第12話 私の目標

 あれからまたしばしの平穏が訪れた。教会もそう毎日深刻な依頼ばかりが来る訳ではない。

 あの案件から数日。私はというとまた自分の無力さに悩まされていた。元より戦力外で特別に入れて貰ったに過ぎない身だ。悩む必要があるかといえば無いのかもしれないが。


「そうは言ってもしょぼすぎるよ〜」


 私は誰もいないリビングの机にぐったりと顔を伏せた。どうせ私には家事ができる以外に何もないんだ……。


「ふふ、悩むことないのに」


 そう言いながらリビングに顔を出したのはエマさんだった。手にはコーヒーカップを二つ持って、私の隣に座る。香ばしい匂いに私は自然と背筋を伸ばして片方を受け取った。


「これ、ガーディーンから届いた豆を挽いたの」


「エーソンのコーヒー豆は違いますよね。でも、第一教会って結構離れてても交流あるんですね」


 エマさんが一口啜って苦い顔をする。


「彼女はマリアとね。手紙を送るついでによく贈り物をくれるのよ」


 ガーディーンさんは先日会った際にもしきりにマリアさんを気にしていた。手紙のやり取りをする仲なのかもしれない。


「手紙のためだけにトリ便を飛ばすのは勿体ないって」


 実は私はトリ便というのもここへ来て初めて見た。鳥の種類は様々らしいが、離れていても空を飛んで小物を届けてくれるトリ便は多くの人々に重宝されている。


 とはいえ、私と母はあまりたくさんの他人と関わらずに生きてきたので利用する機会はなかった。だからせめて同じ距離を飛ばすなら他の物も……と思うガーディーンさんの気持ちはよく理解できた。あのキザな人にもそういう人間らしい一面があるんだと微笑ましくなり笑ってしまう。


「またお会いしたいです、ガーディーンさんったら面白くって!」


「そう言われてるって知ったらきっとガーディーンも喜ぶわね」


 エマさんとの穏やかな昼下がりを一杯のコーヒーが彩る。この落ち着く空間に私はすっかりモヤモヤする気持ちを忘れていた。

 エマさんが空になったカップの中身を見つめたまま私に問いかける。


「ところで……この間のこと。マリアから聞いたけど、本当?」


 この間のこと。と、エマさんがわざわざ含みを持たせたので私の心臓が小さく跳ねた。

 実は、私はあの日の帰り道、マリアさんにされたことをエマさんに言わないよう口止めされていた。その口止めされたことを、マリアさんは自ら伝えたのだろうか?

 思わず私の指先が心当たりのある唇を隠す。やましいことは何もない。マリアさんはどうやら私から元気を吸収できるようなことを話していたから、それ以外の意味はない。と思っているからだ。


「どうしたの?」


「いや、その……」


「本当は嫌じゃなかった?」


「嫌とかはなくて……それより」


「それより?」


 エマさんがいつものように穏やかに私の話を聞いてくれるが、少し相槌が早い気がして落ち着かない。

 でも、本人が知ってるなら隠す必要もないか。変に誤魔化してもややこしくなるので普通に話すことにした。


「マリアさんがどうして私とくちづけをすると体調がよくなるのか、まるで仕組みがわからないんですが……あれなんなんですか?」


「そう。くちづけをしたのね」


 ガチャン。ドアを閉じる音が部屋に響く。

 まずいことにちょうどそのタイミングでコーヒーブレイクに合流しようとやって来たマリアさんが登場して、瞬時に震えた。


「れ、レイミヤ!?どうして言っちゃうの……?」


「逆に、マリアはどうして隠すの?」


 マリアさんは顔を青くして私の目に訴えるが、そんな様子を見てエマさんがやや冷たく微笑みかける。私の入る隙はなさそうだ。そしてどうしてだろう、私はこの空間にいることに恐怖心を覚えた。


