飯テロツイートの裏側

 とんとんとん。三徳包丁でリズミカルに新玉ねぎを薄くスライスしていたら、足にするりとまとわりつく、柔らかくて温かい存在。

 見下ろすと三毛猫が一匹。食べ物をねだるように、甘い声で鳴いて見あげてきた。


「餌はさっきもらってたから、ダメ。包丁使ってる時は危ないよ」


 人間の言葉が通じるわけもなく、まだ納得いかないようにまとわりついて鳴き続ける。


「シオンは鈴代さんに、とても懐いてますね。僕は、噛み付かれたり引っかかれたり」


 とても残念そうに溜息をこぼす桐谷さんの手は、ばんそうこうだらけだ。

 拾ってきた子猫をお迎えしてシオンと名付けて一ヶ月。未だに慣れない猫の世話に悪戦苦闘して、助けてくださいと泣きつかれた。

 そろそろまた料理を作りに行こうと思ってたから、ちょうど良かった。


「桐谷さん。シオンちゃんの目をじっと見たりしませんか?」

「しますね。目と目をあわせて話すのが、礼儀ですから」


 猫にまで礼儀を通そうとする、生真面目さに思わず吹き出しそうになってこらえる。

 そんな所も可愛いなと思ってしまう。これって恋なのかな?


「猫と目を合わせるのは喧嘩の合図。じっと見たら、喧嘩を売られると思われますよ」

「そうなんですか?」


 びっくりして、ではどこを見ればいいかと真剣に悩む姿もおかしい。

 猫一匹に右往左往して、毎日のように質問がくる。シオンの写真も一緒に送ってもらえて、猫好きだから嬉しい。

 シオンの写真をスマホの待ち受けにした。

 自分で猫は飼えないけど、半分私が飼ってる気分だ。


「フライパンで炒め物なので、危ないからシオンちゃん連れてってもらえますか?」

「はい」


 桐谷さんがシオンに手を伸ばしたら、がぶりと噛み付かれた。散々暴れながら、仕事部屋に隔離される。


「猫を育てるって、大変ですね」

「慣れてないから、シオンちゃんも緊張してるんですよ。慣れればもっと落ち着きます。それよりも、絶対カリカリしかあげちゃダメですよ。贅沢したら元に戻れませんから」


 猫のしつけは最初が肝心だ。カリカリは猫の栄養を考えると、それ一種類で十分。

 缶詰やパウチの方が美味しいし、一度食べれば猫は缶詰をねだるようになる。

 カロリーオーバーで太って病気の元だ。


「美味しいもの、食べさせてあげたいなと思うのですが」

「でも長生きしてもらうためには、カリカリだけで育てるのが一番ですよ」

「カリカリだけでも、とても美味しそうに鳴きながら食べるのが可愛いです」


 柔らかく微笑む桐谷さんが、とてもリラックスしてみえた。

 毎日メールするから、慣れたのか。以前より距離が近くなった気がして、それが嬉しい。


「でも、今日の料理、本当に好きにしていいのですか?」

「ええ。お願いした通りで」


 今日のオーダーは私が食べたい料理。作る側なのに、私が食べたいものでいいのかな?


「そういえば……ダンボール箱をカートに積んでいらっしゃいましたが、あれは?」

「あれは煮込み中の料理です。保温調理器具を使ってるので、今も調理中で」


 保温調理器具の内側にステンレス鍋がある。

 ステンレス鍋を火にかけ、沸騰するくらい煮込んでから、外鍋にいれて蓋をする。

 外鍋が温度をキープして、何時間もかけて、緩やかに温度が下がっていく。時間をかけてじっくり煮込む。

 野菜が煮崩れしにくくて、光熱費も優しい。


「鍋ごと持ってきたのですか。凄いですね」


 口をぽかんと空けて驚かれた。呆れられたかな? 煮物は時間をかけると味が染みる。

 今日の煮物は、下拵えに時間がかかるので、この家に来てから作ると間に合わないのだ。

 いつもは私が料理中、桐谷さんは仕事してて、一人でのんびり料理ができたのに、今日はずっとリビングにいる。


「あの、お仕事大丈夫ですか?」

「納期まで時間があります。シオンを仕事部屋に閉じ込めたから、開けっ放しで仕事をするわけにもいかないですし」


 まだ猫に馴れてないから、同じ部屋でシオンと一緒に仕事だとしづらいのかな?

