくれと言わんばかりに、頬を踏まれて、思わず笑みがこぼれる。


「悪夢を払ってくれてありがとな。幸音シオン


 餌皿にカリカリを入れたら、もはや僕には興味ないと言わんばかりに喰らいつく。

 食べたい時に食べ、寝たい時に寝て。これくらい本能のままに生きられたら楽だろうと、感心する。


 ふと幸音シオンの寝顔で思い出した。キャットタワーの上がお気に入りで、よく寝ている。

 記憶は連鎖する。キャットタワーの前で、真っ赤になった鈴代さんの顔。

 なぜあの時あんなに顔を赤くしたのか。うっかり勘違いをしそうだ。


 女性と付き合うどころか、二人きりで話をしたこともない僕に、鈴代さんが好意を持つわけがないのに。


 バカなことを考えるのは辞めよう。シャワーを浴びて、すぐ仕事に戻って、少しでも早く仕事を片付けなければ。



 三年前、ネットを通じてアビシニアンとして、彼女の嘆きを聞いた。どれほど辛く苦しかったか、文字だけでも伝わってきた。

 橋田良太と再会したあの日、怒りをぶつけて当然なのに、青ざめて震えるだけで、何もできない彼女のか弱さが、とても不安だった。


 悪意の塊のようなあの人と戦う強さが、あるだろうか。

 鈴代さんを傷つけるくらいなら、僕と一緒にいるべきじゃない、そう思う。

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