第四話 翠嵐のノルトオステン 後編
「あの魔術師……」
眼下の壁上で佇む異質な少女。
今まで見てきた魔術師とは明らかに格が違う。
「人の身でありながら、ここまでの魔術に手が届くなんてね」
魔族と比べマナとの親和性が低く詠唱という工程が必要な人間の魔術など、魔族の魔法の真似事。いや劣化だと思っていた。
だが眼下の彼女は、油断していたとはいえ私の魔法を凌いでみせた。
才能の成せる技か、途方もない努力と研鑽によるものか。
どちらにせよ、魔族でもこれほどの使い手は少ない。
肉弾戦しか能がない狂戦士ばかりの魔界では重宝する人材だ。それに世界を滅ぼし、支配するのだから、有能な者は多いに越したことはない。
「フィア様……」
そんなことを考えていると、グレイシーの心配する声が聞こえてきた。
「ダメよ、グレイシー。少し待ってて」
剣の柄に手を添えて動く寸前のグレイシーを呼び止め、一人高度を落とす。
魔術師相手の戦闘ならグレイシーの方が適任だけど、あの少女はできればこちらに引き入れたい。
そんなことを考えながら高度を落としていくと、それに合わせて少女も宙へと舞い上がり視線が同じになるところで停止した。
お互いに近づいたこと彼女ので短く切られた薄藍色の髪に特徴的な翡翠色の瞳がよく見える。
「あたしはアネモア・ネフトライト。翠嵐の魔術師と呼ばれているわ。それで魔王がどうしてこの国を襲うの?」
少女は名乗りを上げ、何故かと問うてきた。
平和的に対話で解決しようとしているのか、時間稼ぎか、それとも……。
どちらにせよ、答えは既に決まっている。
「愚問であるぞ。其方らが降伏の意思を見せなかったからだ」
降伏勧告はした。時間も与えた。それでも機会をふいにしたのは人間だというのに。
「どうして何もしていないこの国を今、襲うの? ローレンと手を組んだから?」
アネモアの声音は冷たく、口調は淡々としている。
ローレン? 誰だろうか。聞きなれない単語に思考が乱される。
「知らぬ名だ。誰だそれは?」
「そう……知らないならいいや。なら魔王の襲撃は関係性がなく別問題ということ……。はぁ……」
アネモアはボソボソと呟くと大きくため息を吐く。
「いくら何でもタイミングが悪すぎる。それとも、あたしの運がなかっただけ……?」
そう言ってアネモアは項垂れる。
「問題が次から次へと。任務はあたし一人だけだし、魔王の襲撃を受けるし、生きて帰れる自信無いな……」
アネモアはそう不満を垂れると感情に整理がついたのか、覚悟を決めたように顔を上げる。
「貴女を撃退して、任務も終わらせる。上層部には文句を言おう。だから、あたしは生きて帰る!」
そう力強く啖呵を切ったアネモアは杖を構える。
勝手に自己完結した彼女に言いたい事や聞きたいことは色々あるが、覚悟を決めた今、彼女に言葉は不要だろう。
それに恐らく魔術師の中でも高い実力を持つであろう彼女ならば、今の魔術師の実力の指標とするには丁度いい。
「面白い。其方の全霊を持って掛かってくるといい」
その一言で戦いの火蓋が切られ、先手を取ったアネモアは詠唱する。
「風よ、我が力となりて彼の者を討ち払え!
大気が震え始める。時間にして数瞬。
アネモアの周りから風が吹き荒れ、意思を持った旋風となり迫りくる。
だがその魔術が私に届くことはなく、突き出した手から展開される魔法陣が旋風の侵攻を阻む。
「魔法陣……。どうして魔族が!?」
驚きの声を上げつつも通用しないことが分かるとアネモアはすぐに切り替え、別の詠唱を始める。
「
すると彼女の周りから幾本もの氷柱が形成されていく。
そうして先端を鋭く尖らせた幾本もの氷柱は、風の推進力を使い私へと射出された。
先ほどの旋風が魔法陣に阻まれたことで、物理的なアプローチに切り替えたのだろう。
「いい判断だ」
だが甘い。
防御に使っていた魔法陣を解除し、即座に左手で新しい魔法陣を展開する。それにマナを流し込むことで魔法が発動し、一瞬で何本もの氷柱を出現させる。
そうして創り出した氷柱を一斉に発射して、迫る氷柱を迎撃していく。
正確無比に氷柱を撃ち落とし全てを相殺するが、アネモアの攻撃は止むことはなく氷柱を撃ち出し続けてくる。
「小賢しい」
アネモアから視線を逸らすことなく、頭上と背後に魔法陣を展開し水の障壁を創り出す。そして水の障壁を<虚飾の錬金>で厚い金属へと変換した瞬間、そこに二発の巨大な氷柱が着弾した。
「この程度か魔術師?」
視界の外から奇襲とは良い手だったけど、私へ届かせるには
「……ッ! ……やっぱり半端な魔術では……」
一瞥もすることなく奇襲を防がれたことで、焦りが生まれ始めたのかアネモアはそう零す。
すると、
「もういいや。相手は魔王。出し惜しみは終わり! あとで国王に謝ろう。生きてたら!!」
そう言ってアネモアは不敵に笑うと、杖を構えた。
「風よ、汝の音を聞かせよ。汝の恐怖を知らしめよ」
簡易詠唱を用いない大規模魔術。
面白い。
威力が絶大故に、詠唱ができないよう隙を与えないのが定石だが、どれほどのものか見てみたい。
「我、汝を手繰る者。我、汝に従いし者」
傍観する私を見て、彼女は驚いた表情を浮かべつつも、構わず詠唱を進めていく。
果たしてどれほどの魔術を魅せてくれるのか。
「我が意に応えし風よ。恐れを知らぬ彼の者へ、その威光を示せ!
