第12話「九4に一生」

 なんの脈絡もなく、マスオさんのトレンチコートを脱ぐように要求する三木谷さん。

 そして、何も聞かずにさっさと脱ぐマスオさん。


「これでいいか」


「ええ。オーケーよ。あたしの能力は元素支配。とは言っても苦手な火は操れないけどね。風も土も水もない密室では精々この程度しか出来ないけど、無いよりはマシでしょ。空気中の水分を集めて濡らす」


 いつの間にかトレンチコートは水浸しになり、それをマスオさんへと返す。


「あたし、火が苦手だから、あとよろしく」


 マスオさんは炎が血液のラインを越えて来た場所にトレンチコートを押し付け時間を稼ぐ。


「おおっ! すげーな。俺様の革ジャンもいけるか?」


「え? 革ジャン? それは難しいかもしれないわね。それより、そっちのブレザーの方がいいわね」


 ルリはなぜか、すんごくイヤそうな顔をしつつも、僕に了承をとって、ブレザーを差し出す。


「はい。これで、あたしの為にガードしなさい!」


「おっしゃ、任せとけっ!! アチチッ!」


 自分も火が苦手と言っていた割に元気に炎を抑えに行く鋼森。この人、いや、この吸血鬼、本当にいい鬼だな。

 2人の活躍もあってか、なんとか1Fへとたどり着く。


「おっ! 着いたな。旦那っ! 行くぜっ!!」


 鋼森とマスオさんは同時に蹴りを入れ、扉が開くのを待つより数段早く外への経路を切り開いた。


「逃げろ! 逃げろ!!」


 女性陣から逃げ出し、僕、鋼森、マスオさんと続く。

 そして、最後に……。


「3531。3532。3533……」


 石垣はなぜか出てくる気配もなく、炎の迫る壁をじっと見つめていた。


「おいっ! 石垣さん。何してるんだ! 早く出ないと死んじゃうぞ!!」

 

 けれど、石垣はまるで僕の言葉なんか気にも留めていないようで、ひたすら壁に向かってぶつぶつと呟いていた。


「3578、3579、3580……」


 体に火が移っているにも関わらず、それでも何やら数を数えている。


「何を考えているんだ!! くそっ!」


 僕は濡れたブレザーを鋼森から奪い返すとそれを被って石垣の元へ戻る。


「ほら、さっさと行くぞ!」


「3591、3592、3593……」


「やっぱり数を数えているのか? なんの?」


 石垣の視線を追うと、向日葵の絵を見ている。向日葵の絵で数を数えられそうなものと言ったら、種か?


「そんなもの数えていないで、石垣さん行くよ!」


 だんだんと火の手も強くなり、僕がここにいるのも限界だ。

 でも、こんな相手でも見捨てるなんて、出来ない!

 なんとか。なんとか出来ないか!?


 そこで、先ほど鋼森が首が180度回ってもピンピンしているのを思い出し、無理矢理に視界が変わればなんとかなるんじゃないかと思って首を回そうとするけど、人間程度の力じゃ、そうそうそんな芸当は出来ず、無駄に火が回る時間を浪費しただけだった。


「くそっ! 見捨てるのか!?」


 これが人間と吸血鬼の覆せない隔たりなのか!?

 言葉ではなく、単純な力の差。筋力、膂力、そんな単純な差。

 たったそれだけがどうしても覆せない。


「やりたいことは分かった」


 そのとき、同じくびしょ濡れのトレンチコートを羽織ったマスオさんの声が耳元に。


 マスオさんは、その太い腕で石垣の頭を掴むと力を込める。

 辛うじてトレンチコートの袖から見える手首には青筋が浮き出し、渾身の力が込められていることが分かる。


 石垣の首がわずかに傾き始める。


 これならいけるっ!

 首を180度回すという非人道的な行為で、こんな喜びをあらわにするのはどうかと思うけど、助けるにはこれしか思いつかない!


