飯テロでメッセージ

 とんとんとん。相棒の三徳包丁は今日も切れ味抜群だ。

 ことことこと。鍋から美味しそうな出汁の匂いが漂って、機嫌がよくて鼻歌を歌いそう。


「できた!」


 今日はあの日桐谷さんと一緒に食べられなかった海鮮キムチ鍋。

 お気に入りのテーブルクロスをしいて、料理を置き、青い切子グラスを並べる。


 ……料理もグラスも二人分。


 一眼レフのカメラで、二人分の皿が見えるように写真を撮るのは初めてだ。

 撮影したら、さっそく実食、この美味しさを言葉で表現したい、考えながら味わう。


 キムチを控えめにしたから。蟹やエビの旨味たっぷりの出汁が美味しい。

 出汁がしみた白菜は甘くて柔らかくて、ニラの香りが食欲をそそって。

 鍋のシメは卵を入れた雑炊。とろっとろの卵で辛さがまろやかになって……正義だ。


 そろそろ0時。写真をつけて投稿した。


『寒くなったから、今日は海鮮キムチ鍋。お気に入りのグラスを二人分出して。一緒に食べたいくらい、今日の料理は美味しかった』


 桐谷さんのアカウントも、アビシニアンのアカウントも相互フォロワーのままだ。だからこのツイートも見てると信じて。

 次々に「飯テロだ」というレスが流れてくるのを、ジレジレしながら待った。


 桐谷さんがイイねをした時、ガッツポーズをあげてしまった。すぐにDMを送る。


『今日の飯テロは、桐谷さんと一緒に食べたいと思って作りました。もしよろしければ、また作らせてください』


 本当はもっと伝えたい想いはたくさんある。でも口下手な私にできるのは飯テロなのだ。


『とても嬉しいです。是非よろしくお願いします』


 桐谷さんとの関係を終わらせたくない。契約で食事を作るとまた約束をするのだ。

 桐谷さんのDMを何度も見返して、嬉しい気分になったその時だった。

 突然見知らぬアカウントからDMが届いた。思わず震えるほどに驚いた。


『深夜を狙って、飯テロするの迷惑です。人の迷惑を考えられない最低の人ですね』


 体の血管が逆流するような感覚と、心臓が壊れそうなほどの動悸。見知らぬ人からの不意打ちの酷い言葉に、頭が真っ白になった。

 その後も、全て違うアカウントで、続々とDMが送られてくる。


『自分は料理上手な女なのってアピールwwキモい。あんたみたいなブス、誰も相手にするわけないじゃん』

『飯テロで釣って、昔の男をなびかせたい尻軽ビッチ』

『私は特別なのって勘違いが痛い。アンタの下手くそな料理、誰も相手にするわけない』

『写真や文章のプロって、自慢したいの?』

『飯テロだなんて言われて、良い気になってるんじゃないよ、アバズレ』


 あまりに酷い罵詈雑言がどんどん送られてきて、途中でツイッターを見るのを辞めた。でもスマホの通知音が鳴り止まない。

 あのDM、何でこんなに送られるの? 何で? 何で?


 Twitterの通知は切ったけど、まだあのDMを送られるづけてるのだろうか?

