契約外飲み会

 ぴんぽーん。チャイムを鳴らして待つ数秒。胸の鼓動がうるさい。

 ちょっと酔った勢いか、タイミングの良いメールが嬉しすぎたハイテンションか。

 勢いで桐谷さんの家に来ちゃったけど、迷惑じゃなかったかな?


「鈴代さん。こんばんわ」

「こんばんわ。突然お邪魔してすみません」


 目の下にクマはなく、顔色が良い。よかった、仕事が忙しい缶詰中に邪魔したくない。

 桐谷さんが微笑んでたから、きっと大丈夫。


「来てくださるのは嬉しいですがどうして」

「桐谷さんに会いたいなと思ったときに、メールが来たので」


 ガタン。桐谷さんが何もない廊下で足を滑らせて、壁に手をつく。顔をそらしたけど顔が赤い。

 照れてるのかな? 可愛いなぁとじっと見つめていたら、桐谷さんが、こっちを向いた。


「僕も、鈴代さんに会いたかったので、嬉しいです」


 はにかみながら笑うとえくぼが見えて可愛い。キュンとしてたら、足に柔らかい感触が。


「にゃー」


 シオンだ。自分もいるぞ! と自己主張する姿。良いところを邪魔されたけど可愛いから許しちゃう。

 そっと抱き上げて、柔らかい毛並みに顔を、もふっと埋める。ふわふわのフニフニで気持ち良いな。

 思わず笑みがあふれる。

 こほん、と咳払いが聞こえて、桐谷さんを見上げた。


「羨ましい、ですね」

「シオンちゃん抱っこできなくてですか?」

「それ『も』あります」


 『も』を強調してるけど、他に何かあるのかな?


「缶つまのおすそ分けでしたね。こちらに用意しておいた」


 ダンボールから出てくる、缶詰のつまみ達。種類豊富で面白いな。

 銚子産と大きく書かれた鉄板の鯖の味噌煮缶も、和紙ラベルに包まれ高級感が漂う。

 焼き鳥缶も美味しそう。牡蠣のオイル漬け、エビのアヒージョなんて、洋風な物まである。


「それなんですけど、よかったら、缶つまで、この後二人で飲みませんか?」

「え?」

「私もおつまみを買って来たので。お酒もあります」


 どどーんと買い物袋を見せて、袋から中身を取り出した。

 期間限定ビールと、ナッツやビーフジャーキーの乾き物。完全に飲む気満々の渋いラインナップ。

 桐谷さんがポカーンと口を開けて驚いて、深呼吸して眼鏡のずれを直す。嬉しそうに目を細め、口角があがってアヒル口になった。


「鈴代さんと、お酒を飲めるの嬉しいです」

「買って来たものを食べるだけだし、お酒もつまみも、二人で用意したから、これは契約外のプライベートです」

「……プライベート?」


 桐谷さんが固まって、くるりと私に背を向ける。耳が赤いけど、照れ隠しかな?


