幕間

 扉が閉まった後も、しばらくその場で立ちつくし、彼女の姿を思い浮かべた。

 小柄で華奢で。ストレートの長い黒髪がサラサラで。髪からふわりと漂う甘い香りにドキドキし、必死で顔に出さないようにした。


「可愛い人だったね。鈴代さん」


 裕人の言葉に僕はびくりと身を震わせた。


「黒目がちの目や、動きが小動物っぽいよね。昴もそう思ったんじゃない?」


 裕人は意味有りげな言いかたで僕を見た。裕人も彼女を気に入ったのだろうか。

 もしそうなら……僕は絶対敵わない。

 僕と違って裕人は、昔から友人も多かったし、けっこう女にモテた。

 本人は「いつも一番好きな人に振られるから意味がないんだ」と言うが羨ましい。


「可愛い人……だったな。イメージと違ったから、初めて会った時はびっくりした」


 ネットのツイートは、もっと大人で芯が強い人な気がした。

 でも……実際に会ってみたら、大人し気で。

 人見知りで、恥ずかしがりなのか、おっとり言葉につまる所も愛らしくて。


「昴と恋愛話できる日が来るとは思わなかったよ。三十過ぎても初恋すら聞いたことがなかった昴にやっと春が来たかな」

「ちょっと待て。勘違いするな。鈴代さんはそういうのじゃなくて」


 とっさに慌てて、しまったと思った。

 まるで図星を指されたみたいじゃないか。裕人にくすくす笑われた。


「ところで、なんで鈴代さんがいるのに、その格好なの?」


 自分の身体を見下ろし、風呂上がりだったのに気がついて慌てた。

 行き倒れて鈴代さんに助けられた経緯を話したら、裕人は呆れたように目を丸くした。


「凄いね。鈴代さん」

「ああ、とても失礼だったのに、優しくて」


 初めは寝ぼけて、天使が助けにきたような、ふわふわと幸せな夢に浸ってる気分だった。

 弁当はどれも美味しくて夢中で食べて、すっかりいろんなことが頭からすぽんと抜けてしまった。

 やっと夢じゃないと気づいたときは、血の気が引いた。

 呆れられただろうかと、地味に凹む。


「何かお詫びをしないといけないな。食事は契約でご馳走するし、プレゼントは調理器具を経費で買うし」


 困って首を捻ると、裕人があははと笑った。


「女性に食事をごちそうして、プレゼントして、それなのに契約とか経費とか。相変わらず昴は事務的だな」

「仕方ないだろ。女性と二人で話したの初めてで、どう言えば失礼じゃないか必死だよ」


 中高一貫の男子校から、男だらけの理系大学に進学。卒業後に就職したシステム関係の会社は、やはり男ばかり。在宅ワークに変えてからは、人と会うのも稀になった。

 そんなコミュ障の塊みたいな僕が、彼女と何の話をすればいいのか……わからない。

 次に会ったら何を話すか、考えていたつもりで、目の前にすると、頭が真っ白になる。


「お金だけがお礼じゃないと思うよ。気持ちじゃないか?」

「気持ちか……」


 鈴代さんが食べたいものを聞いたら、最高に美味い店を探そう。そう決めた。



 後日、鈴代さんから必要な料理機材のリストがメールで送られて来た。

 メーカーや型番まで教えてもらったので、ネット通販で買うのが楽で助かる。

 圧力鍋なんて初めて知った。まるで料理をしないので、興味深く見入ってしまった。

 誰もいないキッチンを眺めて思う。

 鈴代さんはどんな料理を作るのだろう? 目の前で見る勇気もないから、少し離れて。

 そう。遠くから料理をする音が聞こえて、美味しそうな匂いが漂う。

 それくらいの距離感で、彼女の料理ができあがるのを、待つ時間が楽しみだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る