第11話 穴と勇気の状況③

 気のせいだろうか?先程よりも声の反響が少なくなった気がする。つまり、穴の一番奥を予感した。だが左手に持ったランタンを前に差し出してもまだ突き当たりは見えない。

 腕を組むマリアさんが私のほんの少し前を歩き、咳払いをして話し始める。


「こんなところにいる人間は、私たちくらいだよねぇ」


 私が、えっ?とマリアさんの顔を見ると、その目は闇の中を見つめていることがわかった。


「そうよ、あたしは人間じゃないもの。暇つぶしをしながら面白い人間が来るのを待ってたのよ〜」


 灯りの先の暗闇の中から不思議と一際黒い影が立体的になって人の形に変化して私たちに返事をする。

 反応する暇もなく、急に私の目の前に、それも鼻がくっつくんじゃないかという距離に青白く見える女性の顔が現れた。


「冗談じゃない!悪魔と遊んであげる趣味はないよ、レイミヤはそっちにいて!」


 マリアさんが私を左にドンと突き飛ばして『悪魔』から距離を取らせてくれる。

 しかし悪魔は気味の悪い笑みを浮かべて地面スレスレの四つん這いになり、私めがけて紫色の長い爪を振り回した。


「いたっ……くない……!」


 確かにその爪は私に届いていたが何の痛みもない。悪魔は悔しそうにその獣のようなギザギザの歯をぎりっと噛み締めて叫ぶ。


「クソ、何を施した!?」


 その叫びは私の耳に届くなり頭痛を引き起こした。これは悪魔の攻撃なのだろうか?どうすればいいのかわからず、思わずマリアさんに目を向ける。

 しかしあのひょうきんな美少女は怯むことなく、今まで見たことのない冷たい表情で悪魔に歩み寄っていく。


「ここに来るまでずっと、私の気持ちをレイミヤに貯めておいたからまず悪魔には触れることはできないよ」


 ゆっくりと距離を詰めるマリアさんに対し、悪魔が耳まで裂けた唇を引き攣らせ、鋭い牙と敵意を剥き出しにして大声をあげる。


「久しぶりに美味しそうな獲物に会えたと思ったのに余計なことを!お前から八つ裂きにしてやる!」


「あーあ。小物はセリフがありきたりだな〜」


 マリアさんが挑発し、また悪魔が最大限姿勢を低くして爪を構える。一触即発の空気にいくら安全とはいえ私も息ができない。


「ふ、ふふふ……お前、強がるのも程々にしろよ。」


 しかし、悪魔はマリアさんの顔を見て急に態度を変えた。

 構えていた爪をブンと下に振って臨戦態勢を解く悪魔。まるで勝ちを確信したかのような態度でゆっくりとマリアさんに近付いていく。


「お前、病気なんじゃないのか?唇から血が漏れているぞ、威勢の割には随分と滑稽なものだ!」


「マリアさん、大丈夫ですか!?」


「お前を喰らった後、そこの怖がって何もできない女も喰ってやるから覚悟するんだな。あぁ人間は愉快だ愉快だ」


 悪魔の言う通りマリアさんの口からは、初めて会った時の様に血が流れていた。もしここでマリアさんが倒れてしまうようなら、チャイルドとして私が戦うか、マリアさんを連れて撤退するしかない。

