第5話
教会の裏に位置する煉瓦造りの建物には、四つの個室、それからリビングにキッチン。これまで小屋のような慎ましい家で暮らしていたレイミヤにとって、新しい暮らしは驚きに満ちていた。
しかし、それはそれとしてレイミヤは今ガチガチに緊張していた。それはもう、テーブルの上に置いたコーヒーカップとソーサーまでが震えてカタカタと音が鳴るほどに。
「レイミヤ、落ち着きなさい」
見兼ねたシスターが苦笑いを浮かべながら片手でテーブルをおさえる。ここに住まわせて貰うようになって早くも一週間を迎えたレイミヤは、さすがにエマとシスターとの共同生活には慣れ始めていたのだが。
「だって、だって今日は……」
あわあわと両手で髪の毛を押さえたり、服のしわを伸ばしたりして無駄に身なりを整えるレイミヤに、悪いとは思いつつも思わずエマは吹き出してしまいそうだった。
「ふふ、よかったじゃない、レイミヤの大好きなルチェットが帰ってくるのよ?マリアも一緒にね」
大好きなと言われてより一層動揺が激しくなったことは言うまでもない。逆効果だったと気付いたエマは、あっと口を押さえた。
この一週間、シスターに母の葬儀を挙げて貰ったり、引越しを手伝って貰ったりしてバタバタと毎日が過ぎていったものだから、すっかりレイミヤは彼女達が戻ってくる日のことを忘れていたのだ。
「それ絶対ルチェットさんに聞かれないようにしてくださいね!?」
赤面したレイミヤはエマに懇願したが、エマの目線はレイミヤの後ろに向かっていた。レイミヤがその視線を目で追うと、そこには……。
「りょーかい♪ルチェット君にはナイショにしとくね!ガッテンガッテン!」
いつの間にか、女神が人間に生まれ変わったもののコメディアンの両親に育てられたような雰囲気の絶世の美少女が立っていた。
「マリアさん……」
いかにも口の軽そうな美少女。誰とでも秒速で友達になりそうな美少女。レイミヤは色々考えてみたが、やはり美少女だった。
「マリア静かにしてないとレイミヤに残念な美少女だって思われちゃうよ」
エマはマリアの頭からピンクの麦わら帽子を取って、近くのコート掛けのてっぺんに掛けた。そっかなーと笑いながらマリアが鞄を肩から下ろすと、それもエマが片付けてしまった。
「いいのだよ、他人の評価は事実とは異なりますから!」
そうマリアが胸を張って大声を出したその時、ついにルチェットが革の手袋を外しながらこの部屋へ入ってきた。レイミヤの心臓が一気にバクバクと踊り出す。
「マリアは正真正銘の残念でしょうが。さて、あの旅人がまだここにいる理由は?」
深く息をついてやれやれとソファに腰をかけたルチェットの、どこか咎めるような鋭い視線に一瞬怯んでしまったレイミヤだったがすぐに反応して椅子から立ち上がった。
「レイミヤです。あの時はありがとうございました!私はあの日、母を亡くし……シスターさんと母のご縁の関係でこちらの第三教会に住まわせて頂く事になりました!」
ルチェットの反応も見えないくらい深々と頭を下げて次の言葉を探すも、意に反してルチェットの言葉はすぐに返ってきた。
「そう。それであんな時間に……勇気があるのは構わないけど、力がないなら朝にすべきだったわね」
「でもそれじゃルチェットに王子様みたいに助けて貰えないもんね……」
狙いを定めたようにすかさずルチェットを後ろから抱きしめてマリアが茶々を入れたので、ルチェットは一瞥もせずにマリアの頬を指で摘んだ。
「痛い痛い!それが儚げな少女にすることかい!?」
マリアが背もたれの裏にしゃがみ込んで頬をさする。ニコニコ顔のエマに対し、二人の関係性がよくわからないレイミヤは苦笑いを浮かべるしかなかった。
「困っている人がいれば助ける、それが私達の役目でしょうが。王子様もお姫様もない」
「困ってる人ならここにいますぅ〜」
恨めしそうに背もたれから目を覗かせたマリアだったが、自分から困りにいっていては世話がない。だが、マリアの明るさでレイミヤがすっかり和んでいたのも事実だった。
そんなやり取りも収束し四人がソファに腰掛けた時、それまで黙って壁際の小さな机に向かっていたシスターが上半身を捻って四人に目を遣った。
「さて、皆揃ったところでミーティングをしましょうか」
シスターが机の上の分厚い日記帳をバタンと閉じ、四人の前に立つ。三人は真面目な、一人は楽しげな視線を向けて言葉を待った。
「聞いての通りこの第三教会に新たなメンバーを加えることになりました。正式なチャイルドとするかはまだ決めていませんが……」
エマがシスターに続けて発言する。
「レイミヤのお母様は昔シスターとペアを組んでいて、大変偉大な治癒能力をお持ちだったそうよ」
何の能力も持たないレイミヤは少し居心地が悪く感じて、ルチェットとマリアから目を逸らすように俯いた。
「ただ、レイミヤにはまだそういった能力がないみたいなの」
エマの言葉にレイミヤはそっと頷く。一人で森を彷徨える人達からすると、自分はなんて無力なんだろうと肩身が狭く感じてしまう。そんなレイミヤの隣に座っていたマリアが優しく肩を抱いて、自分の胸をグーにした手でドンと叩いた。
「チャイルドとは教会に所属して、困っている人をたくさん助ける存在。いいかいレイミヤ、その小さい胸をドンと張るのだ!私達は偶然それができるよ。だけどレイミヤにしかできない仕事が絶対あるから」
小さい胸は余計じゃないかな、と思いつつもレイミヤは嬉しく思った。あんなマリアでも真剣に自分のことを考えて、励ましてくれるとは。そこにルチェットが続ける。
「シスターのことだから、安易な考えでこうなった訳じゃないのはわかっているつもりです。ただし危険な所には連れて行けません。それでもいいですね?」
ルチェットは問いながらも、それでいて有無を云わせぬ迫力を加えて発言した。心配されているとは思いつつも胸がちくりと痛んで、思わずレイミヤは手を胸に当てた。
「ルチェット。わかんないかな?」
そんな様子をチラッと横目に見たマリアは手に持っていたコーヒーカップをトンと机に置き、真剣な顔で腕組みをした。何が?と怪訝な顔でマリアを見つめるルチェットに、一瞬空気がピリつく。
「それじゃレイミヤがお邪魔虫みたいだ。それに私はこんな可愛い子なら何人でも連れて歩けるよ〜?まさか足手纏いに思う程、私は弱くないし?」
私は一人しかいません……とツッコミを入れる雰囲気ではなさそうだ。まさか自分を巡ってこんな空気になるなどとは思っていなかったレイミヤは、やはり静かにルチェットの発言を待つしかなかった。
つづく
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