飯テロ女の日常

 ぐぎゅるるぅ~。腹の虫が鳴って目覚めた。

 仕事が忙しく、食事する余裕もなく仕事を終わらせ、力つきて寝て、起きた。

 何時間食事してないか、思い出せないが、とにかくお腹が空いた。


 冷凍庫にご飯があって、ほっとする。今から炊いたら飢え死にする。

 卵かけご飯でもいいかな……と思いつつ冷蔵庫を開けて、空っぽだったのに絶望した。


 卵どころか肉も野菜も何もない。梅干しだけがぽつんとあった。


 そういえば今日振込だから、我慢しようと節約モードで、買い出ししてなかった。

 でも今食べなければ、家をでてお金を下ろす前に行き倒れる。


 頼みの綱に食料の備蓄から、乾物を漁る。

 あった。ほくほくしながら戦利品を並べてお湯を沸かす。


 ご飯をチンして、梅干し、鰹節、ゴマ、とろろ昆布をのせて、ほうじ茶をかける、贅沢お茶漬け。


 立ち上る湯気の下で、鰹節と、とろろ昆布が踊ってた。

 ずずず……とお行儀悪く一口すする。

 とろろ昆布の旨味、梅干しの酸味、ほうじ茶の香ばしさが混じりあって、辛抱たまらん。

 熱々の茶漬けを口にかきこんで噛みしめると、ゴマの香ばしさが口に広がった。


 梅の酸味で口をさっぱり。

 とろろ昆布にうっとり。

 ゴマがぷっちり。

 エンドレスリピート。


 美味しい物でエネルギーチャージすると、冷蔵庫が空っぽなんて、どうでもよくなった。

 ビバ乾物。常温の備蓄食料大事。


 一気に食べつくし、腹があったまってほっとすると、幸せの余韻で多幸感に包まれた。

 心も体も食べ物で満たされ、あらためて部屋の中を見渡す。片付けも掃除もできてないし、ゴミ出しも忘れて、ゴミ袋がたまってる。


「荒れ放題だな。でも……まあいっか、一人だし、誰が来るわけでもないし」


 一人は楽だ。だらしない生活をしても、自分が困らなければ問題ない。

 好きな物を食べ、好きな時に寝て、好きな仕事をして、好きなことにお金を使える。

 生きてる時間の全てを自分のために使える。

 私は自由だ。


 そのとき着信音が流れた。サウンド・オブ・サイレンス。結婚式に乱入し花嫁をさらって逃げるので有名な、アメリカ映画の主題歌。

 琴子からの電話だ。


「琴子、どうしたの?」

「ん……桐谷さんとその後どうなったの? まあ、紹介した手前、気になったのよ」


 どうと言われても、まだ連絡先を交換しただけで、それ以外、新しい情報はない。


「もしかして、アイツを引きずってる?」


 琴子に言われて、びくりと震えた。

 三年前。私は結婚する予定だった。だけど元婚約者は、結婚式直前に、私を捨てて他の女と逃げ出した。思い出すだけで気分が悪い。

 その記憶を振り切るように、思い切り首を横に振った。


「それはない。あれ以来、連絡も一切とってないし、とっくに忘れたよ」


 嘘。忘れてない。

 想い出の赤い切り子グラスも捨ててないし、今でも彼に復讐してる。飯テロで。


「ふーん。ならいいけど。あんな馬鹿男ばっかりじゃないわよ。桐谷さんと付きあえとは言わないけど。誠実な人とリハビリで食事するのもいいんじゃない?」


 やっぱり私を心配して紹介してくれたのか。

 子供の頃から、琴子はいつでも私の味方。お節介なくらい私のために色々してくれる。

 その気持ちが嬉しい。


「恋音は人付き合いしなさすぎ。私以外にアンタが信用できる友達、作りなさいよね」

「心配してくれてありがとう。琴子も良い出会いがあるといいね」

「……私は当分恋愛なんていいの。今は仕事とダイエット」


 琴子の声が少しくらい。彼女も私とは違う傷みを抱えてる。

 琴子みたいに行動力もない、口べたな私には、ただ話を聞くことしか、できないけど。



 琴子の電話が終わった後、サウンド・オブ・サイレンスを再生した。

