串揚げと断捨離
新宿に着いたが、結局どこに行くのか、何をするのか決まってない。町をぶらぶら歩いていたら、ふと青いグラスが目に飛び込んできた。思わず立ち止まって凝視する。
「鈴代さん。このグラスが何か?」
店の窓に並ぶ、青い切り子グラスを指を指す。家にあるのと色違いなだけでそっくりだ。
「江戸切り子。職人さんの手作業で、丁寧に作られて、綺麗ですよね。好きなんです」
ワンピースも、グラスも、好きなものだから。無理に捨てることもないと、使い続けた。
でも、結局それを着たり、見たりするたびに、思い出して落ち込むくらいなら、あっさり捨ててしまったほうが良かった。
「綺麗ですね。日本酒を飲むのによさそう」
「冷酒をいれて飲むと美味しいですよ」
「買いましょう」
「え?」
桐谷さんがさっと店に入り、値段もまともに確認せず買おうとする。良いお値段なのに。
「鈴代さん。どれがいいですか?」
「え? 私が選ぶんですか?」
「一人で飲む時はグラスにこだわりません。家で一緒にお酒を飲むのは鈴代さんだけです。だから二人分買います。好きなの選んでください。これも経費です」
経費という言葉に、思わず吹き出した。二人で飲む高級グラスが経費なのか?
「じゃあ、これ二客を、二セット。桐谷さんが買う分と、私が家で使う分」
「え?」
「デザインが気に入ったので、自宅でも使おうと思って。もちろん自宅用は、私のお金で買います。経費じゃないので」
経費じゃないと言ったら、桐谷さんが慌てて。でもちょっと嬉しそう。くすりと笑みがこぼれた。
緊張がゆるんだのが伝わったのかもしれない。桐谷さんが笑いながら言った。
「食べに行きましょうか。何がいいです?」
「えっと、串揚げか焼き鳥かな? できれば、安くて気楽な所が良いです」
「この格好でですか? 僕はいいですが」
スーツとよそ行きのワンピース。匂いがつきそうだけど、そんなことは気にしない。
「いいんです。もう、今日は遠慮せず、気楽に飲んでみたくて」
「わかりました。じゃあ串カツにしましょう。良い店があります」
桐谷さんが笑ったらアヒル口になった。とても嬉しそうだ。
桐谷さんに連れられ、串カツ屋さんに入る。
席と席が狭い間隔でギュウギュウで。
ザワザワ騒がしくて。でも誰もが楽しそうなその光景が、今は嬉しい。
一番安いビームハイボールを頼んで乾杯。
知多ハイとは比べ物にならないけど、安っぽいハイボールが、不思議と今は美味しい。
さっくさくの衣に包まれた、牛カツにかぶりつくと、牛の旨味がぎゅぎゅっと口の中に溢れ出した。
「アジフライも美味しいですよ」
「食べます!」
私の即答に桐谷さんは笑った。オススメのアジフライは確かに美味しい。サクッと衣から溢れ出る、アジの油と旨味にソースが絡んでたまらない。
口の中がこってりしたら、生キャベツにソースをつけて口に放り込む。お口さっぱり。
ソースの二度漬け厳禁。適量のソースを串カツにつけなきゃ。真剣に食べ物と向き合ってたら、楽しくなってきた。
「レバーの串カツも食べ応えがあっていいですね」
厚みのあるレバーが、サクッとした衣に包まれ、肉を食べてる感じの旨味たっぷり。合間にぐびっとハイボールを流し込むのがよい。
「野菜もいいですね。レンコンのサクッとホロホロ感があって」
「紅生姜の串カツって初めて食べました。酸味の効いた味が面白くてあと引きますね。ニンニクも美味しいな」
オクラや銀杏、あさりなど、珍しい串カツも多い。面白くて、ついつい何本もペロリと食べてしまう。
「オーソドックスに豚バラの串カツもやっぱり美味しいですね」
噛み締めると脂がじゅわりと口の中に広がって、ああ、幸せ。
普通に串カツの味を堪能していたら、ふっと桐谷さんが微笑んだ。
「鈴代さん本当に美味しそうに食べますね」
「……さっきは元気をなくしてたのに、もう笑ってるってげんきんでしょうか?」
「いいえ。とても良いことです。美味しい食事があるから頑張れる。それが良い」
桐谷さんの言葉が優しくて心に染みて、嬉しくて泣きそうだ。
「昔、とても悲しいことがあった時、美味しいものを食べて元気になって、救われたことがありました」
「いいですね」
「桐谷さんはTwitterで、アビシニアンさんという方を知ってますか?」
「え?」
話が唐突過ぎたかも知れない。ぽかんという顔になった。
「東京の美味しい店を紹介してくれるんです。紹介するお店に、ハズレがなくて凄くて」
「……知りませんでした」
「アビシニアンさんの食レポ見てください。きっと気に入る店が、見つかりますよ」
「今度見てみます」
桐谷さんは真面目な表情でそう言った。
その後も二人で飲んで食べて、お腹いっぱいになって帰った。
家についてさっそく、赤い切り子グラスとワンピースを捨てた。三年以上前の品を全部。
断捨離したら、思いのほかすっきりした。
スマホを見たら良太からのメール。性懲りも無く、どんな言い訳だ? 内容を見る気にもなれず、即消去。
『二度と連絡しないで』
これだけメールして、着信拒否設定にした。Twitterもブロック。ここまでキッパリ意思表示すれば通じるだろう。
もう復讐は終わりだ。これからはただ純粋に飯テロツイートを楽しもう。
すっきり気分よく、スマホで串カツの写真を見る。またにやり。
いつもの飯テロツイートは自分で作った料理だけど、今日は桐谷さんと一緒に食べた串カツをツイートしようかな。
部屋に一人きり。時計をちらり。午前0時。飯テロツイート。
この時間に串カツはけしからん。と「飯テロだ」のレスがついてくる。
アビシニアンさんのレスもついた。
『お店の料理なの珍しいですね。これ、新宿の串カツ屋ですよね?』
『流石アビシニアンさん、ご存知なんですね。今日はちょっと良いことがあったので』
『良いこと? おめでとうございます』
皆が見るレスだと詳しい話ができないし、DMを送って見よう。
アビシニアンさんには、良太との別れ話の愚痴で心配をかけてしまったから。報告しておきたかったのだ。
あの頃もう両親も既に亡くなっていて、琴子以外誰にも話ができなかった。
心の中に溜め込んだ昏い想いを誰かに言いたくて。ネットで誰かもわからない人の方が本音を吐きやすい気がして。
私の愚痴に付合ってくれた『アビシニアン』さんは本当に良い人だ。
『あの婚約者に会ったのですが、助けてくれた方がいたんです。おかげで色々吹っ切れました。あの頃はご迷惑をおかけしました』
『吹っ切れたならよかったです。気になってたので』
本当に良い人だな、アビシニアンさん。良い気分でスマホを置いて、食器棚を眺める。
棚に並んだ青い切り子グラスが、一際輝いて見えた。
「二つ買っちゃった……けど、これ使うことあるかな?」
一人なら二つはいらない。でも、いつか桐谷さんが来ることがあるんだろうか?
桐谷さんも同じように、家でこのグラスを見て、同じようなこと考えてたりして。
そう思ったら、頬が緩むのをとめられない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます