究極のデザートを求めて

 桐谷さんとホテルに泊まる? どうしよう? どうしよう? 頭の中でぐるぐるしながら、黙ってついていった。


「そちらの部屋のルームキーです。チェックアウトの十時にロビーに集合で」


 紳士な桐谷さんはシングルを二部屋とってくれた。部屋が別で朝まで合わないなら何もおきようがない。ほっとしたけど、なんだか申し訳ない。


「鰻、お土産、牡蠣、ホテル代まで。申し訳ないので、私の分だけ払わせてください」

「いえ。遠くまで連れてきたのに、終電を忘れた僕の責任ですから、お気になさらず」


 かたくなに譲らないので諦めた。正直稼ぎ的に出費が増えるのは痛いので、ありがたい。

 今度気合いを入れて美味しい食事を作ろう。


 ホテルの部屋に入るとほっとして、肩から力が抜けて、ずるずると座りこんでしまう。

 鰻屋で冷酒を飲んで、居酒屋でも結構日本酒を飲んだ。ピッチが早かったから、だいぶ酔ってるな。


 今日一日を思い出すと、本当に食い意地のはった自分が恥ずかしい。

 でも、きっと桐谷さんだって楽しかったはず。よく笑ってたし、言いよどまなくなって、リラックスしてるように見えた。

 まだ敬語だけど、前より仲良くなった気がして。ちょっと照れる。シャワーを浴びよう。


 シャワーを浴びてさっぱりして、備え付けのバスローブを着てベッドにごろり。シャワーを浴びてもまだ酔いが冷めないな。まだふわふわしてる。

 時間はもうじき0時になる頃だ。


「はあ。いつもの飯テロタイムなんだけど」


 スマホに映る白ぶどうのワインゼリーは、我ながら美味しそうに映ってる。

 ゼリーの質感が綺麗に出るよう、萌葱色のコースターと、桜色のガラス器。彩りも綺麗。

 帰ったら、これを食べて飯テロをしようと思ってたのに。鰻の後なら絶対あうと思って。


「写真はあるし、ツイートしちゃおうかな」


 出来上がった時に味見で食べたから、味はわかる。写真もある。

 よしやろう。写真付きでツイート。


『今日は美味しい鰻を食べました。脂の乗った鰻の後、さっぱりしたゼリーが最高。白ぶどうの濃厚な甘さを引き立てるため、ゼリーは少し甘さ控えめに、ワインは香り付けで、すっきりさっぱり』


 ツイートをすると、いつものように「飯テロだ」の叫びやいいねが増えていく。

 その時スマホから着信音が流れた。桐谷さんからのメール? 何で?


『今から10分後。そちらに伺います』


 え? なんで突然。朝まで会わないはず。

 焦りつつ元の服に着替え、髪をさっととかす。化粧をする時間がないからすっぴんだ。

 こんこんと、ノックの音が聞こえて、そっと扉を開けたら、怒った顔の桐谷さんがいた。


「鈴代さん。貴方の飯テロは卑怯です」

「へ?」


 私の飯テロ画面を表示を見せられる。


「こんなの見たら食べたくなるじゃないですか。鰻と牡蠣の締めがワインゼリーは、絶対に美味しいです」

「すみません。でも、これは家にあって、今は食べられませんし」

「解ってます。だから買いに行きましょう」

「へ? こんな深夜じゃ、コンビニくらいしか開いてませんよ」

「コンビニで材料を揃えて、できるだけこれに近づける至高のゼリーを作ってください」


 常識人に見えて、食べ物に関しては、やっぱりちょっと桐谷さんはおかしい。

 ホテルの設備とコンビニで、ゼリーを作れないのだけど。

 桐谷さん怒ってるし、散財させた申し訳なさで断れず、大人しくコンビニにいった。

 桐谷さんの顔が赤く見えるのは、風呂上がりだからか、まだ酔ってるからか。きっと酔ってるから、こんな変な提案をするんだ。


「ぶどうゼリー果実入りがありました。これでいいんじゃないですか?」

「ワインゼリーでしたよね?」


 桐谷さんが白ワインを持ってきた。


「えっと、ワインを入れる器は?」

「紙コップと紙皿があります」


 お椀型の紙皿は大きすぎるくらいだ。確かに、ワインとゼリーは美味しそうだけど。


「白ワインは甘口にして。アルコールが強すぎるので、ジンジャエールで割ります。炭酸とジンジャーの爽やかさをプラスします」

「いいですね!」


 桐谷さんの目が輝いた。ちょっと嬉しい。

 ワンランクアップできる物はないかなと店内を見回り、ふと赤い林檎が目についた。

 最近は果物を置いてるコンビニもあるよね。でも、丸ごと一個じゃ切らないといけないし、包丁もまな板もない。


「スライスしたりんごを、ゼリーと一緒に浮かべたら美味しいのにな」


 思わず口にしたのがいけなかった。


「これも買いましょう。入れましょう」

「え? 包丁ないですよ」

「これはどうでしょう?」


 取り出したのはカッター。林檎を切るのに無茶がありすぎじゃないだろうか?


