なんちゃってアジア風カレーと犯人
とんとんとん。三徳包丁をリズミカルにまな板に叩きつける。
また、桐谷さんへ料理を作れる、とても嬉しい。
謎のDM攻撃とハッキングはショックで、Twitterを見るのを辞めた。
ハッキングは失敗してるのに、DMに個人情報が入っていた。犯人は知り合いかもしれない。そう考えただけで、ぞっとする。
桐谷さんは私のパソコンを遠隔で監視している。ハッキングされたらすぐわかるらしい。
不気味で不安だけど、桐谷さんがいれば大丈夫。そう思うと落ち着いて料理ができた。
今日の料理は汁なしアジア風カレー。適当にごちゃ混ぜで、どこの国かもわからない。
フライパンにココナッツオイルをたらす。ニンニク、クミンシード、カシューナッツを炒めた。香りがうつったら、玉ねぎ、人参、ひき肉、キノコをいれて炒める。生クリームを少しと、バターを入れて味を見る。
カレー粉は味も香りもしっかりあるし、さらにクミンシードが鮮烈な香りを足している。野菜や肉の旨味もあって、生クリームやバターのコクがある。
何よりココナッツオイルの甘い香りと、香ばしいカシューナッツが入ってるのがアジアンカレーっぽい。
カレーの後に、一杯飲むつまみ用に、バジルチーズを作っておいた。生バジルやオリーブオイルと塩胡椒を混ぜ、チーズをつけて一週間という簡単料理だけど、絶対酒に合う。
テーブルクロスと皿選びにこだわり、料理を並べる。
青い切子グラスも一緒に。小さすぎるから水を入れるだけ。それでも嬉しい。
そういえば、さっきまで走り回ってたシオンはどうしているのだろう?
リビングをうろうろ探したら、キャットタワーの上で、すぴーすぴーと気持ち良さそうに寝息を立ててる。走り回って疲れたかな?
口元がヒクヒクしてるのが可愛い。
この子のおかげで、桐谷さんとの話題も増えたし、縁結びかな。
桐谷さんはシオンとどんな風に過ごしてるんだろう。話しかけちゃったりして、なんて考えるだけで、思わず頬が緩む。
「鈴代さん?」
「ひゃ、ひゃい」
すぐ側に桐谷さんがいたことに気づいてなかった。にやけていたの恥ずかしい。思わずびっくりして跳ねてしまった。
がたん。キャットタワーにぶつかって、ぐらぐらと揺れる。
とっさに桐谷さんがキャットタワーを押えるために、手をついた。
タワーと桐谷さんの間に挟まれ、至近距離に顔があった。これは壁ドン。
一瞬目があって、刻が止まったように、心臓の音がうるさい。
「みゃあ!」
シオンがキャットタワーからジャンプして、桐谷さんの頭を蹴って逃げた。痛そう。
「だ、大丈夫ですか?」
「爪は立ててなかったので。最近手加減を覚えてくれたみたいで、食事にしましょうか」
そう言いながらカレーへ顔を向ける。片手で眼鏡のズレを直してて、表情がわからない。
恋の匂いが漂った気がしたが、そんなことはなかった。やっぱり恋より飯かもしれない。
甘くてスパイシーな香りを嗅いで。桐谷さんは目を輝かせた。
「凄い良い香りですね。ココナッツとカレーの強い香りが」
「食べて見てください。自信作です」
桐谷さんがゴクリと喉を鳴らし、スプーンですくって、パクリと一口。
とろけるような笑顔のまま無言になった。
それが語彙力が崩壊するほど、美味しいという表情なのは学習した。
気に入ってもらえて嬉しい。
私も一口食べる。ココナッツオイルの甘い香り、バターと生クリームのマイルドなコク。ピリリと効いたカレーの風味が引き締める。
きのこもだしが出ていて、地味に良い仕事してる。
ひき肉、ナッツと油分たっぷりなのに、この香りの良さとマイルドなコクが美味しくて、不思議とばくばく食べられてしまう。
桐谷さんはガツガツと良い食べっぷりだ。あっという間に食べ終えて、おかわりまでした。よほど気に入ってくれたのだろう。
美味しいカレーを食べて、お腹も心も満たされ、ぼんやりする。
そんな時間が好きだ。
食後の一杯で、おつまみと酒を用意しようとしたところで、桐谷さんに止められた。
「大切な話があります。座ってください」
眼鏡のブリッジをくいっとあげた。声がとても真剣で、話の内容が、少し怖い。
「相手が罠にかかって、特定できました」