 色々な考えが頭の中を巡ったが、結局のところ戦力外の私には勝ち目がない。せめて戦況を正しく判断するために祈るような気持ちで二人を見つめる。


「あーあーこんな時に吐血しちゃうなんて私はなんて……」


 口を右手で覆ったマリアさんは、そのままその手を横にスライドさせて顔に塗りたくる。そして一言。


「なんて幸運なんだ」


 マリアさんは眼前の悪魔の左頬に特大のビンタを打ち込んだ。


「アァアアァッ!」


 左頬から煙を出しながら悪魔が地面に転がった。私には何がなんだかわからないが、突然の形勢逆転に思わず拳を握る。


「貴様ァ!なにをした!」


「さぁ、内緒」


 マリアさんの足元に這いずってきた悪魔の左頬は焼け爛れ、煙を上げ続けている。思わぬ攻撃に面食らったのか、その姿は私にも隙だらけに見えた。

 そしてそれはもちろんマリアさんも同じく感じたようだ。


「隙だらけだよ、早めに終わらせてやる」


 マリアさんが血塗れの両手で悪魔の頬を掴み、痛がる悪魔を立ち上がらせその腹目掛けて軽い膝蹴りを入れる。悪魔の腹に丸い血痕。


「悪魔よ、過去の誓約の通り、その身を在るべき世界にのみ存在させよ」


 マリアさんの静かな呟きの後、両頬と腹の血液が眩く光り、それぞれの点と点を繋ぐ様に逆三角形の光の模様が浮き上がる。

 その光に痛みを感じるのか私にはわからないが、悪魔は断末魔のような叫びを上げて砂の様に闇の中へと消え去ってしまった。


 呆気に取られた私が喋り出さないので、五秒の沈黙が訪れる。元々先程の悪魔によって洞窟のように掘られたただの穴なのでこれ以上ここには何もいないのだろう。そんなことより!


「すごいですマリアさん!私てっきりマリアさんって本当に病弱なのかと……」


 私はマリアさんがまた冗談で病弱なふりをして、私もろとも悪魔を騙したんだと思った。

 しかしそれは見当違いだった。そっと静かにその場で膝をついたまま、マリアさんは言葉を発しなかった。片膝をつき右手を胸に当てて震えていたのだ。

 思わず、母のあの瞬間が脳裏をよぎる。私を世界に独りにしたあの夜だ。私は目にいっぱいの涙を浮かべ、ぼやける視界の中マリアさんの手を探して両手で掴んだ。


「ちょっ、なんで……マリアさん!?やだ、死んじゃやだ……!」


 手は冷たい。今度はマリアさんの血だらけの頬に両手で触れてみたがやはり冷たくなっている。

 片膝をついたままのマリアさんがしゃがみ込んだ私の耳に唇を寄せて囁く。


「レイミヤ、覚悟してくれた?」


「覚悟なんて!死なないでマリアさん、ひとりにしないでください!」


 ぼろぼろと涙を溢して縋り付く私に、マリアさんが優しく微笑む。そして膝をついていることも辛くなったのか、そのままゆっくりと私を地面に押し倒した。

 ひんやりとした土の上で、二人きり。地面に置いたランタンの橙色の灯りが圧倒的美少女の表情を照らしている。


「わかった、死なないように協力してね」


 そう言ってマリアさんは私に顔を近づけると、血で赤く染まった唇を私の唇にくっつけた。慣れない鉄の味と柔らかい感触に思わずぎゅっと目を閉じてしまう。


「ま、ま、マリアさん……?」


 全くもって思わぬ展開に脳が処理できていない。マリアさんの唇は一番居心地の良い場所を探すように何度か私の唇を啄んで、ぴたっと動きを止めた。


「…………!」


「…………。」


 沈黙が私の鼓動を強調する。対して、マリアさんの鼓動は私に聞こえたりしなかった。

 この薄暗い洞窟で人生初めての口づけを経験することになるとは夢にも思っていなかった私は、どうにもこうにも覚悟ができておらずオロオロと目を閉じたり開けたり、その度に美少女が視界に入ったりと大忙しだった。


 ん?覚悟ができておらず?


「だから、覚悟してって言ったのに……」


 はっとした私に、やや生気を取り戻した瞳のマリアさんが少し唇を離して言う。


「あれ?もしかして私が死ぬかと思っちゃった?」


「そうですよそれ以外に何があるんですか!?ていうか、なんなんですかいきなり!」


「いや、私によく似たエネルギー持ってたから体力がダメになったら分けて貰えるかもと思って……意外と貰えるもんだね、あはは」


 マリアさんはモゴモゴと弁解をする。


「とにかく、私ちゃんとレイミヤ守れたよ!言ったでしょ?」


 最後にはいつものようにニコニコ笑顔で胸を張ってエヘンと威張っていた。


「私がどれだけ心配したと思ってるんですか……?」


「いやその、なんていうか……うぅ、紛らわしいこと言って心配かけてごめんなさい」


 私の真っ赤になった目を見てマリアさんはオロオロと冷や汗を垂らし、そんな様子を見て私はまた安堵の涙を流した。


 こうして不安満ちた初めての依頼を実質無傷で乗り越えた私たちは、村の依頼主に挨拶をして第三教会へと帰ることができたのだった。


つづく

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