 でも、見られながら料理をするのは落ち着かない。

 桐谷さんを見ていられなくて、俯いて新玉ねぎのスライスを水にさらした。


「僕にもできる料理ってありますか?」

「え?」

「この前、林檎もむけなかったから。少しは料理ができた方がいいかと思いはじめて」


 料理を練習しようと思うのは良いことだ。

 でもカッターで林檎をむくのは難易度高すぎだから、気にしないほうが良いと思う。

 そう口にできたらいいのだけど、言えない。

 ヘタを落とした人参と、大根三分の一を切って、ピーラーと一緒に渡した。


「外側の皮を剥いて捨てて。そのままピーラーでひたすら、剥いてください。剥いた分は人参も大根も、まとめてボールに入れて」

「わかりました」


 野菜をむくだけの作業は難しくはないのに、凄い真剣に集中している。話かけるのも悪いから、大人しく別の料理をする。


 とんとんとん。ことことこと。

 静かなキッチンに調理音だけが響く。

 キッチンに二人で並んで、互いに無言でも、隣に気配を感じて、それだけでいつもの料理と違ってくすぐったい。

 すぐ側にいるのに、目の前の食材に集中して相手の顔は見えない。それが落ち着く。


 やっと慣れてきたのか、桐谷さんがピーラーを使いながら話かけてきた。


「僕。掃除や食器洗いは好きなんですが、料理は嫌いなんです」

「食器洗いって面倒じゃないですか?」

「面倒です。でも洗ったら、綺麗になって達成感があるから。料理はレシピ通りを守っても失敗する。失敗した料理を食べる罰ゲームまであって、報われない感じが理不尽です」


 わからなくはないけど、私には思いつかないから、とても斬新な発想だ。


「最初から料理が上手かったわけじゃなくて。練習を続けて、今でも時々失敗しますし」

「鈴代さんでも失敗するんですか?」

「はい。失敗した日は飯テロツイートはなしです。だから、もしツイートがないときは、失敗してるかもしれません」


 くくくと笑いを堪えるような声が聞こえてきて、思わず振り返った。一生懸命笑いをこらえてるから、少し拗ねた。


「笑わないでください」

「失礼しました。でも、そんな苦労の上に、あの飯テロはあるのですね。凄いな」


 しみじみと言う言葉に、尊敬の念がこもってて嬉しい。


「昔は、料理が得意なわけじゃなくて。カレーや肉じゃがは作れたんですけど。飯テロというほどじゃなくて」

「そうなんですか?」

「三年くらい前。きっかけがあって、料理を頑張ってみようかなと。作って、食べて、上達したらTwitterに書き込むようになって」


 結婚が突然ダメになって。呆然として。

 空っぽになった自分をゼロからたて直した。

 飯テロツイートは私の復讐「だった」。でも復讐は過去形だ。

 もう彼は関係なく、沢山の人からの「飯テロだ!」が、やりがいがあって、楽しい。

 努力の積み重ねが桐谷さんに繋がっている。


 ドロドロの怖い復讐で、飯テロをしてきたなんて、桐谷さんが知ったらどう思うだろう。

 何も知らないから笑ってくれる。素直に褒めてくれるんだろう。


「大根と人参をむいたら、塩を少しかけて」

「塩はこれくらいで、大丈夫ですか?」

「はい。それから手で揉んでください」


 最初は恐る恐る。力加減がわからない感じで、一生懸命に試行錯誤して揉み終わった。

 桐谷さんが手を見て目を丸くする。


「手がオレンジ色になってます」

「人参の色がついたんですね。手を洗えば大丈夫ですよ」


 些細なことに、いちいち驚いたり、一生懸命だったり。そんな様子が微笑ましくて、くすくす笑ってしまう。


「このまま少し置いておくと、水気が出て柔らかくなります。水にさらしたオニオンスライスと、ツナ缶、ごま油を混ぜる。野菜に塩をふってありますが、味見して物足りないなら、塩昆布を加えても美味しいですよ」

「オニオンスライス以外は、僕でもできそうです」

「オニオンスライスも途中までピーラーを使えば、包丁より楽です。新玉ねぎの方が辛みが少ないので、生で食べるならお薦めです」


 私の説明を聞き、丁寧にメモをとる。

 一緒に料理を作って、胃袋だけでなく、また一つ心が繋がった気がした。

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