 あのアメリカ映画。逃げ出した主役達より、花嫁を奪われ、取り残された花婿を想う。

 物語の後に、彼が素敵な女性と出会って、幸せになれたらいいのにな。


 曲を聴き終え、食器を片付ける。ちらりと赤い切り子グラスが二つ、目に入った。

 捨てちゃえばいいのに……モヤモヤとした感情ごと、綺麗さっぱり。


 ──男は裏切るが、食べ物は裏切らない。


 一人でいれば、誰かを好きにならなければ、もう裏切られることもない。

 美味しい物を想いっきり食べる。平和で平穏な生活を過ごせる。


 今日は振込があって、懐もあったかい。

 何か美味しい食材を買って、美味しい料理を作って、飯テロツイートをして。

 そんな幸せな思考に切り替え、切り子グラスの存在を頭から消去した。



「勢いでオマール海老買っちゃった。どうやってさばくのか、ネットで調べないと」


 振込金額が予想より多かったのが嬉しくて、思わず築地までふらふら買い出しにいったら、出会ってしまったのだ。

 オマール海老という名がオシャレだ。この頭は写真写りがよい。甲殻類は大好物だ。

 思わず機嫌良く、相棒の三徳包丁を、海老の殻に突き立てる。

 ざくりと割ったら、味噌がとろりにじんだ。

 今日はトマトパスタにしよう。


 フライパンにバターを落とし、みじん切りの玉ねぎ、人参、セロリを炒める。香味野菜が多いと甘くてまろやかになる。

 茸もくわえ、さらに炒める。茸は出汁がでるから入ってると旨味がアップ。

 そこにオマール海老の登場だ。火が通りすぎるとぱさぱさするから、ある程度火が通ったら一度、海老の身だけ取り出した。

 海老味噌のコクは、ソースに溶けている。

 トマトは缶詰と生、両方使うのが美味しい。缶詰のホールトマトと、甘みの強いミニトマトをくわえ、さらに炒めた。

 バターと生クリームを少しだけ加えて、コクをアップ。塩胡椒で味を整え、海老を戻したらソースはできあがり。


 最後に、ぐつぐつと鳴る鍋にパスタを入れる。ぐらぐらとお湯の中で踊るのが楽しそう。

 横長なオーバルの白皿に、もっちり太麺生パスタを、少し高さを作って上品に盛りつけ。

 オマール海老の頭が、一番良い角度に見える配置にした。濃厚海老トマトソースがパスタと出会ったら、バジルの葉を飾る。

 赤と緑が美しく、シンプルな白い皿によく映えた。


「完成!」


 ブラウンの上品なテーブルクロスの上に、シルバーと一緒に、パスタ皿を並べる。


 ──見栄えが命だから。


 ぱしゃり。ぱしゃり。料理が冷めないうちに素早く、デジタル一眼レフで微調整しながら構図を変えて何枚か撮る。

 海老の頭の迫力が出るよう、照明で自然な影を作り、湯気を見せてシズル感も出したい。

 三年前、飯テロツイートを初めた時は、スマホで撮影してたけど、良いカメラで撮ると全然違うな。高かったけど仕事でも使えるし、良い買い物だった。


 並んだ料理、部屋に一人きり。時計をちらり。午前0時。

 この時間に高カロリー食は体重が……なんて気にしない。

 そのぶん、朝昼を軽くすればいいんだから。


「いただきます」


 フォークを持つ手がうなる。パスタに突き刺すと湯気が立ち上り、そのまま口へ運んだ。

 もちもちした生の太麺を噛みしめると、濃厚な海老のうま味がガツンと舌を直撃する。

 海老が濃い。


「えび、えび♪」


 思わず、鼻歌を歌いたくなるほど、海老。

 一人だし、心置きなく歌って、じたばたしていいよね。

 ぴりりとした胡椒の刺激と爽やかなレモンの香りが、こってり濃厚ソースを引き締めた。

 がぶり、と海老にかぶりつく。

 歯を押し返すような、ぷりぷりした強い弾力と、ねっとりした甘みに、うっとり。

 海老の旨味が、ぎっしりのソースに、バゲットを浸してかぶりつきたい。


 辛抱たまらん。コンビニで買った赤ワインの小瓶を開けた。

