飯テロ女と契約料理〜君の飯に恋してる〜

斉凛

初めから飯目当ての男

 人は言う「男は胃袋を掴め」と。

 確実に私は彼の胃袋を掴んでる。でも……彼が恋してるのは私の料理で、私じゃない。

 私は自分の料理に嫉妬する。


 運命の出会いは意外な所にあるというけれど、これは斜め上過ぎだろう。

 小学生時代からの幼なじみ・峰崎琴子みねさき ことこに、予告も無くTwitterでブロックされた。


「私がダイエット中だって知ってるでしょ! アンタの飯テロに耐えられるわけないじゃない!」


 私は自分の作った料理を写真付きでTwitterにアップしている。食レポ付きで。これが結構フォロワー数が多くて、皆から「飯テロだ!」という怒りだか、褒め言葉だかわからないリプをもらう。だから私のアカウント名は、いつしか「飯テロ女」になっていた。

 深夜0時過ぎを狙って、飯テロツイートを垂れ流してたのは悪かったけど……。


「でも、予告無くブロックされたら、こっちもへこむよ」

「悪かったわね。じゃあ、お詫びに食事を奢るのはどう? 美味しい野菜レストランを見つけたのよ」


 素材に拘った高級野菜レストラン。人の奢りで思うぞんぶん食べられるのは魅力的だ。


「琴子と二人で?」

「スポンサー付きで三人で」

「お詫びなのに琴子の奢りじゃないんだ」

「いいじゃないの誰のお金でも。知人に偶然、恋音のフォロワーがいたの。飯テロ女が友人だって言ったら、ぜひ紹介して欲しいって」


 そのスポンサーは見知らぬ男らしい。遠回しに紹介されているのだろうか? 

 私も二十九歳。彼氏なし。本当なら結婚に焦る年齢だけど……当分恋はしたくない。

 昔の男が一瞬頭をよぎり、かさぶたを剥がしたみたいに、ひりひりする。これだから琴子も気を使ってくれたのかな。そう思うと断り切れず、琴子の紹介で彼に出会った。初めから私の料理目当ての男に。



「……初めまして、桐谷昴きりたに すばるです。よろしくお願いします」


 ぼそぼそっと緊張してるような、でもすごく丁寧な挨拶とお辞儀。

 眼鏡と、きっちり着込んだスーツ。第一印象から、とても真面目そうな人だと思った。昴という華やかな名が、あまり似合わない。

 年は若くも見えるし、同年代にも見える。特徴を見いだすのが難しい、道ですれ違っても見落としそうな平凡な顔立ち。


「初めまして鈴代恋音すずしろ れんねです。よろしくお願いします」


 慌ててお辞儀を返し、しっかり頭を下げてから、見上げる。

 桐谷さんを上目遣いでちらりと見たら、ふいっと目をそらされた。シャイな人なのかな? 黒のセルフレーム眼鏡の奥で、瞳が泳いでる。


「なにお見合いみたいなことしてるのよ。食事するだけなのに。さあ、ここは桐谷さんの奢りだから、遠慮なく食べなよ、恋音」


 琴子にそう言われ、緊張の糸が緩んだ。ひとまず店のメニューに目を落とす。

 まだオープンして一年のおしゃれなレストランで、メニューを見るだけで美味しそう。

 だけど、結構お高い。奢りでいいのかな?


「ダイエット中に食い道楽二人に付合って、カロリーオーバーしたくないし、野菜レストランにしてもらったの」


 琴子のウィンクで、なるほどと納得した。

 私は食べるのが、もの凄く好きだけど、桐谷さんもそうなのかな?