「私、隠し事する人はどうかなって思うな」


「おっしゃる通りです、ごめんなさい」


「それに、レイミヤに助けて貰うってそれはどういうことなのかなぁ?」


「不甲斐ない……すみません……」


 あの優しいエマさんの静かな説教に余計恐ろしさを感じたが、あくまでエマさんは問いかけているだけだ。見た感じだけだとマリアさんが勝手に萎縮しているに過ぎない。


「マリアさん、エマさん、私が弱いせいでお二人を揉めさせてしまって申し訳ございません」


 せめてこの場を収めようと、私は間に割って入ることにした。これも秘密にできなかった私の責任だ。

 エマさんが優しげなタレ目に加えて眉毛までハの字にして困った顔をする。


「もう、心配かけるのやめてよね。二人ともだよ。私の大切な家族なんだから」


 エマさんがマリアさんの頬を軽くつまみながら片手で私の頭を撫でる。


「マリアも体調が悪くなったことや良くなる方法を隠したりしないで。ほんと、聞いても言わないんだから」


「……ごめん、了解」


 子供の悪戯がバレた時のような気まずい顔でマリアさんはエマさんに頭を下げた。


「ところで私もレイミヤにちゅってしてみていい?」


 私の頭を撫でていたエマさんがそのまま私をぎゅっと抱きしめると、慌ててマリアさんが文字通り間に割って入ってきた。


「あれは不可抗力!エマには必要ないじゃん!」


「マリアには関係ないよ、私レイミヤに聞いてるんだから」


「だってそういう……違うじゃーん!」


 あの……私の気持ちは?エマさんが本気ではなさそうなのでその言葉はごくんと飲み込んだ。あぁここは平和だ。

 なんだかエマさんとマリアさんの力関係を見てしまった私はこっそりとルチェットさんとの部屋に戻った。


「レイミヤ、下は随分楽しそうだったわね」


「はい、マリアさんは尻に敷かれるタイプでした!」


 本に目を落としていたルチェットさんが体ごと私の方を向いてニヤっと笑う。


「なにそれ、怪しいね」


「夫婦みたいでしたよ」


 たわいもない会話ができるようになったのは大きな進展だろうか。マリアさんとの大冒険から、私は少しずつでも成長しているのかもしれない。


「私、マリアさんと何か同じ要素があるそうです」


 自分の隠された力を探らなければならない。亡くなった母のためにも自分の力を見つけて、安心してもらいたい。マリアさんと似た要素があるのならそれは大きなヒントになりそうだと思った。


「それは、尻に敷かれる要素ってこと?」


 ルチェットさんが真面目な顔で聞く。違う、そうじゃない。


「すみませんそうじゃなくて!先日の依頼で私はマリアさんのすごい力を目にしました。まるで、悪魔とは真逆のようなすごく清らかな力でした」


 そっちかと頷くルチェットさんに、私はあの日の出来事を力説する。聖石で動魔を元の姿に変えたこと、悪魔を消滅させたこと。どれも私の目の前で起きたことだ。


「すごいでしょ?あんなことができるのは私もマリアしか知らない。もし仮に悪魔と戦うことになってもマリア以外は悪魔が自分からあっちに帰りたくなるまでブチのめすしかないんだから」


 出会った日、私を襲った動魔を一撃で退散させたルチェットさんも一目置く存在というわけだ。

 事実、私もあんなものを目の当たりにしては、以前までのような気持ちでマリアさんを見ることは出来なくなっていた。


「だけど反面、マリアはすごく体が弱い。どういう時に悪くなるのか、良くなるのか、本人もわかっていないようだけど……」


 ルチェットさんが表情を曇らせる。もしかすると私のぼんやりとした予想は当たっているかもしれない。


「シスターが話していた、私の母の話を覚えていますか?」


「えぇ。その話を聞いて私も嫌な予感がしてる」


『彼女はとても体が弱かった。まるで人の怪我を自分に移しているようで……』


 以前、そうシスターは語っていた。もし私とマリアさんが似ているのなら。私が現れたことでその信憑性が増してしまったというわけだ。


「もちろん確定じゃない、マリアはお母様とは別人。それはレイミヤにも言えることよ」


 ルチェットさんが苦い顔でそれぞれの関連性はないと言う。それは自分に言い聞かせるようでもあった。仮に能力に目覚めても自分の寿命を削るかもしれない私を気遣ってのことだろう。


「それでも……私はお母さんと同じように誰かの助けになりたいです。私だけ何もできないままなんて嫌です!」


 私の気持ちは決まっている。たとえ母と同じ死に方をするとしても、誰かのために生きた母が間違いだと思えないからだ。

 開けていた窓から優しい風が入ってきてカーテンとルチェットさんの赤髪を揺らす。


「きっとレイミヤはそういう人柄なのね。お母様のためにも、自分を大切にしながら他人を大切にしていこう。治癒力発現に協力するよ」


 そう言うとルチェットさんが軽くこちらに拳を突き出したので、私も決意を込めて拳をこつんとぶつけた。


 お母さんと同じ能力を身につけること。何もなかった私に新たな家族ができたように、私の心を照らす新しい目標が明確に決まったのだった。



つづく

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