カフェで優雅な休日を

「はあぁ? ホテルに泊まった? しかも同じ部屋で?」



 机を叩きそうな勢いで、身を乗り出して琴子が迫ってくる。

 怒った顔の迫力に押されつつ、存在感の大きな胸についつい目がいってしまう。

 胸の小さな私は羨ましいのだけど、そう言うと凄い怒られる。


「胸が大きくて良い事なんて一つもないわよ。こんな脂肪の塊、熨斗を付けてあげたいくらいだわ」


 と豪語するくらい、胸が大きいのはコンプレックス。それで琴子は色んなダイエットに挑み続けているが、どれだけ頑張ってもなかなか胸だけは痩せない。



「部屋は二部屋借りたよ」

「結局、桐谷さんの部屋で寝たんでしょう? 真面目な人に見えたのに信じられない!」


 琴子がぷりぷり怒ってて、遠くから突き刺さる視線にいたたまれない。

 ここはフォルトゥーナ。裕人さんもいるのだけど、他のお客さんの接客に忙しくて、話に参加はできない。

 でも琴子の声が大きいし、店も小さいから全部聞こえてる。

 気になって仕方がないような視線を感じた。


 そして、なぜか琴子の隣に早見さんがいた。二人は休日出勤をした後で、琴子が私と会うと話をしたら、ついてきたらしい。

 休日出勤だから、二人ともラフな服だ。


 琴子は明るいシフォンブラウスに、涼しげな花柄のスカートで品が良い。大人しくしてれば、琴子はフェミニンが似合うけど。口を開けばざっくばらんな性格なのでやや残念。

 早見さんは細身のジーンズに、ラフなざっくりした麻のシャツ。飾り気のないさっぱりした服が似合う。


「何もなかったし、いいじゃない? 子供じゃないんだし、合意の上なら」


 早見さんが冷静にフォローしたら、琴子がきっと睨みつけた。


恋音れんねと桐谷さんが恋人なら、私も文句言わないわよ。その辺どうなってるの? 恋音」

「どう……と、言われても……」


 琴子の言い分はもっともだ。付合うどころか、互いに好きかもわからないのに、同じ部屋で泊まりはいけなかったと思う。

 でも、あの後、桐谷さんの部屋で食べた、鯛茶漬けと、う巻きと、白ぶどうのワインゼリーは美味しかったし、楽しかった。

 いまだに桐谷さんの気持ちはわからないし、恋愛の香りはまったく漂ってない。


 桐谷さんはとても真面目で、責任感が強いだけ。最初から私の料理目当てだから、恋愛感情なんてないだろうな。

 私は少し自分の料理に嫉妬した。


「恋音は桐谷さんの事が好きなの?」


 琴子の直球な質問に困る。確実に裕人さんも聞いてるし。琴子の件を黙ってる約束してるから、桐谷さんに話したりはしないかな?