 野菜のコース料理を三人分頼む。琴子は水だけで、桐谷さんと二人でワインをシェア。

 運ばれてきた料理があまりに美味しそうで、思わず乾杯を忘れてフォークに手を伸ばした。


 ガラスのカクテルグラスに散りばめられた、赤、緑、黄色。一口サイズの生野菜が目にまぶしい。

 アンチョビが効いたバーニャカウダソースをつけて、次々に口に放り込む。

 さくさく。ベビーコーンの食感が楽しくて、いつまでも、しゃくしゃく、噛んでいたい。

 ほくほくのかぼちゃを口にいれる。


「ねっとり甘い」


 思わずほっぺたを押さえて悶えた。野菜とは思えない濃厚な甘さが口の中でとろけた。

 その後に食べたセロリの爽やかな香りが、鼻に抜けるように清々しい。

 ああ……爽やかさで口がすっきりすると、手が止まらない。

 みずみずしく、しゃくりと、小気味良い歯触りのズッキーニ。

 味が淡白なぶん、濃厚なバーニャカウダがよく絡んで最高のパートナーだ。


「このバーニャカウダ、ちょっとニンニクが物足りない……」

「……僕もニンニク強めのほうが好きです」

「凄く良い野菜だから、野菜の風味を優先してるのかな?」

「……ジャガイモの甘みが強いですね。好みです」

「キタアカリ、とも、ちょっと違うような。新しい品種かも?」

「……最近はジャガイモの品種が増えて、食べ比べるのも、面白そうですね」

「ジャガイモの品種食べ比べセットがあったら、よいですよね」

「……よいですね」

「そんなニッチなメニュー頼むの、貴方達くらいでしょう」


 琴子が呆れつつ、私の皿にジャガイモを押し付けた。炭水化物はダイエットの敵らしい。琴子は以前より頬がすっきりしている。

 腕は細いし、腰もくびれてる。ダイエットなんて必要ないんじゃと思いつつ、大きな胸につい目がいって、琴子にじろっと睨まれた。

 新しい料理が運ばれ、視線は自然と料理にうつり、心も琴子より料理にうつる。

 水ダコと野菜のマリネ。翡翠色の丸皿に散りばめられた野菜たちが、みずみずしく、まるで宝石みたいにキラキラ輝いて見えた。

 しゃきしゃき。

 オニオンスライスがほのかに甘くて、全然辛くなくてびっくりだ。

 合間に食べる赤と黄色のパプリカは、濃厚な甘みで、おくちにやさしい。

 水ダコを口に放り込んで噛みしめる。じゅわっと口の中がタコに占領された。


「水ダコが旨味たっぷりで、ぷりっぷりな歯ごたえが……」


 思わずじたばたしたくなり、ぐっと堪える。


「……水ダコは夏が旬なので、もう少しで味が乗ってきますね。甘みが濃厚で柔らかい」

「タコの旬は意識したことなかったかも」

「……マダコは冬が旬です。最近は海外産も多く、旬がわからなくなりますね」


 なるほど。食べ物の旬に詳しいのは凄い。

 甘酸っぱいマリネソースが全体をまとめ、素晴らしいハーモニーを奏でた。


「このマリネ、甘さがほどよいですね。リンゴ酢かな?」

「……香りも独特だけど……バルサミコ酢とも少し違う気がします」

「酢だけでなく、ハーブが効いてるのかも」

「……」


 私と桐谷さんのマニアックな料理考察に、琴子は、もはや突っ込む気もうせたようだ。

 それを無視してしまうほど、桐谷さんの食べ方が綺麗なのに目を奪われる。

 白くて細くて華奢で、少し筋張った手が男の人らしくなくて、その手が振るうフォークの先に刺さるトマトが、熟れた汁気を滴らせ、思わずかぶりつきたくなった。


「せっかく……野菜レストランにしたのに、結局飯テロじゃない」


 琴子の目が涙目な気がするけど、正直凄い楽しい。食べ物の話以外いっさいしてないし、視線は桐谷さんの顔より料理に釘付けだけど。

 味付けの隠し味や、細かい所まで良く気がつく。桐谷さんは舌の肥えた人だ。

 料理の話になると、初めのぼそぼそしたしゃべり方が嘘のように、饒舌で楽しそう。

 料理が美味しいから、ワインもぐいぐい飲んじゃって。足りなくてもう一本頼むくらい。

 桐谷さんも結構飲める人なんだ。