 だけど、そんな期待は一瞬にして裏切られた。


「邪魔くさいぞっ! 小童っ!!」


 石垣の腕がススッと動いたかと思うと、腕だけが張りのある若者のような質感に変わり、同時に何倍にも筋力によって膨れ上がる。

 腕だけデカイ怪物のようなビジュアルに一瞬で変貌した石垣から放たれた拳は首を掴むマスオさんへと向けられた。


「ぬぅっ」


 マスオさんの巨体は体重なんかないように簡単に宙へと浮き――ぐえっ。


 どうやら僕はマスオさんに掴まれたようで、一緒にエレベーターの外へ弾き飛ばされた。


「マ、マスオさん、何を……」


「あれは助けられん。だから、ルリの願いを優先した」


 ルリの願い? それは僕を守るってこと?

 でも、それじゃあ、石垣さんは……。


「4442、4443、4444……」


 エレベーターは完全に炎に包まれ、石垣さんの姿は見えなくなった。

 

 轟々と燃えていくエレベーターに僕たちはなすすべもなく、ただ見ていることしかできなかった。

 熱で鉄が曲がったのか、バキバキッと音が聞こえ、エレベーターは自重を支えきれず潰れて数メートルほど落ちる。


 石垣の生存は絶望的だ。


 また目の前で助けられなかった……。

 もし、もし霧崎くんが生きていたら何か助けられるアイデアを閃いていたかもしれない。

 僕では霧崎くんみたいにハイスコアを取るなんて、……無理だ。


 続けての死。続けての無力感。

 とめどなく涙が頬を伝い、床を濡らす。


「……赤城くん。大丈夫。自分を責めないで。あなただけ。この場であなただけが他人を助けようとしている。その行いは恥ずかしいものでも後ろめたいものでもないの」


 そっと僕を抱きしめるルリ。

 その僅かな温もりに、先ほどまでとは種類の違う涙が零れる。


「あっ、う、うぐっ、ありがどう……」


 誰にも見せられないようなグシャグシャな顔をしているに違いない。眼もきっと紅く染まっているだろう。

 こんなに人が見ているのに情けない。

 顔だけじゃなくて、感情もグチャグチャだ。


――ガラガララッ。


 依然として炎は消えず、エレベーターを焼いているのか、瓦礫が崩れる音がときたま聞こえてくる。


 この音は、僕の無力の音だ。

 一生忘れない音になるだろう。


――ガララガラガラッ!


「ふぅ。この歳でこんな重労働は腰に来るのぉ」


 瓦礫をかき分け、人影が炎の中から現れる。


「えっ? えっ? えっ?」


 一見ただの老人にしか見えない男は、さも何事も無かったかのようにグレーのスーツについた煤を帽子でパタパタと叩き落としている。


「石垣さん? 生きていたの?」


「あの程度の炎、服が汚れる程度。元より眼中に無しよ。瓦礫が頭に落ちたのは少しだけ痛かったがのぉ。ん? なんじゃワシが生きとったら不満か?」


 僕の気持ちを見透かした上で口角を上げて嘲笑う。


「いいや。良かったよ。確かに石垣さんの考えには賛同できないけど、それでも死んでいい訳じゃないから」


「ふんっ。変わり者め。そんなお主に良い情報をくれてやろう。あのエレベーターの向日葵の種の数は5648個じゃったぞ」


「え? いや、そんな情報いらなくない?」


 なんだ。それがこの先何かに関係するのか? それこそ命を懸ける程重要な情報なのか?


「なっ! あんな細かなものがあったら数えたくなるのが吸血鬼の性じゃろうがっ!」


 ここ一番の驚きの表情を見せてるんだけど。

 

 僕は小声でルリに聞くと、


「……豆の数を数えずにはいられないって弱点はたしかにある。わたしもそんな弱点を本当に持ってる吸血鬼は初めてみたけど」


 こ、これは、マイナーな弱点でもカバーしてくるドラキュラハンターVに恐れ戦けばいいのか、それともそのきめ細やかさに称賛をあげればいいのか。もしくはバカバカしさに呆れればいいのか分からないな。

 ただ、ひとつ言えるのは、僕の涙と努力、返してくれないかなぁ!!

 

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