第10話 穴と勇気の状況②

 その集落は山の麓にあった。時刻は夜十時を過ぎ、ほとんどの家は灯りを消しているようだ。それでも一番大きな家はまだ人が起きている様子が見てとれたのでマリアさんが扉を叩く。


「第三教会のマリアです。お話いいですかー」


 十秒ほどの沈黙の後、ゆっくりと横開きの扉が少しだけ開いて、しわしわのおばあさんが顔を出した。


「入って、静かにな……」


 おばあさんは私たちを家の中に招き入れ、お水を出してくれた。しばらく歩いた後のお水は格別だったが、今日はハイキングに来たわけではない。

 私は背筋を伸ばして正座をし、マリアさんとおばあさんの会話を見守ることにした。


「一週間前からじゃった。作物が荒らされたり、夜に何かに襲われて怪我をする者が急に増えた」


 おばあさんがハエ叩きを片手に宙を見つめ、これまでの事件を私たちに伝え始める。


「その傷口は深く、正体もわからんでな。ただ、若いのがついに見つけたんじゃ」


「それでそれで?」


「池の横に、大きな穴が突然できとった。そこからウジャウジャと小さな空を飛ぶ奇妙な生き物が出てきよったんじゃと。なんとまぁ、おぞましいことよ!」


 マリアさんの目の前に止まったハエを、その手のハエ叩きで俊敏に叩き潰しながらおばあさんは怒りを露わにした。


「そんな感じでハエ叩きで潰せばいいじゃん」


 マリアさんはワハハと笑ったが、それが出来れば苦労しないだろう。


「数が数だで!一匹ならまだしもよ」


「お、一匹はいける程度か」


「マリアさん、普通無理ですって……」


 不思議なことに少し場が和んだ。ちょっと冗談きついと思ったものの、おばあさんも特に気にしていない様子だ。


「嬢ちゃんらに任せるのは本当に悪いけどね。平気だったら見てきてもらえんかね、依頼した通りあの穴は夜に活発になりよる」


 おばあさんは動魔の恐怖に震えているようだ。もちろんそれはこの集落の人たちも同じなんだろう。私はチャイルドとして初めて使命感というものを覚えたような気がした。

 それはマリアさんも同じか、いつものおちゃらけた雰囲気は消え、明らかに目に信念が宿った。


「わかったよバアちゃん。そいじゃあ夜に活発になる穴、突入しましょうかね」


「いきましょう、マリアさん!」


 とは、言ったものの。私はマリアさんの横で一体何ができるのかがまるでわからないままであった。おばあさんの家を出て畑と畑の間の細い道をマリアさんと手を繋ぎながら歩くと、再び恐怖心が湧き起こった。

 自然と力強く握ってしまう手をマリアさんがもう片方の手でそっと撫でてくれる。


「すぐそこから黒い圧を感じない?おそらく穴があるけど、とりあえずレイミヤは絶対に私から離れないこと」


「本当に戦うとか、私なにも……」


「いちパーでもレイミヤが傷付くような依頼なら、始めから連れて来てないから信じてちょーだい♪」


 ニコニコ笑顔で答えるマリアさんに私の気持ちがまたいくらか落ち着いた。

 辿り着いた池の真横には禍々しい黒い穴。イメージとは違いシンと静まり返っている。動魔も寝ているのだろうか?


「静かだねー。石ころ投げてみよっか」


「どうして寝た子を起こすようなことするんですか!」


 いたずらっぽく舌を出してえへへと誤魔化したが、マリアさんの右手には石ころが握られていた。どうやら冗談じゃないみたいだった。


「落ち着いて見てて、レイミヤ。えい!」


 そう言うとマリアさんは手に握った石ころを穴の中へ投げつける。やってしまった、中から動魔が飛び出してくるに違いない!私はマリアさんの左腕にしがみついて身を縮めた。

 しかし、実際にはイメージと違った。


「中から何か這い出てきますよ?!」


 穴からコウモリに似た動魔、小動物に似た動魔、虫に似た動魔がぞろぞろと力無く這い出してくるではないか。


「無理せずみんな死骸に戻ろう。怖くない、安らぎが待ってるよ」


 私に言っているわけではない、マリアさんは這い出た動魔に微笑みかけていた。動魔たちは私たちを取り囲むようにゆっくりと寄ってきてマリアさんの目を見た者から順に目を閉じて元の動物の死骸へと戻った。


「畑を荒らしていたような動魔はおそらくこれで完了。あとは手厚く埋葬してあげたいけど、それはここの住民に頼むことにするよ」


 あまりに神秘的な出来事にすっかり私はマリアさんを尊敬の眼差しで見つめてしまっている。普段のグダグダな本人の印象とかけ離れた神聖な姿にギャップがありすぎるからだ。


「今のは聖石ね。私の気持ちみたいのを石ころに移して動魔の近くに転がしたから、邪心的なものが出ていったんだよ」


「随分ふわっとした説明ですが、マリアさんってすごいんですね!」


 エヘンと胸を張るマリアさん。しかしこれで小さな動魔は居なくなったと思われたが、そうでもなかった。


「逆に言えば、今ので出てこなかったやつはちょっと面倒臭いかもしれないね〜」


「……それは悪魔とかですか?」


 マリアさんが小さく頷く。


「悪魔は少し賢くて強い、そしてなんとなく気持ち悪くなるオーラが出てる。聖石とかが効かないわけでもないけど、もすこし直接的にやんないときついね」


 その昔、強大な悪魔がこの世界を滅ぼそうとした。私はエマさんの語った逸話を思い出した。この話についてはどうやら私も知らなかったように、知らない人の方が多い。

 だから私も実際の悪魔については無知そのもので、強大な悪魔と言われる存在の他にはどの程度のレベルのものがいるのかがわからないのだ。


「それはマリアさんの手に負える程度の悪魔と予想していますか……?」


 私はもちろん良い返事を期待していた。そうでなければ生きて帰れない。だが期待に反してマリアさんは腕を組んで硬い表情になってしまった。


「手には負えるし、レイミヤは絶対に守ることができるけど、逆に言えば助けて貰っちゃうかもな」


「それはつまり?マリアさん……?」


「ちょっと、そういう覚悟決めといて欲しい」


 大パニックだ。聖石で一気に動魔を無力化させたマリアさんが差し違えてしまうかもしれない。


「嫌です、一人にしないでください!」


 マリアさんが優しく微笑み、ピンクの帽子をやや深く被り直す。

 その仕草に私はマリアさんの悲しい未来を想像してしまう。嫌だ、せっかく仲良くなれたのに。もう私は誰も無くしたくない。


「嫌かもしれないけどやるっきゃないっしょ♪さぁ勝負だ夜の穴!」


 あくまで明るくマリアさんは声を上げ、また私の右手をとって斜め下方向に深くなっていく穴へと足を踏み入れた。


 当然のようにシーンとした穴の中。それは聖石の功績だ。マリアさんは穴が出来た経緯や中にいる存在のヒントを探ろうと壁の溝や地面の足跡を探しているようだった。

 私はというとマリアさんにしがみつくのが精一杯で、足はやや震えていた。


「レイミヤ」


 真剣なマリアさんの声色にさらにしがみつく手に力が入る。


「おっぱい当たり過ぎて私そっちにばっかり集中してるけど大丈夫?」


「大丈夫なわけないじゃないですか!」


 集中しないとわからない程度のささやかな胸を少しマリアさんから離して、一歩また一歩、穴の奥へと歩みを進めていった。



つづく

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