「それなら良い酒を開けましょうか」

「ビールに合うつまみも買ってきましたし、よければ海外、国内のクラフトビールとか」

「あります。冷やしましょう。飲みましょう」


 くるっと振り返った桐谷さんが、キリッと真面目に宣言した。

 お酒と食べ物の話だけはイキイキしてるな。

 早速飲み会の準備を初めて気が付いた。


「あ、しまった。カットサラダ買ってくればよかったな。鯖味噌に野菜が欲しかった」

「野菜? この前、鈴代さんに聞いて、新玉ねぎなら買いましたが」

「良いですね。オニオンスライス」

「練習で僕が切ります。ピーラーですが」


 包丁で皮を剥き芯を取ったら。後は大丈夫。

 桐谷さんが玉ねぎに挑戦してる間、私はつまみを開けてお皿に並べたり、ビールを用意し、テーブルを万全の体制に整えておく。

 うん。見事に缶詰と乾き物だらけ。お酒を飲むのがメインなら、これも良いよね。


「桐谷さん。スライスできました?」

「今、水に晒してます……」


 なんだか声が、か細く聞こえて振り返ったら、驚いた。


「桐谷さん。泣いてるんですか?」

「玉ねぎ切ってたら、目が痛くなって」

「もしかして、玉ねぎ切るの初めて?」

「……はい」


 換気扇をつけて、スライスを放置し、リビングに誘導する。キッチンは玉ねぎ成分が空気に充満してるから。


 桐谷さんが眼鏡をとって、涙を拭う姿にドキンとする。

 前にホテルで見たけど、眼鏡とった方が目が大きい。しかも今、涙目で可愛い。


「桐谷さん。眼鏡ないと目が大きいですね」

「ああ、かなり度がキツイので、レンズの屈折率で、小さく見えるかもしれません」


 平坦に粛々と涙を拭って、目頭を揉んで、また眼鏡を装着。

 あ、いつもの地味顔に戻った。ちょっと残念。眼鏡を取ると意外に可愛いの漫画みたい。


「眼鏡なしの顔は自分でも見ないので、よくわかりませんが」

「え? 見ないんですか?」

「ええ。物心ついたころには、眼鏡をかけていました。二十年以上常に眼鏡生活で。眼鏡がないと自分の顔に見えなくて」


 眼鏡は顔の一部です。本当にそんな人いるんだ。


「自分でも見ないって。もしかして、眼鏡を外した姿って、他の人が見ることないですか? 裕人さんや智さんとか?」

「子供の頃、一緒に住んでた時は、寝起きとか見てたと思いますけど。大人になってからはたぶんないですね」


 眼鏡なしの桐谷さんの顔を見られるの、私だけの特権。

 良い。とても良い。思わずニヤニヤしたら、桐谷さんが首を傾げた。


「玉ねぎってあんなに目に染みるんですね。鈴代さんはこの前、大丈夫そうでしたが」

「色々コツはあるんです。玉ねぎは冷やした方が目に沁みないから冷蔵庫に」


 ふむふむと真面目に頷き「後でネットで調べておこう」と呟いた。


「それでも目が痒くなります。そこはもうどうしようもなく、慣れですね」

「慣れですか。料理を作るの命がけですね」


 命がけというほど、深刻な話じゃ無い。思わず吹き出したら、桐谷さんも笑った。二人で笑いながら準備完了。


「乾杯ですね」

「何に乾杯するんですか?」

「何でもない日に乾杯です」


 嘘。本当は契約以外で食事する、初めての日祝いと、心の中だけで思っておく。

 柑橘とホップの爽やかな香り、ライトな味と心地よい渋み。ついグビグビ飲む軽さ。

 桐谷さんはコクのある黒ビールをチョイス。後で少し分けてもらおう。


 脂が乗った鯖味噌は蕩けるような美味しさ。濃厚味噌ダレがかかったオニオンスライスもシャキシャキ、お口さっぱりで、また鯖味噌を食べたくなるエンドレスリピート。

 油に浸かった牡蠣もエビも、素材の旨みがぎゅっとつまって美味しい。


「牡蠣のオイル漬け、エビのアヒージョ、どれも油が美味しいですね。捨てるのが勿体無い。料理に使いたかったな」

「朝食用に、買った食パンならありますが」

「トーストした食パンに、油を染み込ませたら、正義です」


 牡蠣の香りと塩気がしっかり染み込んだオイルに、浸した食パンが、カリッとふわっと美味しいぃぃ。

 合間にぐびっとお酒を飲み干す。気づけば桐谷さんが笑ってた。


「あ、あの。私、変ですか?」

