初めてのお宅訪問

「ついに家まで来てしまった。どうしよう」


 桐谷さん家が、管理人常駐の高層マンションで驚いた。賃貸かな? 家賃は高そうだ。

 管理人に事前連絡があったようで、部屋の前までこれたけど、普通は門前払いだろう。オートロックより、セキュリティが厳しい。


 今は平日の午後一時。会社員なら在宅してないはず。こんな高級マンションに住んで、何の仕事をしてるのだろう?

 初めて会った日は、スーツ姿だったが、私服はどんなかな? 家の中は綺麗かな?

 色んな想像が、脳内でぐるぐる廻る。勇気を出してチャイムを鳴らした。


 どくんどくん。緊張で手が汗ばむ。

 服選びも悩んだ。張り切りすぎと思われるのも恥ずかしい。ラフすぎも失礼だ。

 スカートだけどナチュラルでと悩んで、昨日はよく眠れなかった。

 ぐるぐる、思考の渦を彷徨って、数分。

 しかし、いくら待っても、扉は開かない。

 約束の時間を確認するが、間違いなかった。


 嫌な予感がして、ノブを回してみたら、開いていた。

 そっと扉を開けて、こっそり覗く。廊下の先の床に、手が見えた。


「き、桐谷さん?」


 びっくりした。慌てて靴を脱いで、部屋に駆け込むと、床に桐谷さんが倒れていた。

 こんな状況、色んな意味で予想の斜め上だ。

 桐谷さんが、びくりと身を震わせ、か細い声をあげる。


「み、水……」


 意識があって、ほっとした。

 急いで助け起して、テーブルの上にあった、ポカリのペットボトルを渡す。

 よほど喉が渇いていたのだろう。500mlがあっという間に空になった。

 同時に桐谷さんの腹の虫も鳴った。

 眼鏡の奥の眼は、とろんと寝ぼけているが、見るからにお腹空いてそう。


「あの、手土産にお弁当作ってきたんですけど……食べます?」


 お弁当という言葉に、とろんとした眼がぎらりと光った。

 桐谷さんが重い身体を動かして、リビングの椅子に座る。待たせるのも申し訳なくて、タッパーを取り出した。

 色気の無い器だけど、手持ちのお弁当箱では、小さ過ぎて入りきらなかった。蓋を空けたら桐谷さんの眼が、ぱーっと輝いた。


 蓮根のきんぴら。ほうれん草ともやしのナムル風。ハムとにんじんで彩りを添えたポテトサラダ。

 ニンニクを効かせた鶏の唐揚げと、枝豆とジャコおにぎり。カリカリ梅と紫蘇おにぎり。


 野菜多めのメニューなのは、桐谷さんの好みがわからなくて。

 最初の野菜レストランは、美味しそうに食べてた。野菜は好きだろうなって思ったから。


 唐揚げが嫌いな男は、いないと信じてる。


 箸を渡したら、きちんと手を合わせ、頭を下げ「いただきます」と呟いた。

 そうしたら、もうたまらないという勢いで、ガツガツと食べ始める。

 初めて会ったときの、綺麗な食べかたと違う。まさしく飢えた獣のごとき、食べっぷり。

 唐揚げにかぶりついた瞬間、蕩けるような、至福の笑顔を浮かべた。


「にんにく……にんにくがよい……にくのあぶらがとろける……」


 あ、ニンニク好きかなと思たけど、ヒットだったかな?

 ポテトサラダを食べて驚く。


「こしょうがきいたポテトサラダ。よい、すごくよい」


 何度も頷きながら「よい」と呟いている。

 私がマヨネーズ控えめで、胡椒を効かせたポテサラが好きだから、一般的な味よりマヨ少なめ。味の好みが一致するのだろう。桐谷さんはご満悦で、ガツガツ食べている。


 桐谷さんが、無心に食べる姿を眺めた。

 ナムルのごま油の香りが、二人の間にほのかに漂い、きんぴらを噛む、しゃくしゃくとした音が、部屋に響いた。


 慌てて見る余裕も無かったけど、部屋の中は物が少なく、すっきり整理整頓されていた。

 埃は溜まってるけど、この状況から考えて、掃除してる余裕は、なかったのだろう。

 一人暮らしには、広すぎるリビング。桐谷さん以外の人が、住んでる気配は感じない。


 嬉しそうに、おにぎりにかぶりつく桐谷さんは、とても幸せそうだ。

 食べ物で膨らんだ頬が、リスみたい。ほっぺたに、ご飯粒までついている。


 この前は、食べ物に夢中で、まともに顔を見る余裕がなかった。こんなに表情豊かに、楽しく食べるのか。ここまで喜んでもらえるのは、ちょっと嬉しい。

 誰かのために料理を作るの、いつぶり?


