第29話「4ンソ」

「……あ、あア」


 ルリの首にはドラキュラの手。細いが一本一本の指が万力のような力で絞めていく。


 首の皮膚は裂け、骨が折れるより先に首自体が切断されるのではないかという力具合だった。


「……ア、ア、ごめんな、さい」


「懺悔の言葉は必要ないですよ。百目木ルリさん、あなたは別に悪いことは何もしていないのですから。真祖でないと分かった以上、ただ死んでくれればいいのです。それでは、さようなら。これにてシンソゲーム閉幕です」


 ドラキュラが手に最大の力を込めようとした刹那。

 彼の腕は飛んでいた。


「血の斬撃!? まさか、まだ生きていたのか、百目木マスオっ!!」


「あ~、生きていたのはやつがれの方だ。正確には一度死んではいるけど。まぁ、最悪の目覚めだね。さて、その人は僕の大事な人だからね。放してもらったよ」


「……けほっ、ごほっ。ア、アカギさま。申し訳ありません。貴方の眠りを覚ましてしまって」


 平穏に生きたかった。

 殺し合いとは無縁の生活を送りたかった。

 だから、僕は魔眼で自分は人間だと。吸血鬼の記憶を忘れるようにとしてもらっていた。それが、死によって解けた。解けてしまった。

 それを悔いているのだろう。だけど――。


「気にしなくていいよ。瑠璃ルリ。君は悪くない。全てこの男が悪い」


「……ですが」


 瑠璃は苦しそうに首を押さえながら、僕に謝罪の意を伝える。別にそこまでしなくてもいいのに。僕にそんな価値などないのに。


「それから。よく命令通り瑠璃を守ってくれたね。真赭マスオ。僕の眷属には勿体ないくらいだ。安らかに眠ってくれ」


 すでに事切れた真赭ではあったが、その表情はどこか満ち足りていた。

 その表情だけが唯一の救いではあった。

 彼は事故で死にかけていたところを救う為に僕が半ば強制的に眷属の吸血鬼にしてしまった。

 本人は気にしないでくださいと。今が幸せだと。いつか恩返しをするとよく真顔で言っていた。

 そんな真赭の最後が僕と瑠璃を守っての死。

 充分以上の恩を返してもらったよ。


「ありがとう」


 あとは――。

 僕は水を操ると、プールに落とされた鋼森を救いあげる。

 水球に包まれた鋼森をそのまま陸に上げると、水はもとの不定形にもどり、排水溝へと流れていく。

 鋼森からは微かな心音が聞こえてくるので、まだ生きているだろう。


「赤城トシユキさん。あなたは真祖なのですか?」


 歓喜によるものか、ドラキュラは震えながら僕に問い掛けて来る。

 正直答える義理はないのだが。


「そうだよ。恥ずべき真祖だ。僕は」


「ど、どういった真祖なのですか!?」


「同胞殺し」


 その言葉に、ドラキュラはニヤリと口角をあげ、大仰に両手を広げてみせる。


「なんとっ! なんと素晴らしいっ!! 私を殺してみせてください!! さぁ! さあっ!! さ――ごぼっ!!」


 あまりの気持ち悪さに、思わず手が出てしまった。


「痛い! だが、これが解放への第一歩♥」


 ドラキュラは鼻血をまき散らしながらも恍惚とした表情を浮かべている。



 本気で気持ち悪い。

 こんなのが瑠璃に触れ、真赭を殺したと思うと吐き気がする。


「おい。もし、僕があなたを殺さないと言ったら? そちらの方が復讐になりそうだけど」


「ふははっ! それなら、そのときは赤城さんの大切なものを壊していくだけです。まずはルリさん。そして、学校の人間でもいいですし、ご近所や近くのスーパーの人間でもいいです。あなたと関わりのあるもの全て壊して差し上げましょう」


「どの道、真赭のケジメをつけさせるつもりだったから、殺してやるよ。同胞殺しの真祖。赤鬼が」


                ※


 僕はかつて、人間の輪に入りたくて大事な友人を犠牲にした。

 あいつの血と汗の結晶を啜り、僕は人間の輪に入ることに成功した。

 だけど、他人の犠牲の上で得たものは長くは続かなかった。

 そして、本当に大切なものを僕はこの手から取り溢していたのだった。


 同胞殺し。


 僕は瑠璃の父親である青鬼を殺し、その血を吸い吸血鬼の真祖と化した。

 だけど、青鬼も瑠璃も僕を憎むどころか――


                 ※


 思わず涙が溢れる。

 これは過去への贖罪。現在への後悔。未来への絶望だ。


「泣いた赤鬼。それが僕の正体だよ。能力は他の吸血鬼の能力を奪えること。わざわざ能力を明かして何がしたいんだって話だろうけど、ドラキュラ、傷の治りが随分遅いと思わないかい?」


 ドラキュラは自分の鼻からいつまでも垂れる血を拭うと、首を傾げた。


「たしかに、いつもでしたらすでに治っているはず」


「吸血鬼の能力をすべて奪った。これであなたは人間だ」


「へっ? そ、そんなことが!?」


 ドラキュラは落ちているナイフを拾うと体にペタペタと当ててみる。


「ふはっ、はははっ!! 痛くない。苦しくないっ!! 本当に私は人間に戻れた」


 歓喜に満ちた顔。でも、そんなことを許すはずがない。


「喜んでいるところ悪いけど、その腕と出血量は、人間じゃあ助からないんだよね」


「へっ?」


 先ほど僕が切り飛ばした腕。

 痛みに慣れ過ぎたドラキュラは痛みを感じてはいても、頓着はしないようであり、腕はそのままにして今まで動いていた。


「あ、あれ、そうですね。ど、どうしましょう。止血しなければ」


 出血が止まらない腕を押さえようとしたドラキュラは、どしゃりと倒れ込む。


「あ、あれ? おかしいですね」


「さすがにそこまで血が出てしまうと動くのも大変でしょう」


「い、いやだっ!! せっかく人間に戻れたのに死ぬのはイヤだっ!! た、助けてください! このまま人間として暮らしたいんです! 人間に戻れたのに死ぬのはイヤです!!」


 僕に命乞いをするドラキュラ。なんて惨めなんだ。


「あなたが殺してきた吸血鬼にも人生があって死にたくないと思っていたはず。自分だけ目的を達したから死にたくないっていうのはワガママじゃないかな? そこで、ゆっくり死んでいってね」


 人間となりほぼ無力なドラキュラの体を調べ、この建物から出る為の鍵を奪い取る。


「た、助けて、くだ、さ、い……」


 ドラキュラの言葉を無視し、僕は鋼森の元へ向かい、耳打ちする。


「エレメンタラーの三木谷さんは生きている。能力を奪った相手の生死くらいなら判断できるからね。あとで掘り返しに行ってやってくれ」


「う、うぅ、赤城……?」


「鋼森には世話になった。服屋に行く約束は守れそうにないのは心苦しいけど」


 踵を返し、真赭の死体を抱き上げる。


「家に帰ろう……」


 腕の中で徐々に灰となっていく真赭を少しでも落とさないよう。しっかりと抱きしめて。


 僕のあとに瑠璃が侍り、この忌々しい建物を後にした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る