「えっと。真面目で、優しくて、良い人だと、思う。料理の話で盛り上がるし、お互いお酒好きだし。食材の知識も博学で聞いてて面白くて、料理がより美味しく感じるし」

「前半はともかく、後半は食物の話だけね」

「……うぅ……」


 そう。結局、私達は食べ物の話だけだ。

 それでも、食べ物を通じて、繋がってる気はする。それが恋かと言われると自信はない。


「でも。食べ物の話題で盛り上がれて、一緒にいて楽しいなら相性がよいんじゃない?」


 早見さんがまたフォローしてくれたけど、琴子は不満げに、口をとがらせる。


「早見は加賀君との会話、楽しそうに見えるけど、相性良いの?」

「アイツはただの後輩。私は、恋人いるし」


 クールな早見さんが、一瞬言いよどんだ。伏し目がちに、右手薬指の指輪を撫でる。


「とにかく。恋愛感情あるの? ないの?」

「……わからない」


 桐谷さんと一緒に過ごす時間は、楽しいし、穏やかに時間がすぎていく。笑顔が可愛いなと思う。でも恋愛のときめきは感じない。

 そう言ったら、早見さんが初めて笑った。


「ドキドキする恋もあるけど、穏やかなのもあるんじゃない? 恋より愛って感じ。長く付合うならそういう相手の方が良いと思う」


 恋より愛。その言葉はしっくり来た。桐谷さんを愛しているだろうか? そこまででもない気がするが、一緒にいると居心地はよい。


「確かに、恋より愛。結婚むきな相手なのは良いわね」

「結婚って。ちょっと、話が飛躍しすぎ」

「桐谷さんの話じゃなくて……」


 琴子の視線が迷うように空を泳ぐ。


「アイツ離婚するって。恋音を傷つけて結婚しながらね。自業自得だけど。恋に浮かれて勢いで行動して結婚向きじゃない男ね」


 琴子が言う『アイツ』が誰かすぐわかった。私の元婚約者だ。

 離婚すると聞いて、嬉しくも悲しくもない。もう私にとって、どうでも良い存在なのだ。


 最近桐谷さんとの食事が楽しくて、存在すら忘れかけてた。


 ぼんやり思い出したら、スマホが鳴った。表示された文字に心臓が止まるかと思った。

 『橋田良太』それは今まさに噂をしていた元婚約者だ。


「橋田からのメール? うっそ、何? メールなんていつも来るの?」

「別れてから三年、一度もメールが来たことはなかったよ」

「なのにこのタイミングでメールね。怪しい。なんて書いてあるの?」


 恐る恐るメールを開く。


『久しぶり。恋音が元気かなと気になって、メールしました』


 たったそれだけ。何もなかったように普通の簡素なメール。それが不気味で怖かった。


「何それ。結婚式間際に恋音を捨てて、他の女に走っておいて、離婚するから恋音に乗り換えようとかじゃないの。ムカつく」


 琴子の言葉はとてもリアルで、もしそうだとしたら、とんでもなく気持ち悪い。


 三年前、結婚するために仕事も辞めて、披露宴の招待状を作り、ドレスを選んで、ベールを手作りし、何も疑わずに準備をしていた。

 なのに結婚式間際になって、私を捨てて、他の女を選んだ最低の男だ。


 映画の名場面のように、二人はきっとロマンティックな逃避行の末に結婚して、幸せな家庭を築くのかと思ったけど、結局離婚する。

 恋に浮れて、色んな物を捨てて結ばれても、愛が冷めれば簡単に絆は壊れるのか。

 でも今更よりを戻す気もないし、顔も見たくない。


 メールはすぐに削除した。

 記憶も削除できたらいいのに。

 口の中で嫌な味が広がるように、重い気持ちが体の中で渦まいて気分が悪い。


「ごめん。琴子。帰るね」

「大丈夫? 家まで送ろうか。真っ青よ」


 琴子が本気で心配してくれてるのは解った。私が三年前にどれだけ傷ついて苦しんだか、一番よく知ってるから。

 でもその心配が、かえって昔の嫌な記憶を呼び起こす。


「大丈夫。ちょっとメールを見て気分が悪くなっただけだから」


 早見さんも心配してくれたけど、礼を言って早々に店を出た。

 慌てたように裕人さんが追いかけてきた。


「すみません。話が聞こえてしまって」


 ずきりと胸が痛む。恥ずかしい話を聞かれたと、さらに気分が落ち込む。


「桐谷さんには黙っていてもらえますか」

「はい。鈴代さんに頼みがあるんです」


 保冷剤の入ったバックを渡された。


「試食用に作った料理。昴に届けてもらえませんか」

「え?」


 唐突な申し出に困惑した。裕人さんは困ったように頭をかいて、私から目をそらす。


「こういう時、一人でいない方がいいです。でも事情を知ってると気を使われて、嫌なことを思い出すから。何も知らないアイツなら気楽かなと。すみません。余計なお節介で」


 裕人さんのその優しさが心に染みた。

 可哀想な女と思われるのは惨めで。琴子は何も悪くないのに、一緒にいたくなかった。

 でも、何も知らない桐谷さんなら。


「ありがとうございます」


 裕人さんはほっとして笑った。仕事が忙しいのに、気にかけてくれて、良い人だな。



 桐谷さんの家に向かったけど、予告もなく行ったら迷惑じゃないかな?

 一応大義名分はあるけど、やっぱり躊躇ってしまう。つい家の近くをウロウロした。


「みーみー」


 鳴き声が聞こえ、そちらに引き寄せられる。

 道ばたにダンボール箱が置かれて、その中に子猫が三匹。

 でも、二匹は死んでる。泣いてる一匹の三毛猫が泣く声も弱い。

 今すぐ助けてあげないと。この辺に動物病院ってどこにあるんだ?


「鈴代さん?」


 振り返ったら、桐谷さんがいた。思わず泣いてしまいそうだ。


「……子猫が死んじゃいます」


 おろおろして、つたない説明だったけど、動物病院に連れて行かなきゃ行けないことは伝わって、ついてきてもらった。

 亡くなった子は埋葬し、生きてる子は病院で預かってもらえると聞いてほっとした。


「ありがとうございました。桐谷さん」

「いえ、僕も猫を飼ったことがなくて、よくわからなかったので、勉強になりました」

「問題は、引取先を探すことですね」


 元気になるまでは病院で預かってもらえるが、いつまでも預けたままではいられない。


「私の家で飼えたらいいのですが。ペット不可物件だし、壁が薄いので声が絶対に隣に聞こえちゃうから」


 しょんぼりしてたら、桐谷さんは少し悩んでから口を開いた。


「鈴代さんは猫を飼ってたのですか?」

「はい。実家で昔は飼ってました」

「じゃあ、猫の飼い方は詳しいですよね?」

「え、ええ。そうですね」

「僕が飼うので教えていただけませんか?」


 思わずぽかーんと口を開いたまま固まった。慌てたように桐谷さんが言葉をつけたす。


「うちはペット可ですし。基本家にいるから、都合が良いと思うんです。猫が好きなので飼ってみたいと思ってました」


 猫写真集を持ってるくらい、猫好きだった。


「ただ……」

「ただ?」

「僕は猫を飼ったことがないので、鈴代さんに教えていただきたいのです」


 凄く真剣に言ってるので、本気なんだなと伝わってくる。

 猫好きなら飼ってみたいよね。


「あ、あの。私で力になれるなら、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いします。今時間ありますか? 猫を飼うのに必要な道具、何がいいかアドバイスいただきたいのです」

「は、はい。もちろん大丈夫です」


 それから猫の餌や猫砂から、ケースに爪研ぎと、説明してるうちに、裕人さんに預かった荷物も、メールもすっかり忘れてしまった。

 とても真面目に猫の話を聞く桐谷さんが面白くて、つい笑ってしまったり。


「あ、あの。猫を飼い始めたら、見にきてもいいですか?」

「はい。どうぞ遠慮なく。こちらも猫のことで困ったら、ご連絡してもいいですか」

「はい。もちろん」


 やっと私達の間に、食べ物以外の話題が生まれた。

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