第4話
シスターの発言を聞いたレイミヤは豆鉄砲を喰らった鳩のように目を丸くした。見知らぬ人達にお世話になるなんて考えもしていなかったからだ。
助けて貰っただけでも十分お世話になっている。しかし正直に言えば、これから一人で生きていくことなどちっとも考えたことのなかったレイミヤにとって願ってもいない申し出だった。
「レイミヤも第三教会のチャイルドに?」
エマは反対する様子を見せることもなく、穏やかな表情でシスターに質問した。レイミヤはキョロキョロと二人の顔を交互に見ながら話の行く末を聞くしかなく、チャイルドって何ですか?と聞くタイミングを逃していた。
「本来、教会に属するにはそれなりの資質が問われます。レイミヤには残念ながら……」
シスターは言い澱んだが、レイミヤにはそれも当然だと思えたので静かに続きを待った。
「今は、おそらく特別な力には目覚めていません。」
「私は別に、レイミヤがごはんを作ったり、おかえりなさいって言ってくれるだけでもいいと思います」
エマがそわそわと震えるレイミヤの手を上からそっと握りながら冗談めかしてシスターに意見する。もちろん、シスターもいじわるを言うつもりではなかったので、不安がるレイミヤににこりと笑みを向けた。
「私もいてくれるだけでいいと思っています。責めているわけじゃなくて……そうね、実は貴女のお母様と私はこの第三教会で育てられた、チャイルド同士なの」
初めて聞く母の過去にレイミヤはハッとした。これまで何を聞いても、どうだったかなぁとはぐらかされて、すぐに別の話にすり替えられてきたからだ。
母の具合がいよいよ悪くなった頃、レイミヤは少し離れたこの土地に引っ越してきた。慣れ親しんだ土地を離れることを疑問に思ったが、母の『お母さんの故郷だから』という一言で納得していた。思えば母の過去で知っているのは、この辺りが故郷だということだけだ。それだけにレイミヤには聞きたいことが山ほどあった。
「お母さんも、ここにいたんですか?」
すでに何も知らされていないことは手紙を読んで知っていたので、シスターは自らも彼女の死を偲ぶ気持ちで、彼女との過去を語ることにした。
「ええ……彼女は誰よりも慈愛に満ちた人でした。戦うことを嫌っていつも私の後ろに隠れていたけど、彼女には私のどんな傷をも癒す力があったの」
シスターは過去に傷を受けたのであろう頬をさすったが、レイミヤの目には傷一つ見えなかった。
「旅人も彼女を目当てに訪れ、このあたりでその名を知らない人はいなかったんじゃないかしら」
レイミヤは初めて聞く母の武勇伝に心を躍らせ、瞳を輝かせる。シスターは続けた。
「ただ、彼女はとても体が弱かった。まるで人の怪我を自分に移しているようで……だから、もう決して彼女の周りで怪我人を出すもんかって、私一人で動魔と戦い続けたわ」
「シスターは意外とお熱いですよね」
のほほんとしたエマの茶化しにシスターは赤面して、更に目を細くする。そんな二人をよそにレイミヤは若かりし母の当時の情景を浮かべて胸が高鳴った。晩年は自分以外の関わりを絶ち、孤独だった母の青春時代を感じられた。
「それほどまでにあの子が大切だったのよ、あの時、私の中で……」
一頻り喋った後、ふとシスターが表情に影を作ったので、レイミヤは我に返ってその目を見つめた。
嬉しそうに語っていたかと思えば、今ではまた泣きそうな顔をしているシスターに、つられてレイミヤまで込み上げてくるものがあった。
「彼女とは何度も喧嘩をしたけど、最後の喧嘩の後彼女はここを飛び出して……それきりでした。私が知っているのはここまでです。あれから約十五年が経った今、こうしてあの子の娘である貴女が目の前にいる。ただ、それだけ」
シスターは今も後悔している。その重みはレイミヤにはわかる筈もなかったが、それだけは感じ取っていた。レイミヤは思わずシスターを抱きしめて、その胸に顔を埋めて声を上げた。
「シスターさんは悪くないです。お母さんはシスターさんを今でも頼りにしているから私をここに来させたんです!どうかもう悔やまないでください……」
「ありがとう。本当にそっくりね、優しいところも……」
かつての相棒であり家族のようでもあった存在が蘇ったようで愛しく感じ、自分にしがみつくレイミヤを抱きしめ返す。
「あの子の子供なら私の子供というのと同じことだわ。これからはここで暮らしましょう」
シスターがそう言うと、エマはとびきりの笑顔で抱きしめ合ったままのシスターとレイミヤにくっついてはしゃいだ。
「じゃあ、私をお姉さんだと思っていいわよ。可愛い末っ子で嬉しいな〜」
「もう、エマさん苦しいです!」
二人に頭を撫でられたレイミヤはすっかり照れてくらくらと目を回してしまっていた。だがその顔から悲しみは消えていて、自然と笑みが溢れている。ほんの少し前までレイミヤの心を覆っていた暗雲に、一筋の光が差していた。
***
暗い森を抜けた先に、木で出来た……小屋とも呼べる小さな家があった。扉の前で長い一呼吸を置き、コンコンコンと重々しくノックをする。もっとも、それは不要とも思えたが。
「お邪魔します」
やはり不要とは知りながら律儀にも声を掛ける。もちろん返事はない。
この長い森を移動する間に覚悟はしたつもりだ。十年以上も顔を合わさず過ごしたことは、これまでの人生の中で何度も何度も悔やんできた。それを咎める彼女でないことは承知しているのだが……。
「レイン、遅くなってごめん」
ベッドの上で綺麗に布団を被った姿を見ると、悔やまずにいられなかった。これが彼女の最後の姿か。上から積年の思いを込めて抱きしめたら、やっぱり死んだなんてのは嘘で「もー遅いよ!」と怒ってくれるんじゃないかと妄想した。
ふと彼女の首元を見ると金色のネックレスが目に入った。そっとチェーンと肌の隙間に指を滑らせ、本体を手繰り寄せると、その先には小さなカプセルが現れた。
キュルキュルと音を鳴らしてカプセルをそっと開けてみると、中からポロポロと白い粒がこぼれ落ちた。慌てて拾い集めたそれは、かつて私と共に訪れた、遠い遠い島で拾った太陽のような白砂であった。彼女は私を忘れてはいなかったようだ。
それはあの日お互いに拾って交換した、小さな愛情。
「さ、行こうかレイン。泣き虫の娘が待ってる」
私は軽々と毛布に包んだ彼女の体を抱いて教会へと歩き始める。
あの時幸せを願って手放した宝物がまた私の元へ戻ってきた。
***
つづく
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