美味しい乱入者
ぴんぽーん。
チャイムが鳴った瞬間。なぜか私はタッパーの事を思い出した。
そして気づく。もし彼女やお母さんだったら。変な誤解をされるんじゃないか?
桐谷さんは、髪が濡れて首にタオルぶらさげ、見るからにお風呂上がり。それで女と二人きりという状況は、絶対誤解される。
それに気づいてないのか、桐谷さんは動揺もせずに、玄関に向かった。
私は思わず追いかけて、袖を掴んだ。
「私、隠れていた方がいいですか?」
「え?」
きょとんとした目と目があって、なんと説明していいかわからずに、固まった。
そして、がちゃりと玄関が開いた。
「昴。また行き倒れて……」
玄関を開けたのは、私と同世代くらいの男性。私達の姿を見て固まって、中に入らず、無言で扉を閉めた。
「ちょっと待て! 裕人。何でそこで帰る」
桐谷さんが慌てて扉を開けると、とても気まずい表情で、顔をそらしてる。
「昴の家に女がいるなんて幻覚かと思った」
「失礼だな」
「うん、そうだね。昴にそういう人がいても、おかしくないね。ごめん。邪魔したね」
「ちょっと待て、変な誤解はするな」
完全に私達の邪魔をしたと誤解して、凄く申し訳なさそう。玄関から入らず遠慮してる。
押し問答にイライラした桐谷さんが叫んだ。
「彼女は飯テロ女だ」
「ああ、飯テロ女」
ぽんと、音がなりそうなくらい、あっさり納得して、家の中に入ってきた。
なぜ誤解が溶けたのか、よくわからない。
男性は空気が柔らかい、人当たりの良さそうな笑顔で頭をさげた。
「初めまして。昴の従兄弟の加賀裕人といいます。琴子さんから聞いたんですけど、昴が無理言っちゃったみたいで、すみません」
「へ? 琴子?」
「あれ? 聞いてないですか?」
加賀さんは『マクロビオティックカフェ・フォルトゥーナ』という名刺を差し出した。
「琴子さん、うちの常連で。話しを聞いたら、飯テロ女が友人だと聞いて。昴、飯テロ女のファンで、会いたいっていうから紹介して」
「本人の目の前で、ファンと言うな」
桐谷さんが恥ずかしそうに、慌ててる。
なるほど。この人を通して、琴子と繋がって、今に至るのか。納得。
桐谷さんは私と話すとき言いよどむ、まだ遠慮があるのだろう。加賀さんには遠慮なくハキハキ答えてて、なんだかちょっと新鮮だ。
「あ、そうだ。琴子さんに聞いたんですけど、鈴代さんは、デザインの仕事をしてるとか」
「ええ、まあ……」
「店のメニューやチラシのデザインを、変えたいのですが、お仕事お願いできますか? もちろん、きちんとお支払いするので」
「仕事がもらえるのは、ありがたいです」
「今度一度、店を見に来ていただけませんか。その上で考えていただければ」
さすが接客業。初対面とは思えないほど、滑らかな会話運び。私は人見知りだが、とても話しやすい。
マクロビオティックという聞き慣れない単語も、丁寧に説明してくれた。玄米を主食に野菜だけの、健康的な食事のスタイルらしい。
なるほど。ダイエット中の琴子が、常連になるのも納得。
「……あ……え……と」
桐谷さんにぼそぼそと話しかけられて気づいた。加賀さんと話しこんで、放置して一人ぼっちだ。しょんぼり肩を落として寂しそう。
「ああ、そうだ。昴。この前の煮物の試食、どうだった?」
「煮物? ああ、忘れてた。冷凍庫にいれたままだ」
あのタッパー。加賀さんが作ったんだ。女の影なんてなかった。
「コンビニ弁当と外食しかしない、栄養バランス悪過ぎだから、少しは野菜食べなよ」
「裕人の料理はイマイチだから、あまり食べる気になれないな……」
「イマイチ?」
飲食店をやってる人が作る料理を、イマイチというなんて。どれだけ桐谷さんの舌は、肥えてるんだ。
「ちょっとマクロビは特殊だから」
苦笑いをして、加賀さんは冷凍庫の煮物を、レンジで温めなおした。牛蒡と蓮根の煮物。
見た目は和風。桐谷さんと試食する。
……あれ?