アネモアの詠唱が終った瞬間、大気が振動を始めた。
風が吹き始め、徐々に暗雲が立ち込める。
やがて積乱雲が誕生し、雷鳴が轟き、雹が降り始めた。発生した上昇気流により、周囲の風が渦を巻き始める。渦は巨大になり、竜巻へと成長する。
そうして竜巻は際限なく大きさを増していく。
「いい魔術ね」
心からの称賛が口から零れ出る。
正真正銘、これが彼女の全身全霊の魔術だろう。
これほどの魔術、扱える者は魔界でも有数の者だけなはずだ。
やはり彼女は必要な人材ね。などと思っていると、視界の端でアネモアが態勢を崩し竜巻へと吸い込まれていくのが見えた。
「グレイシー!!」
その一声で全てを理解したグレイシーが飛ばされていくアネモアへと迫り救出する。
「フィア様!」
アネモアを救出したグレイシーが心配そうな声を上げて近づいてくる。
「彼女は?」
グレイシーに抱えられているアネモアを見ると、気を失ってはいるが息はあるようだった。
恐らく、マナ切れだろう。
「グレイシーは彼女を連れて少し離れていて」
「……」
少しの沈黙が流れ、グレイシーと視線が交わる。
「……はぁ。分かりました」
渋々といった形でグレイシーは了承する。
そうしてグレイシーが離れていく。その間も、竜巻は威力を増していき近隣の森林から木々を巻き上げ被害を拡大していっている。
この国を滅ぼすなら、このまま放置するだけでいい。
だがアネモアを引き入れたいなら、できるだけ被害を出さずに対処する方が望ましい、か……。
竜巻を散らすだけなら容易いが、巻き上げられた木々や土砂が降り注ぐため多少はあの国に被害がでてしまうし。どうしたものか。
そう考えている間にも竜巻は規模を増し、木々を巻き上げ被害を拡大し続けている。
「はぁ……」
自分が招いた結果ではあるが、久しぶりに全力を出さないといけない状況にため息がでる。
引き起こした彼女は倒れて竜巻は制御不能だし、何がしたかったのだろうか。後で彼女に聞いてみよう。
そんなことを思いながら、目を閉じ、心を落ち着かせ、覚悟を決める。
「始めるわ」
その一言で感覚が研ぎ澄まされ、世界が急激に遅くなる。
<魔法陣展開>
掲げた手を中心に巨大な魔法陣が広がっていく。
<魔法回路起動>
久しく使っていなかった回路が目覚め、熱を帯び始める。
<相殺術式構築>
回路を組み上げ、術式が徐々に世界へと干渉を始めていく。
そして対魔結界用の魔法陣を維持したまま、上空の巨大な魔法陣に注力する。
大規模魔法と複数の魔法陣を同時に展開し続けていることで、体内から魔法回路の焼き切れそうな音が聞こえるが気にせず行う。
<魔法術式完成>
術式の完成と共にマナを注ぎ込まれた魔法陣が紅い輝きを放ち始める。
「
詠唱を口にした瞬間。
術式が世界に侵食し、魔法が空間を包み込む。
すると、早くも規模を拡大し続けていた竜巻に異変が起きる。木々を巻き上げ勢力を拡大しているはずの竜巻が、こちらへと近づくにつれ徐々に勢力が弱まり始めた。
私へと近づけば近づくほど、竜巻の規模は縮小され、巻き上げていた木々などは消滅していく。
生み出された自然の力や摂理でさえも、この魔法は捻じ曲げ、消し去る。
そうして縮小領域で縮小させられた竜巻が限界を迎え、緩やかに消滅したことで王国の空は晴れ渡った。
「ふぅー」
緊張が解け、安堵の息を吐く。
頭上の魔法陣が術式の負荷により自壊していく中、身体を落ち着かせる。
「終わったわ。グレイシー」
魔法陣が消えたことで、後ろから近づいてくるグレイシーへと投げかける。
「お疲れ様でした」
グレイシーが労いの言葉を返して来る。が、
「うッ……」
視界が明滅し始め、激しい頭痛に見舞われる。全身が燃えるように暑く、刺されるような痛みが身体を駆け巡る。
高度な大規模魔法術式と対結界用魔法陣を併用した副作用……。
「ちょっと、休憩するわ。
その子は殺しちゃだめだからね」
そうグレイシーに言い残し、高度を下げ、草原に着地する。
先ほどの竜巻の影響で、かなり荒れているが構う余裕はなく地面に倒れ込む。
想定よりも重い症状だけど、
少し休めば大丈夫。少し休めば……。
そう自分に言い聞かせながら瞼を閉じると、私の意識は何処までも続きそうな闇の中へと落ちていった。
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