「……ごちそうさまでした。まともに食べてなかったので、慌てすぎて、ちゃんと味わえなかったのですが、とても助かりました」


 いまだぼんやりした目線のまま、丁寧に頭を下げる。すーっとテーブルの隅にある、メモ帳に手を伸ばす。ふわぁ、とあくびをしながら、さらさらと文字を書きはじめた。


『蓮根、ほうれん草、もやし……』


 お弁当に使われた材料を、書き出していく。味わえなかったという割には、正確すぎる。


「……僕、食材の相場を知らないので、ネットスーパーで確認して、材料費をお支払いしますね」

「い、いえ。これは手土産ですし、費用とかお気になさらず」

「……そういうわけには、いかないです。申し訳ない」


 思い出せない食材があるのか、悩むように顎をなでた。じょり。顎に残る無精髭。


「あ!」


 いきなり、すっとんきょうな声をあげて、桐谷さんが立ち上がった。ぼさぼさの髪を掻きむしり、よれよれのTシャツを掴む。


「す、すみません。僕、こんな姿で。え? 今日は鈴代さんの来る日? あ、あれ?」


 ぷちパニック状態。

 たぶん、今まで寝ぼけてて、やっと目覚めて、状況を認識できたのだろう。真っ青な桐谷さんの姿が可哀想で、そっと声をかけた。


「キッチンを、拝見させていただきますね」


 そそくさと立ち上がると、桐谷さんは何度も、すみませんと謝り。風呂場に駆け込んだ。

 仕事が大変だったのかな? とはいえ、家で行き倒れるのは、どうなんだろうと思いつつ、キッチンを見る。

 最新式のシステムキッチンは、とても綺麗だ。グリル付きの二口IHコンロは羨ましい。

 オーブン機能付き電子レンジ、炊飯器。

 最低限の設備はありそう。でも食器も調理器具も少なすぎる。

 一本しかない包丁は、錆びていた。


 ゴミ箱に残る大量のコンビニ弁当や、カップラーメンの容器から、自炊をまったくしてないのは推測できる。

 せっかく良いキッチンだが宝の持ち腐れだ。

 冷蔵庫も、何も入ってないだろうな。


「あ、期間限定缶ビール。飲んでみたかった奴。珍しい地ビール、海外のお酒も多いな」


 冷蔵庫の中には案の定、お酒ばかり。

 並ぶ酒を見るに、かなりお酒好き。私も珍しい酒の飲み比べ好きだし、話が合いそうだ。

 これは冷凍庫も氷だけかな? と開けた。


「タッパー?」


 まったく自炊の匂いがしないキッチンに、たった一つのタッパー。しかも中身は見るからに、手作りという感じの煮物。


 脳内によぎるのは女の影。

 お母さん? 彼女? こんな手料理差し入れる人がいるなら、何で私に料理を頼むの?

 ぐるぐる廻る思考にしばし膠着し、見なかったことにして、冷凍庫に戻した。


 がちゃり。バスルームの扉が開く音がして、振り返った。

 髭をすっきり剃って、綺麗なTシャツとハーフパンツに着替え、まだ濡れた髪にタオルをかけて、こざっぱりとした桐谷さん。

 シャワーを浴びて、暖まったはずなのに、身体が震えてた。


「……鈴代さん。本当にすみません。大変失礼致しました」

「いえ。お仕事、忙しかったんですか?」

「……は、はい。予想外のトラブルで、納期ギリギリで、最近は不眠不休で、食事をとる余裕もなくて。鈴代さんがいらっしゃる日だったの忘れて、力つきて……」


 今にも土下座しそうなほど、申し訳なさをひしひしと漂わせ、桐谷さんはうなだれた。


「えっと、大変ですね。どんなお仕事をされてるんですか?」

「……SEです。在宅で仕事してます。忙しいと家から何日もでずに、引きこもるので、日付の感覚も、よくわからなくなって」


 SEという職業に納得した。きちっと計算する理系で、食べ物に金の糸目をつけない。

 忙し過ぎてお金を使う時間もなく、貯金が増えるSEがいると、聞いたことがある。


「締め切りに追われると、日付の感覚が狂うのはわかります。それは仕方が無いですね」

「……締め切り? わかる? 鈴代さんも、そういうお仕事なんですか?」

「え、えっと。私は何でも屋というか……」

「……何でも屋?」


 こてりと首を傾げられた。戸惑うのも無理は無い。自分の職業を、人に説明するのが難しく困った。しどろもどろに説明する。


 雑誌のコラムやネットニュースなど、ライターの仕事を頼まれることもある。手が足りなければ写真を撮り、簡単なイラストも描く。

 ちょっとしたデザインなら作れるし、稀に動画加工を頼まれることもある。

 仕事がまるでないときは、ハンドメイドの雑貨を作って、ネットで売ったりもする。


 でも、どれも素人に毛が生えた程度の腕前。一本に絞ったら食べていけない。何でもやって細々と食い繋ぐ。そんな中途半端な職業。


「……ああ、なるほど」


 なぜか桐谷さんは納得し、うんうんと頷く。


「……食物ツイートする人は多いけれど、鈴代さんは、写真も文章もクオリティ高いなと思ったら、プロだったんですね」

「いえ。プロというほどでもなく。あれは趣味です。楽しくて、つい凝ってしまって」


 最初は復讐が目的だったけど、次第に目的を忘れた。「飯テロだ」の反応が嬉しくて、段々エスカレートした。

 見栄えにこだわって写真を撮り、140字の限界にチャレンジして、食レポを書いたり。

 そのおかげで仕事の幅は広がった。趣味が仕事に繋がった。ただ、それだけだ。


「趣味を楽しめるのはいいですね」


 くったくなく笑う姿に驚いた。こんなに無邪気に、笑える人なんだ。趣味とはいえ、頑張ったことを、肯定してもらえるのは嬉しい。


 そこで、はたと気づく。

 できるだけ美味しく見えるようにと、凝りすぎた写真や文章で盛ったから、私の料理が過大評価された? 料理を食べて期待はずれでがっかりされない?

 寝ぼけてたし、空腹は最高のスパイスだ。

 舌が肥えた人を、満足させる料理なんて、私に作れるのだろうか?


「あ、あの。私の料理。本当にたいしたことないですし。ご期待に沿えない気が……」

「……さっきのお弁当、美味しかったですよ? それに料理は味だけじゃなく……」


 桐谷さんが言いかけた時、ぴんぽーんとチャイムが鳴った。

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