「不思議な味ですね。ちょっと雑味も……」
「出汁のパンチが足りない。甘みつけすぎじゃないか? この甘さしつこいな」
「メープルシロップの甘さが、しつこかったかな? 照りとコクを出したかったんだけど、やっぱり厳しいな」
「メープルシロップ?」
和食なのにと思ったら、マクロビでは、砂糖やみりんは使用できないそうだ。肉や魚がダメだから、鰹だしや鶏ガラも使えない。
卵も乳製品もダメ。野菜の皮や根も捨てずに、丸ごと使ってアクもとらない。
「ずいぶん制限が厳しい。よく、それで料理できますね」
「自然派嗜好、健康と美容のためといっても、だから美味しくないのは違うと思うし。制限の中で美味しい物を作りたくて。昴は食べ物に絶対妥協しないし、コイツが美味しいって言えば、店にだせるから試食を頼んでて」
なるほど。限られた条件の中でも、美味しさを追求する、流石料理のプロ。
私はただ美味しい物を作って、食べられればいいかと思うだけだしね。
「今日もスープを作ってきたから試食して」
「店は定休日だったのか?」
「そう。休みの日でもないと、新メニュー開発できなくて。昴が大丈夫か気になったし」
そんなに心配するくらい、行き倒れ率が高いんだ。手慣れ過ぎです。流石従兄弟。
和食かなと思ったら、ハーブの香りがする赤いトマト系スープ。美味しそうだ。桐谷さんが一口飲んで、嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あ、これは美味い。塩気は薄いけど、野菜の濃厚な味がして、ハーブも色々使ってから香りも良いな」
「よし。それならいける。鈴代さんは?」
一口飲んで、とろっと濃厚なスープが舌の上でとろけた。
野菜の豊かな甘み、トマトの酸味、ハーブの香りが完璧に調和している。香辛料の使い方も上手い。
隙の無い味のバランスが、流石プロの技と思わず唸った。
「美味しいです。ただこれ、お店でだすの難しいですよね? 凄いたくさん材料を使って、けっこう手間かかってません?」
「あはは。流石飯テロ女。料理に鋭い。このクオリティで店に出したら、原価は高い」
色んな種類の野菜を、かなり丹念に裏ごしして煮込んで、手間隙かけて工夫してる。
「野菜の数を減らしてみたらどうです?」
「野菜は他の料理にも使うので、買いだめできて。あまり使わないハーブが高いから、そこをもう少し減らした方がいいかな。煮込み時間が長いと、ガス代かかりすぎて」
「ああ。お店だと光熱費までコストにかかって、大変ですね」
料理談義でついつい、話しこんでしまう。
男の人で料理の話題が豊富な人って、あまりいないから面白い。プロの新鮮な視点で、色々教えてもらえるし。
はっと加賀さんが桐谷さんを見た。また置いてけぼりでしょんぼりしている。
桐谷さんを無視しているみたいで、なんだか申し訳ない。何か一緒に話せる話題はないかと、一生懸命考えて。
「桐谷さん。何が食べたいですか?」
そう。最初に作る料理を、まだ決めてない。
桐谷さんの顔が、ぱっと明るくなった。
「……肉が食べたいです。野菜が続いたし」
「お肉はいいですね。牛、豚、鳥、何がいいですか?」
「……牛も好きだけど、牛はシンプルな方が良いですね。ステーキやしゃぶしゃぶとか」
「わかります。凝った料理だと、豚や鳥の方が作りがいがありますね」
「……豚の角煮、タンドリーチキン。こう、がっつり肉を食べてる感じのが、いいかな」
「それならモツもいいですよね。モツ煮や、牛すじカレーとか……」
「ストップ」
よだれを垂らさんばかりに、会話がヒートアップした所で、加賀さんがつっこんだ。
「肉の飯テロ。辞めてもらえないかな。俺も肉は好きだけど、肉を使えない料理を考えて作らなきゃいけないのに、肉が食べたくて、しかたがなくなるから」
ああ、御愁傷様です。
実生活でも、肉はたまにしか食べないという、ストイックな生活をしている加賀さんには、かなり辛い飯テロだったようだ。
「すみません……」
私が謝ったら、くすりと笑った。
「仕事と食べ物しか興味がない昴と、話があうわけだ。よかったね」
なんだか含みを感じるな。なんだろう?
気になって口を開きかけたところで、着信音が鳴った。この音は仕事だ。
「すみません。急に仕事が入ってしまったので、今日は失礼しますね」
メールを確認すると締め切りまで間がない、飛び込み案件。急いで帰って作業しないと。今日は徹夜かも。
「鈴代さん」
桐谷さんが、玄関まで追いかけてきた。
「……今日は、ありがとうございました。助けていただいて……」
ああ、そういえば、行き倒れを発見したんだった。忘れてた。
おどおどと、少しはにかんだ笑顔。何かを言いかけて、ためらって、やっと口にしたのは。
「……食事を作っていただくお礼。何が食べたいか、考えておいてください」
私達の間には、食べ物しか話題はないらしい。
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