第三話 翠嵐のノルトオステン 前編

「見えて来たわね」


 オリエンス王国を滅ぼし、北西へと進むこと半日。次の国が見えてきた。

 ノルトオステン。オリエンス王国と同じく、高い防壁に囲まれた国。

 ただ一点違う所があるとすれば、


「あれね……」


 眼下に広がる防壁に連なるように建てられた五本の柱。防壁よりも高く聳え立ち、都を囲むように配置されている。


 あれが事前に聞いていた対魔結界。


「想像以上ね」

「はい」


 事前に集めた情報によるとこの国は魔界から近いため、他の国よりも魔族対策に力を注いでいるとのこと。

 流石にあの規模の対魔結界ともなると、無血開城を目指すというのは不可能に近い。


「どうされますか?」


 グレイシーは指示されればいつでも動けるといった面持ちで聞いてくる。


「どうしようか……」


 どうするべきか。すぐに判断が下すことができず、思考を加速させる。

 事前に情報を集めていたが、ここまで大規模な結界だとは思いもしなかった。


 結界やこの国自体を破壊するのは容易いが、それでは確実に死人が出てしまう。そうなると恨みや憎しみが生まれ平和を目指すことができなくなる。

 核である柱だけを壊すことができれば、結界が機能しなくなり話は早いのだが。柱には番人が付いており、強攻策を取れば死人がでてしまう。普段であれば手加減も出来るだろうが、柱が結界内にあるためそれは不可能に近い。


「フィア様。いつも通り無効化すればよろしいのでは?」


 沈黙が続く中、グレイシーが疑問を口にする。


「あれには使えないわ。規模が違いすぎるの」


 破壊できないなら無効化すればいい。グレイシーの提案は至極当然なものだったが、規模が違いすぎるため却下となる。


「それに、結界内では基本的に結界の効果が優先され――」


 そこまで言うと、ふと閃いた。


「そうね……柱を壊すのが全てではないものね」


 そう、自分から壊しにいく必要などなかったのだ。

 何故気づかなかったのか。


「ありがとう、グレイシー」


 グレイシーに礼を伝え、準備に取り掛かる。


--- ---


 ――それから数時間後。


「ここで最後よ」


 そう言って眼下に広がる草原へと降り立つ。


 あれほどの大規模結界、完全に消し去ることは難しいだろう。

 だが、完全に消す必要などなかった。


 視線を上げ、自分と柱の位置を確認する。

 場所に狂いがないことを確かめ、足元に手をかざして魔法陣を構築し始める。


 展開された魔法陣は自分を中心に渦を巻くように広がっていく。

 そして、陣を描き切ると線が淡い光を放ちその地に定着した。


「ふぅ。これで終わりね」

「フィア様、これは?」


 無事に五個目の魔法陣が完成したことで一息つくと、グレイシーが疑問をぶつけてくる。


「魔法陣よ」

「見れば分かります」


 ここまで話してもらえなかったのが気に障ったのか、グレイシーの返答は冷たい。


「話してもいいけど、見て貰う方が早いわ」

「承知しました」


 そう言うとグレイシーは不満の一つも言わずに受け入れる。


「……じゃあ始めましょうか」


 そう言って羽を広げ、上空へと舞い上がる。

 空から防壁と結界に囲まれた国を見下ろし、全国民へと思念を接続していく。


『我が名はフィア・エーヴ・ザガン。魔王である』


 前回と同じく名乗りを上げ、眼下に見える民へと思念を送り付ける。


『愚かなオリエンス王国は選択を誤り滅びた。そして其方らの結界も既に破壊した』


 そう言うと同時に先ほどの魔法陣を起動させる。

 柱と対になるように設置された五つの魔法陣が光を放ち、効力を発揮していく。

 すると徐々に結界に揺らぎが生じ始め、やがて完全に消失した。


『これを踏まえ、降伏か滅亡か、選べ』


 結界が完全に消えたことで、眼下に見える民に動揺が広がっていく。


『降伏の意思があるのならば、三十分以内に代表者一人で壁の外へ出ろ』


 一方的に全国民に告げ、思念を切断する。


「ふぅ」

「お疲れ様でした」


 一歩後ろに控えているグレイシーから労いの言葉が投げかけられる。


「ありがとう」

「フィア様。結界はどうやって解除なされたのですか?」


 見た方が早いと言われ、結果を目の当たりにしたグレイシーが説明を求める。


「簡単な話よ。結界のマナを乱したの」


 そう。簡単な話だった。柱を破壊したり、結界を無効にしたりする必要はなく、オリエンス王国に結界が無い理由と同じくマナの乱れを起こしてあげればよかったのだ。


 柱の対になるように設置した魔法陣でそれぞれの柱にマナを送り込んだり、逆に送られるマナを徴収したりすることで不規則な乱れを起こし、結界に生じた歪みを広げることで機能を停止に追い込んだ。


「なるほど」


 流石はグレイシー、この説明だけで原理を全て理解したらしい。


「フィア様。流石です」

「ありがと」


 やはりグレイシーに褒められるのは嬉しいもので、素直に受け取る。


「ただ一時的なものに過ぎないから、早めに終わらせたいわ」


 予想はしていたが、結界の規模が大き過ぎることで魔法陣の維持にかなりのマナを消費させられている。


「理想は降伏だけど……グレイシーは今回どうなると思う?」


 なんとなく予想は付いているが、安心したいという心からグレイシーに聞いてみる。


「そうですね。今回は既に結界が破られている前提がありますので、降伏の線が濃厚だと思います」

「そうよね!」


 グレイシーの見立てと自分の予想が合っていることで、勝利を確信する。


「紅茶が楽しみだわ」



--- ---



「遅い、遅いわ!」


 あれから三十分程経つが、一向に誰も出てくる気配がない。


「もういいわ」


 惜しくはあるが、この国との共存は諦めるほかない。

 なにより五つの魔法陣を維持したまま待ち続けるのは、現実的に不可能だ。もしかするとマナ切れを狙っている可能性だってある。


 それに時間になっても現れないことから降伏の意思は無いということだろう。


「始めるわよ」


 紅茶は残念だが諦めよう。

 本当に残念だけど……。


 自分の中でそう折り合いをつけ、上空へと手をかざす。

 すると天に巨大な魔法陣が展開され、徐々に雲が集まり始める。


 やがて暗雲が立ち込め、雨が降り始めた。

 そうして雨脚が強くなり始めると同時に<虚飾の錬金>を発動させる。

 降り注ぐ雨は金属に変換され、街を蹂躙する――はずだった。


 前触れもなく突風が吹き荒れ、まるで風が意思を持つように雨の軌道を壁外へと逸らしていく。

 突然のことで呆気に取られていると、暴風が上空でも巻き起こり雨雲を散らしていってしまう。


「うそっ……!?」


 どういうことか?

 考えるまでもなく魔術師の力だろう。


 問題なのは何人いるのか。

 これだけの魔術、魔術師が五人は居てもおかしくはない。


 急いで魔術師の姿を探す。が、すぐに見つけることができた。


「嘘でしょ……」


 視界に映ったのは魔術師が複数人などではなく、薄藍色の髪をした少女が一人、防壁の上からこちらを見上げて佇んでいる姿だけだった。

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