2・お嬢様の覚悟
1週間後。わたくしは同じSAにいた。今回はその中にあるコーヒーチェーン店で橘樹さんを待っているところ。いちご味のフラペチーノがとても美味で、就活が終わればもっと美味だろうにと思いつつ。
「よう、お嬢様」
橘樹さんが、おそらくバニラのフラペチーノ――しかも一番大きいサイズ――を片手に気さくに声をかけてきた。
「ごきげんよう橘樹さん。蝶子でいいと言ってますのに。それにしてもスーパーウルトラファンキーな格好ですわね」
この1週間、通話アプリのナウコールでわたくしたちはやり取りしていた。その中で橘樹さんは本当の自分を見せる! と、息巻いていた。
これがそうなのだろうか――茶色い剣山のような頭に、色素が沈着したかのような紫のアイシャドウ。暴のつく人間がごとき極細の眉。獲物をかっ喰らったばかりのライオンのような紅い唇。両耳に紫のイヤリングをつけていますが、アルファベットっぽいですわね。金と銀のネックレスがきらびやかで、どう見ても所属しているのが、会社より団にいそうな出で立ちですわ。
「おう、これが基本的なオフのアタシだ」
誇らしげにくるりと一回転して見せてくれました。紫のジャンパーの裏には、禍々しいニシキヘビの柄。こっちに飛び出さんばかりに荒れ狂っているデザインで、あまり得意ではないわたくしは、内心メチャクソビビリ散らかしました。咳払いをひとつしてから、
「……格好いいですよ。個性が激しくぶつかり合ってはいますが、不思議と調和して見えます」
か弱いお嬢様なら、裸足で逃げ出すレベルを瞬時に超えていますけども。
「蝶子に褒めてもらえて嬉しいよ。それよりさ、聞いて驚くなよ。実はウチの親父と蝶子のとこの親父さん、古くからの付き合いだったんだ」
「そうですの? 初耳ですわ。何が高じて仲良くなったのでしょう?」
「さあな。そこまでは言ってくれんかったな。……でさ、蝶子の親父さん、蝶子に対して凄く心配してっぞ。過剰なぐらいにな。最初に言っておくけどよ、恨むなよ? だから、面接や実技を受けた企業に対しても、落としてもらうように言ってたらしい」
「……っ!」
心の隅に押しやっていた嫌な予感が当たってしまった。やっぱり、やってくれやがっていたのですね。クs――お父様。これでは、いくら印象を良くしたところで受かるもんも受かりませんわ。
「諦めて家にいてくれることを望んだんだろう。だけど、アンタは諦めなかった。何社、何十社落ちようと関係ない。ただ、自分がしたい仕事だから、下請けの下請けでも、工場以外でも、富士川技研とはまったく繋がりのない会社でも構わず受け続けた。多分、働かなくても食っていけるはずなのにな」
「今の時代、自分の人生は自分で決めます。成人してまで親の言いなりで生きていくだなんて、わたくしにとって無味無臭の人生ですわ」
「そうだよな。それでな、ウチの親父が『親が娘のやりたいことをやらせないで、見守ってもやれねぇってか? そんなの親じゃねぇ、子どもは親から巣立つもんだ。いずれ先に親は死ぬ。親に頼らずに生きて行かなきゃならんのだ。だから、ここはひとつ、俺に預けてくれ』って」
「……えっ、つまり、わたくしのことを受け入れてくださるということですか?」
「おう。もっとも蝶子の親父さんは、まだ渋ってたけどな。ご迷惑がーとか何かやらかしたらー不束な娘がーとか」
娘――わたくしのこととなると、普段の迅速果断で経営を取り仕切る姿はどこへやら。身内や親密な間柄の人間にしか見せない不断の性(さが)が現れる。
それは、マイナス思考で心配性。ウジウジという言葉の何百倍もウジウジし続け、わたくしがいくら言葉を尽くしても、自分が納得しないと首を縦に振らないのです。ハッキリ言って疲れますし、時間の無駄遣い。膨大な時間の浪費に、虚しささえ覚えるほどですわ。
「ウチの親父も黙って言い分を聞いてたんだけど、あまりにも似たようなことを言ったり、やってもないのにもうミスの心配をしたり……。いい加減頭に来て一喝したらしい」
「すっごくベリーナイスですわ。橘樹さんのお父上に今度お会いしたら、お礼を申し上げなくては」
「いい、いい。そんなん別にいいから。でな、親父が『他のモンと同じように扱う。特別扱いはしねえ』ってさ」
「望むところですわ」
身が引き締まる思いに、胸の前で拳を握る。橘樹さんが拳を突き出すから、つい軽く当ててしまう。
「……ということは採用ですの?」
「たった今決まったぞ」
驚きと喜びで心臓が跳ね上がる。
「マジですの!? わたくし、まだ選考の段階だと思っていましたわ」
「節々に採用に近いワードが合ったと思うんだが……」
「面接と実技を行うことが受け入れられた、と解釈していましたの」
「あー、なるほど。今蝶子が行ってるところの人間は、優秀な奴ばっかりだから。ご多分に漏れないだろって判断だな」
「大ざっぱな……ご期待に添えない可能性も無きにしも非ずですのよ? せめて、実技試験だけでもお願いできませんか?」
「お嬢様だけあってクソ真面目だねぇ。わかったよ。そこまで言うんなら、夏休みにウチに来いよ。親父と整備部課長と一緒に、腕前を見てやっから」
「ありがとうございます!」
何か不都合なことに思い当たったかのように、橘樹さんの目が泳いだ。
「その、ウチの会社は蝶子が想像してる以上に安いぞ?」
歯切れが悪いですわね。お給料のことは特に気にしてませんのに。
「貯金は困らないほどありますので、ご心配なく。わたくし自身が働きたいところで働ければ問題ありません」
「うわー、そのセリフ言ってみてー。でも、そう言ってもらえて安心したわ。お嬢様だから『月給は最低三ケタは欲しいですわ』とか言い出すもんかと」
そんなお嬢様がいたら、扇子かパイプレンチで横っ面を引っぱたいてやりますわ。
「申し訳ないのですが、そこまで非常識じゃありませんのよ。一応、普通の会社で働く上での一般常識は、身に着けていますから」
ふたりで笑い合っていましたが、不意に橘樹さんが自分の頭に拳をぶつけた。
「わりぃ、肝心なことを言い忘れてた。苗字は別なものを名乗ってもらう。あと、髪型もできたらショートにしてもらえないか。あっ、髪型はアタシの独断だ。蝶子のその、口調はともかく、ガワから溢れるお嬢様オーラが凄すぎてな」
大げさに言えば、富士川の名を名乗るな。お嬢様特有の髪型はやめろ――なかなか酷な提案ですわ。
「所謂、金持ち同士の公共の場に出る際は、ウィッグかエクステをつけて対応してもらえたらと思う。酷な条件が重なって申し訳ないが、それぐらいしてもらわなければ――」
「受け容れます」
食い気味の即答に、橘樹さんが鳩が豆鉄砲を喰らったような顔になってしまいました。
「覚悟はとうにできていますの。なんていったって、わたくしは――」
ハーフアップ部分のウィッグや部分的につけていたエクステを取る。
「ちょ、蝶子、アンタ……!」
「富士川の娘ですから」
名家のお嬢様の進路 ふり @tekitouabout
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