「いえ。美味しそうに食べるのを見ているのは、気持ちが良いですね」


 食いじはりすぎだろうか。恥ずかしい。


「そういえば。鈴代さんの口にあうかわからないのですが」


 桐谷さんが取り出したのは、赤いラベルの小瓶。


「リーフマンスというベルギービールです。複数のベリーを組み合わせたジュースのような甘いビールですが」

「飲みたいです!」


 智さんにカクテルが好きか聞かれた時、甘い酒はと思ったのに、桐谷さんに勧められると飲みたくなる。我ながら厳禁だ。

 赤い液体に綺麗に泡が立つ。ベリーの鮮烈な香りが華やかだ。

 一口飲むと濃厚な果汁感。甘くて酸っぱくて、物凄く美味しいベリージュースと思いきや、後味が少しほろ苦い。そこがビールだ。


「食事には合わなさそうですが、デザートで飲むなら、これも良いですね」

「気に入っていただけてよかった。今度また、買っておきますね」


 私のためにと用意してくれるお酒。とても嬉しい。思わずぐびぐび飲んでしまって、あっという間に無くなった。

 ジュースみたいに飲み口が軽いから、ついつい……なんだけど、これもお酒。アルコール度数は低くない。焼肉でも飲んだし、飲みすぎかな?

 なんだかふわっふわっするし、言葉もするする出てくる。


「桐谷さん、眼鏡がないほうが素敵です」


 あれ? 桐谷さんの顔が赤い。酒に酔ったのかな。眼鏡のブリッジを抑えて、手で顔を隠すのは、顔を見られたくないからかな?


「……いえ、眼鏡なしだと全然見えなくて」

「見えないって、どれくらいですか?」


 思わずこてりと小首をかしげる。私は視力が良いので、見えない世界は想像できない。

 桐谷さんは困ったように首を傾げてから、そっと眼鏡を外した。眉間にシワを作って、じっと私を見据える。


「今、この距離でも、鈴代さんの顔がぼやけて、誰だかわかりません」

「へ?」


 リビングテーブル一つ挟んだだけの距離。離れてないのに、誰だかわからないなんて、不思議だ。


「どれくらい近づいたら、見えるんです?」

「そうですね……」


 桐谷さんがそっとテーブルを掴んで立ち上がる。ゆっくり私の隣に立って、椅子の背もたれに手をかけた。

 あ、あれ? だいぶ距離が近いような。桐谷さんの顔が近づいてくる。心臓がばくばく跳ねたまま固まった。

 唇と唇の距離がわずか5cm。そこまで近づいてピタッと止まった。眉間のシワが消えて、ふわっと笑った。


「やっと見えました。あれ? 鈴代さん。顔が赤いですね。お酒に酔いましたか?」


 酔ってるけど、そうじゃない。この距離感に気づいて! 心の叫びに気づいたのかな?

 桐谷さんが固まった。至近距離で二人共に固まって、見つめあい、そして……。


「ぎゃあ!」


 突然桐谷さんが悲鳴をあげて足をあげた。

 足元を見ると、シオンがかかとを噛んでいる。手で振り払うと、シオンはさっさと逃げ出して、隣の部屋へ駆け込んだ。


「時々、なぜか踵を噛んで、逃げていくんですよね」


 桐谷さんがため息をこぼした。

 シオンに邪魔されたのか、助かったのか。気まずい空気は霧散した。

 すちゃっと眼鏡をつけた桐谷さんは、もう平常運転の真面目顔。


「もう遅いですし、鈴代さんはだいぶ酔ってます。タクシーを呼びますので、お帰りになったほうがいいですね」


 楽しい時間の終わりの合図に、私はとても寂しくなってしまった。


「もう少しだけ、飲みたいです」


 ほう……と桐谷さんがため息を着くのが聞こえた。ちょっと眉間にシワがよってて、怒ってる?


「夜遅くに、酔っ払った男と部屋で二人きり。鈴代さんは怖くないんですか?」

「桐谷さんを信用してますから」


 好きだから、何かあってもいいなんて、恥ずかしすぎて言えない。

 桐谷さんはさらに眉間のシワを深くした。


「僕が、そんなに信用できる男だと、思わない方がいいですよ」

「へ?」


 桐谷さんが信用できない? 

 想像つかないけど、桐谷さんもやっぱり男。

 私に手出しする気があるんだろうか?

 

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