 食事が終わって珈琲を一口。人参のシャーベットを食べ終えたら、急に場がしんとした。

 ……何を話していいのかわからない。すでに食べ物はなくなった。話題が無い。

 食べ物の話だけでさようなら、二度と会いませんというのは、なんだか申し訳ない。

 奢ってもらってるし、せめて何か面白い話をと考えるのだけど、思いつかずに口ごもる。

 気まずい沈黙が続き、その静けさに耐えきれず、ふと目をあげる。

 初めて桐谷さんと目と目があって、不穏な気配を感じた。


「……あの、お聞きしてもいいですか?」

「はい」

「……鈴代さんのツイートはとても美味しそうで。料理のお仕事をされてるのですか?」

「いえ。趣味です」


 わざと深夜を狙った飯テロツイートって趣味が悪いかな? 理由はあるのだけど、初対面の相手に言うのはためらわれる。


「……誰かと食べるための料理ですか?」

「いえ。いつも一人で食べてます」


 『飯テロだ』のレスをつけてもらえるから、一人飯でも凝ったものを作ろうと張り切れる。

 私の返事に深くうなずき「やはりそうですか」とつぶやく。何の意味がある質問なのだろう?

 しばらく無言で悩んだ後、やっと口を開いた。震える声が少しうわずっている。


「……鈴代さん。お願いがあります」

「え? ……何でしょう?」

「……僕のために、料理を作ってもらえませんか?」


 まるでプロポーズのような言葉に動揺し、まともに返事もできず固まった。


「……謝礼に高級料理でも、何でもご馳走します。鈴代さんは食べるのが好きですよね? だから、作ってもらえないでしょうか?」


 謝礼。ギブアンドテイクな言葉に、まったく恋愛の香りが漂わなくて、さらに困惑する。


「恋音。桐谷さんはアンタの飯テロツイートをずっと見てたの。アンタの手料理が食べてみたいって。それで紹介したのよ」


 琴子の説明で、やっと事態が飲み込めた。プロポーズでも何でもなく、本気で私の料理目当てで、桐谷さんは会いにきたのだ。


「料理を作れと言われましても、どこで?」

「……僕の家のキッチンを使ってください。調理器具や食材が足りなければ、僕が全て買いそろえます。必要経費です」


 初対面の男の家に行くのは、もの凄くハードル高いのだけど。必要経費なんて事務的用語と、桐谷さんの生真面目な雰囲気が、まったく下心を感じなくて……逆にせつない。


「……すみません。使い慣れてない調理場だと困りますか? 鈴代さんのお宅にお邪魔した方がいいでしょうか?」

「いえ……それもちょっと」


 自慢じゃないが、料理以外の家事は苦手だ。汚い部屋を見せたくない。万が一、変な人だったら、自宅を知られるのは危ない。


「……では、どこかキッチンスペースを借りますか? レンタルだといくらくらい……」

「そこまでお金をかけて食べたいんですか? 私の料理」

「はい。食べたいです」


 それまで言葉にあったよどみがいっさいない、清々しいくらいに、はっきり、きっぱり。

 そこまで食べたいと言われれば、悪い気はしない。


 じっと見ると、申し訳なさそうに肩を縮ませ「……無理を言ってすみません」と蚊が泣くような、か細い声をあげた。とても残念そうで見てて不憫だ。

 少し悩んだけど、酒に酔ってたかもしれない。勢いでうっかり頷いた。

 初対面の私にこんな大胆な提案、きっと桐谷さんも酔ってたに違いない。


「……よろしくお願いします」

 

こうして私は、彼の契約料理人になった。

 男の家に料理を作りに行き、高級な食事をご馳走してもらう。まるでデートみたいじゃないか。そういう関係をこれから続けて、いつか恋に発展するのだろうか?


 ……未だに名前以外、何も知らない人ですが。


 性格は、職業は、趣味は、家族構成は?

 それ以上に気になるのは、果たして私達の間に、食べ物以外の話題が成立するのか?

 胃袋でしか繋がれない男女の物語が始まる。

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