 赤ワインをくいっ。ブドウの香りが、口から鼻へ抜けていく。

 チリ産フルボディの赤が、ほどよい渋さと重さで、口の中をさらりと洗い流してくれる。


 これぞ料理と飲み物の完璧パーフェクト結婚マリアージュ


 魚介類に白と言うけど、私は赤ワイン派だ。

 濃厚な味のパスタでも、ワインが舌をリセットしてくれて、いくらでも食べられそう。


 一口、一口ゆっくりじっくり味わう。向かいの空いた椅子を眺めて。食べ終わって、こつりとフォークを置くと、静寂に音が響いた。


「ごちそうさま」


 そう呟いても、返事は返ってこない。

 満ち足りた満足感に浸って、思わず口からこぼれ落ちたのだ。

 これだけ美味しい料理を作れた自分を、褒めてあげなきゃ。

 美味しさの余韻を忘れぬうちに、パソコンに向かって文章をうつ。

 どれ程、料理が美味しかったか、短い言葉に旨味を凝縮させて。


『今日はオマール海老パスタ。濃厚な海老味噌のうま味がガツンと効いたソースが絡む、生パスタがもちもち。海老の身もぷりぷり。赤ワインがぴったり。残ったソースはバゲットにつけていただきます』


 写真と共に、食レポをTwitterに投稿する。

 ワクワクTLを眺めると、次々と流れてくる「飯テロだ!」の叫び声。


 その中に「彼」のアカウントがあった。私を捨てた元婚約者。

 私が飯テロツイートをすると、必ず彼のアカウントで「飯テロだ!」のレスがつく。

 厭なら見なきゃいいのに、毎回反応があるよね。今頃私を捨てたの、後悔してるかな?


「生産的な復讐だし、いいよね」


 彼が永遠に食べられない料理を、Twitterにアップし続ける。これが私の復讐。

 しばらくTLを眺めてて、桐谷さんのアカウントが、いいねをつけてるのに気づいた。

 思わず、くすりと笑みがこぼれた。

 レスやいいねをつける人達が、ネットの向こうで暮らしていると、忘れそうになってた。

 実際に会った人の反応はとても嬉しい。

 さらにいいねが一つ増える。そのアカウントは馴染みがある。


「あ……『アビシニアン』さんだ」


 何年も前から相互で仲が良い人。会ったことはないが、都内の名店を食べ歩いて、食レポを書いている。東京に住んでいるのだろう。

 この人が紹介する店は、全部あたりだから、私もつい気になってお店に行き、感想を話す。

 食べ物の話題で、仲良くなった人。

 時々DMで雑談したり、プライベートな悩みを相談したくらい、信頼している。

 ふと……この人なら、桐谷さんが何で私の料理にお金を払ってまで食べたいというのか、わかるかもしれないと、DMを送ってみた。


『突然すみません。私の料理ってお金を払ってでも食べたいほど魅力がありますか?』


 桐谷さんの情報はぼかしつつ、聞いてみると、とても丁寧に返事をくれた。


『ただ美味しそうなだけなら、プロの料理を食べると思います。その人が求めているのは味だけではない、別の魅力があるのでは?』


 それはそうだ。桐谷さんも都内暮らし。東京には、いくらでも美味しい店がある。

 わざわざ手間をかけて、私の料理を食べたい理由。それがまだ私にはわからない。


 その時、スマホから通知音が流れた。桐谷さんからメールだ。


『料理環境の下見に、家に来ませんか』


 ご自宅へのお誘い。


 約束だったから、当然なのだけど、一度しか会ってない男の人の家に行っていいのか?

 未だに、まだ何の仕事をしてるのかさえ、聞きそびれている。


 初対面の印象は真面目そうだった。事務的すぎる対応も、他の男の人よりも安心できる。

 でも、喉に小骨が刺さったように、心に棘が残ってる。


 本当に信用できる? 信用していいの?

 ぐるぐる考えすぎて、よく眠れなかった。

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