 あまりの惨さに、身体が震えて、吐き気がしてきた。

 誰か、助けて……。


 メールの着信音が鳴った。一瞬ビクッとして、恐る恐るスマホを確認する。桐谷さんだ。


『DMを送ったのですが、返事がなかったので。何かありましたか?』


 優しい言葉に、藁をも掴む思いで、電話をかけた。


『……助けてください』


 動揺で声が震え、涙混じりになった。そう言うのが精一杯で、まともに説明できない。


『僕ができる事なら、何でもやります。だから落ち着いて、深呼吸をして』


 冷静な声を聞き、言われた通りに深呼吸する。何度もするうちに、少し落ち着いてきた。

 それでおかしなDMが、大量に送られてきたと説明する。 


『それは酷い。ショックですよね』

『……はい』

『あの、深夜に大変失礼かと思いますが』


 そこでちょっとためらうように沈黙して、震えた声で言った。


『今からご自宅にお伺いしても良いでしょうか? ただの嫌がらせだと良いのですが、最悪パソコンにハッキングされている可能性もあります。早急に状況を確認したいです』


 ハッキング? 言われた言葉に一瞬ゾッとした。


『DMの内容に、鈴代さんの個人情報が含まれているので。知り合いか、ハッキングで情報を抜かれてるのか、調べた方が良いです』


 桐谷さんの冷静な判断がとても頼もしくて、お願いしますと言った。

 それから部屋の状況を見渡して慌てる。いつもよりマシだけど、好きな男性に来てもらうには恥ずかしすぎる惨状だ。

 少しでもマシにしないと。大慌てで掃除をしたら、余計なことを考えてる余裕もなくて、ショックを一時的に忘れられた。


 ぴんぽーん。

 掃除が終わったころに、チャイムが鳴った。

 桐谷さんだ。服装おかしくないかな? でも家の中でおしゃれするのも不自然だ。

 慌ててカジュアルだけど、みっともなくない服に着替えて玄関へ走る。


「夜分に失礼します。大丈夫ですか?」


 桐谷さんの表情が暗い。声が苦しげで、心配してくれてるのが伝わって来て、それだけで嬉しかった。


「大丈夫です。桐谷さんが来てくれたので」


 桐谷さんがほっとしたように、かすかに笑みを浮かべ、部屋に入ってきた。

 持参したノートパソコンを取り出し、手慣れた手つきでセッティングする。


「ネットに繋がってる環境は、パソコン一つとスマホだけですか?」

「え、ええ……」

「パソコンを拝見しても良いでしょうか?」

「は、はい。お願いします」


 冷静に指示してくれるので、落ち着いてパスワードを伝えて、見てもらう。

 桐谷さんが真剣に作業してるから、邪魔するのも申し訳ない。飲み物だけでもだそう。


 切子グラスを見て、ドキンと心が弾んだ。

 こんな状況で、役に立つとは思わなかった。

 小さいけど、少しお茶を入れるくらいなら、できるかもしれない。冷たいお茶を入れ、邪魔にならないようそっと置く。

 桐谷さんがちらっとグラスを見て、目を細めた。お茶をぐいっと飲み干し、作業に戻る。

 しばらくして、作業が終わったらしい。


「OSが少し古いですが、アップグレードはしないのですか? セキュリティの問題があるので、したほうが良いのですが」

「えっと、あの。仕事で使う高額なソフトがいくつもあって。アップグレードすると買い換えなくてはいけなくて、そのお金が」


 全て買い換えるとなると、数十万単位でかかる。カツカツの経済状況ではとても無理で、仕事用のソフトが使えないのも困る。

 桐谷さんがちょっと悩んでから言った。


「パソコンにハッキングを受けた痕跡がありました」


 何度目のショックか。心臓が止まりそうだ。


「ハッキングを試みて、失敗した痕跡なので、個人情報の流出はないと思います。今後のために、ウイルス対策ソフトを入れておきます。それだけなら高額にはならないです」

「は、はい」

「DMも相互フォロワー以外できないようにしました。DM攻撃もできないと思います」

「あ、ありがとうございます」


 さすがSE。こんなにすぐ色々と対応して、スラスラと説明できるのは頼もしい。


「送られて来たDMを確認しましたが、IPアドレスが全て同じです。同一人物が大量のアカウントを作成して送った可能性が高い。こんな酷い嫌がらせをする人が、まともなはずがありません。鈴代さんは何も悪くないです」


 桐谷さんがはっきり断言してくれて、ほっとした。嫌がらせと思っても、少しは自分が悪かったかもしれないと、落ち込んでた。


「またハッキングした時のために、トラップは仕掛けておきました。もし引っかかれば、相手を特定できるかもしれません」

「そんな事ができるんですか?」

「ええ、逆ハッキングで、相手のパソコンかスマホを見られます」

「それって、犯罪じゃあ……」

「犯罪ですが、相手も犯罪をしてるのですから、目には目をです。手口を見るに素人ですから、バレない自信はあります。警察に相談しても今は動いてもらえない。早めに特定できたほうが鈴代さんも安心できますよね」


 バレない自信があると言っても、もし万が一バレたら、桐谷さんに迷惑がかかる。


「あ、あの、桐谷さんが危険なことして欲しくないです」

「僕がやりたくてやってることですから、お気になさらず」


 桐谷さんをよくよく見ると、眼鏡の奥に怒りの色が見えた。


「卑劣なことをする人間が、許せません」


 きっぱりと断言した。私のために、こんなに怒ってくれる言葉が嬉しくて泣きそうだ。

 桐谷さんがグラスをちらりと見たら、キツイ表情から一点。少し表情が和らいだ。


「今日の飯テロツイートとても嬉しかったです。僕を信頼して頼っていただいたことも。このグラスでお茶をいただいたことも」

「あ、あの、私も。桐谷さんがすぐに対応してくださって、本当に助かりました。一人では怖くて。桐谷さんがとても頼もしいので、安心しました。ありがとうございます」


 桐谷さんがとても嬉しそうに笑った。

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