「え! 誰ですか!」
思わず前のめりになる。もし身近な人間だったら、ショックで立ち直れなくなりそう。
「相手は橋田恵子。橋田良太の妻です。離婚調停中ですが」
まったく予想外の相手だったので、私は間抜けにぽかんと、口を開けたまま固まった。
一度も会ったことはないし、恨まれる覚えもない。こっちが怒っていいくらいだ。
「何で私が、何で今更……」
理解できずに困惑したが、桐谷さんの声はとても冷静だった。
「ハッキングをして過去のメールの内容や、掲示板の書き込み履歴を確認し、事情は把握できました。完全な逆恨みで、まったく鈴代さんに非はありません」
「逆恨み?」
そこで桐谷さんは、少しだけ言い淀んだ。
「色々問題のある夫婦で、喧嘩は絶えなかったようです。どうやら橋田良太は、鈴代さんの料理をTwitterで見て後悔し「恋音と結婚したらこの料理が食べられたのに」と身勝手に言って、それが離婚の決定打だったようです」
呆れてものが言えないとはこのことか。
勝手に喧嘩して、勝手に私と結婚してればよかったと後悔を口にする。
それで傷つくのはわかるが、でも私を攻撃していい理由にはならない。逆恨みして酷いことをする女も最低だ。
「どうしますか? 貴女が憎んで当然の相手です。復讐したいですか? 僕ができる事なら協力しますが」
「復讐? 協力って、えっと……」
また眼鏡のブリッジを押し上げた。
「メール内容をチェックしたところ、どうやら橋田恵子は不倫をしてます。離婚調停中に不倫がバレると不利になるから隠しているようです。パソコンを遠隔操作して、不倫相手に送るメールを橋田良太に送れます。さらに揉めて、鈴代さんに関わってる余裕もないでしょう」
恐ろしいほどに用意周到な計画だ。
「そ、それって、犯罪ですよね? それに誰がやったか気づかれたら」
「痕跡を残さず、誰がやったかわからないようにできます。万が一気づかれても、あちらも警察沙汰にしようとは思わないでしょう。先にハッキングしたのはあちらです」
あまりにも淡々と話す、完全犯罪に、私のためとはいえ、背筋が凍った。
「もう一度聞きます。復讐をしますか?」
またブリッジを押し上げた。それでやっとわかった。桐谷さんは怒ってるんだ。怒った顔を見せたくないから、眼鏡をいじってごまかしてる。
私の代わりに怒ってくれて、だからこんなに怖いんだ。
「あ、あの。私、復讐しなくていいです」
桐谷さんが少し切なげに微笑んだ。
「鈴代さんは優しいですね。こんな酷いことをされても許すんですか?」
「違います。許す気もないし、腹が立ちます。でも、私が怒る前に、桐谷さんが怒ってくれたからスッキリしました」
「え?」
私の言葉は想定の範囲外だったようで、ぽかんと口を開けて、間抜けな顔になった。
「私、人に怒りをぶつけるのが苦手で、いつも琴子に代わりに怒ってもらって。それで自分もスッキリして終わりにするんです。大切な人が私のために怒ってくれた。それが嬉しいから。もういいかなって」
さすがに良太の時は酷すぎて、そんな簡単に許せなかったが、今回はすぐに助けてくれたから心の傷も浅くてすんだ。もう憎しみを溜めこんで、抱えたまま過ごしたくない。
桐谷さんは急に顔を真っ赤にして俯いた。
「どうかしましたか?」
「いえ、その、大切な人って、僕ですか?」
言われて気づいた。ずいぶん大胆な発言だ。これでは告白同然ではないか。
この勢いのまま、はっきり言ってしまったほうがいいかと、悩んで、困って、ぐるぐるして、うっかり口を滑らせた。
「桐谷さんと食事をするのが好きです。他の誰でもダメで、桐谷さんと食べたいんです」
結局愛の告白でも、飯になってしまった。
それなのに、桐谷さんはとても嬉しそうに笑った。
「僕も鈴代さんと食事をするのが好きです。鈴代さんが美味しそうに食べる姿を見てると、食事がいつもよりずっと美味しい」
私の言葉も、桐谷さんの言葉も、愛なのか? 食い気なのか? 微妙だ。
それでも胃袋でしか繋がれない、私達なりの愛の言葉かもしれない。
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