第9話「最初の4者」

 鼻を突く嫌な臭い。

 ただ焦げ臭いというだけではなく、直感的に感じる死の匂い。

 煙が目にしみたという理由では断じてなく、いつの間にか僕の目からは涙が溢れ出す。


 いや、違う。泣くな。泣くのはまだ早い!


 それは生存を疑っているってことだ。


 部屋の中に火元になるようなものは何もない。

 それなら、この焦げた臭いは……?


「こ、ここに……」


 か細い声が耳に届いた。

 声はこっちかっ!


 すぐにバスルームへとつながる扉を開けると、芋虫のような何かが蠢く。


「うわっ! な、なんだ?」


 ゆっくり近づくと、そこにはカーテンの生地で体をくるんだ霧崎くんだった。


「良かった。無事だ――、あ、ああっ」


 無事だったんだね。と言おうとした僕は、霧崎くんの体を見て、次の言葉が出て来なかった。

 芋虫のように見えたのは、ただカーテンにくるまっていたからではなくて、片手と下半身が無くなっていたからだった。


「そ、そんな……」


 ここに来てはもう認めるしかない。

 僕の眼からはボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちる。


「ぼくの為に泣いてくれる相手がいるなんて……、悪くない最後かな」


「そ、そんな、最後だなんて! 日の光を避けて、血を吸ったら回復するでしょ? 吸血鬼なんだし」


「無駄だよ。無駄無駄。もうこんな体じゃあ無理だ。それに弱点でのダメージはなかなか回復しないんだ。それは鋼森でも見てるでしょ。だから、今はぼくを助ける為に動くんじゃなくて、ぼくの話を聞いてほしいな」


 ひどく大人びた表情にどきっとしながらも、霧崎くんの話をじっと聞く。


「ふふっ、ありがとう」


 力ない礼の言葉のあと、まるで最後の力を振り絞ったかのような言葉が続く。


「このドラキュラハンターってやつの性格がだんだんと分かって来たよ。ぼくと同じで無駄なことはしないけど、殺すのも楽しみたいってタイプだ。だから、弱点かもしれないことを晒した相手から殺すんだ。その証拠に、カーテン。カーテンにくるまって太陽を避けようとしてカーテンを開けたら、天井が元に戻った。つまり、『カーテンを開けない』が罠の条件だったんだよ。だから、お兄ちゃん。よく見て。罠を先読みして、大丈夫そうなら、掛かるべきだよ。それが攻略法」


 霧崎くんは残った腕につく、時計を見せる。そこには死亡回数が2回になっている。


 2回? いまの太陽で1回だとするなら、もう1回は……食堂!?

 霧崎くんは完全に回避していたのに、回数が増えているってことはっ!!


「うん。わかったみたいだね。良かった……」


 霧崎くんの瞼は重そうに徐々に眼を閉ざして行く。


「霧崎くん。ダメだ! 気をしっかり持って!!」


「ははっ、お兄ちゃんはちゃんと生きて……」


「なんで、なんで、最後まで、僕らのことを……」


 霧崎くんは僕が生き残るよう最後までヒントを残そうとしてくれている。それなのに、それなのに、僕が霧崎くんに出来ることなんて、こうして最後の言葉を聞くくらいしか出来ないなんてっ!


「ふふっ、ゲーマーってやつは、自分が勝てなくてもチームが勝てば、それなりに満足なんだよ。だから、ぼくはここまでだけど、お兄ちゃんには勝って、主催者を絶望のどん底に落としてほしいんだ」


 力なく笑うその顔は子供が大人をからかっているような、そんな悪戯好きな小悪魔のようで、見た目相応の笑顔だった。


 霧崎くんのそんな笑顔は徐々に崩れ始めた。

 笑顔を保てなくなったのではなく、顔の一部が灰と化し、さらさらと僕の手から零れ落ちていく。


「あ、ああ……」


 一切の体温も感じぬ灰に、人間とは明らかに違う死に様ではあっても、命が零れ落ちていくのを実感する。

 押さえても押さえても、指の間から零れ落ちる灰。


 どうにもならない。


 僕は……無力だ……。


「……そ、…………は……て」


 霧崎くんは、何かを言おうとしたようだけど、僕には何を言いたかったの聞き取れなかった。


 最後はひと固まりの灰となって、地面へと散らばった。

 カランと時計の落ちる音だけが虚しく響いた。


 彼の最後の言葉すらちゃんと聞くことが出来なかった僕に、このあと、一体何が出来るのだろうか。

 復讐に燃えてドラキュラハンターVを殺そうとする? もしくは自分一人だけでも生き残る? それとも最初の意思を通して皆で生き残る道を探す?

 

 どれもが不可能に思えた。


 無力な僕に出来るのは床に散らばった灰を泣きながら集めることくらいだ。

 霧崎くんとは本当に短い間だけの付き合いだったし、吸血鬼という人類の敵が減ったのは良い事なのかもしれない。それでも、目の前で誰かが亡くなるのは辛い。

 ここから消えてしまいたいくらい辛いんだ。


 ぽたぽたと涙が灰を濡らす。


「そんな顔をするな。お兄ちゃんのハイスコアを目指して」


 僕に声をかけて来たのはマスオさんだった。


「その言葉は、もしかして……」


「ゲーマーの最後の言葉だ」


 マスオさんはそれ以上何も言わなかったけど、僕と一緒に灰を集めてくれた。

 

 霧崎くんはなるべく多くの吸血鬼で生き残ってVを倒すことがハイスコアだって言ってたね。

 僕がそれを出来るか分からないけど、そうだよね。

 ここで悩んで何もしないのは少なくとも絶対に違う。


 どんな結果でも、全力でハイスコアを取りに行くのが霧崎くんへの手向けになるはずだ。

 

 僕は霧崎くんの遺灰を集め終わると、涙を拭って立ち上がった。

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