「林檎をカッターで切るのは危ないので」

「僕がやります。でもそうですね、念のために絆創膏も買いましょう」


 絆創膏や消毒液だけでなく、カッターを洗う、台所洗剤やスポンジまで。あのゼリーを再現するなら何でもやりかねない勢いだ。

 甘口ワインだとフルボトルしかなくて、余るからつまみも。買い物かごがいっぱいだ。


 流れでそのまま桐谷さんの部屋へ。

 男性と二人きりでホテルの部屋で過ごす。いいんだろうかと、ちょっと不安だったけど、桐谷さんの目は買ってきたゼリーに釘付けで、まったくもって色気がない。

 洗ったカッターで林檎を切ろうとして、桐谷さんが固まった。


「林檎はどう切ればいいんですか?」

「切ったことないですか?」

「はい。果物を切った経験はありません」


 初めてがカッターは難易度高すぎだろう。結局私が切ることにした。

 桐谷さんに危ないからと何度も止められたけど、初心者に任せる方が心臓に悪い。

 カッターで皮をむくのは難しいので、皮はつけたままにする。分厚くいびつだけど、手を切らずに切り終わった。


 お椀型紙皿にぶどうゼリーをいれて、白ワインとジンジャーエールをかける。その上に林檎スライスを乗せた。

 赤いぶどうゼリーしかなくて、色味が写真と違うので、白桃ゼリーバージョンも作る。


「林檎スライスのしゃくしゃくした歯触りが、凄くアクセントになってていいですね」

「私は白桃の方が好きです。でもワインとジンジャーエールの割合が難しい」

「はい。もう少しワイン少なめの方がいいかもしれません」


 深夜のホテルで男女が顔を突き合わせ、ジンジャエールとワインの黄金比を研究する。もはやカオスだ。酔っぱらいの遊びかも。


「林檎とワインがあるなら、これもあうと思うんです」


 桐谷さんがとりだしたのは、カマンベール風チーズとクラッカー。そこに林檎のスライスをのせたら、正義だ、勝利確実だ。

 チーズのクリーム感と塩気に、さっぱり林檎とクラッカーの香ばしさ。甘い白ワインをくいっと。


「……美味しい」

「甘いゼリーの合間に、塩気のきいたチーズがいいですね」

「わかります、わかります」


 お酒の飲み過ぎで、ぼーっとしてきたし、非常に眠い。段々意識がぼやけてきて、気づいたらそのまま寝てしまった。



 朝、窓から差し込む光に目が覚めた。ふかふか布団と、スプリングの効いたベッド。二日酔いで身体が重い。もう少し寝ていたいなと思って、はたと気がついた。

 あれ? 私、自分の部屋に戻ったっけ?

 起き上がって見ると、床の隅の方にうずくまって寝てる桐谷さんがいた。

 それを見て思わず青ざめた。


 私、自分の部屋に戻らずに寝ちゃった? 何も、何もなかったよね? 桐谷さんはたぶん紳士だし。むしろベッドを占領して床で寝させてしまったのが申し訳ない。


 そーっと近づいて、眼鏡を外して寝てる桐谷さんの寝顔をつい見てしまう。

 意外と睫毛長いなと思いつつ、このまま床に寝かせるのは申し訳なくて声をかけた。


「あの。桐谷さん。おはようございます」

「……ん?」


 寝ぼけ眼で桐谷さんが目を開けて、目があう。眼鏡を外すと、いつもより目が大きい。

 ぼんやりした目線がしだいにピントがあって、桐谷さんは真っ赤になって「ひゃあ!」と声をあげた。


「す、すみません。えっと、昨日、眠ってしまわれて。部屋までお送りしたかったのですが、ルームキーがどこかわからなくて」


 そういえば、服のポケットに入れっぱなしだった。流石に寝てる私の服の中まで、探る勇気はなかったらしい。


「言い訳ですが。昨日は酔ってて……あんな無茶を言ってすみませんでした」


 真っ青になってぺこぺこ謝る。


「私こそすみません。ゼリー作り楽しかったです。桐谷さんは楽しくなかったですか?」

「楽しかったですし、美味しかったです」

「美味しいものは正義ですよね」


 慌てていた桐谷さんがやっと落ち着いた。

 桐谷さんは紳士だと思うけど、やっぱり気になる事が一つ。


「あの。私、酔っぱらって寝てしまっただけですよね? 何かあったり……」

「何もありません。ベッドに運ぶ時以外、指一本触れてません」


 はっきりきっぱり断言されて、ほっとした。桐谷さんが嘘を言うとも思えない。

 時間を確認すると、そろそろチェックアウト時間だ。一度自分の部屋に戻り、身支度を整え、荷物を持ってロビーに向かった。

 身だしなみを整えた桐谷さんは、もう清算をすませていたみたい。


「……行きましょうか」


 声がか細い。何度もすみませんと謝られ、申し訳ない気分で新幹線に。無言で気まずい。とても落ち込んだ桐谷さんを見てられない。


「私。このまま、まっすぐ家に帰ります」

「……はい」

「それで白ぶどうのワインゼリーを持って、桐谷さんの家に行きます」

「へ?」

「約束の鯛茶漬けと、う巻き。デザートにワインゼリー。二日酔いの朝に最高の〆だと思いませんか?」

「絶対美味しいです」


 桐谷さんが、やっと笑った。

 さっきの気まずい空気より、ずっと打ち解けてから、新幹線は東京駅についた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る