第2話
安心して歩けと言われても、状況は変わらず先の見えない真っ暗の森が目の前に広がるばかり。レイミヤはただでさえ震える膝に喝を入れて休まずに進んだ。
急いでいると言ってすぐに去ってしまった綺麗な赤色の女性は何者だったのだろうか?周囲に警戒しながら考えてみる。
フードの下はあまり見えなかったが、赤い髪は肩の上まであり、左側を銀のピンで留めていた。また、深い赤色の瞳は、吸い込まれるような妖しい光を灯していた。
それにしても。先ほどの出来事を思い出したレイミヤは頬を紅潮させていた。自らのピンチに閃光のように駆けつけた例の女性は、さながら絵本のヒーローのように思えた。
「素敵な人だったな……また会えたらちゃんとお礼をしないとね」
素敵な人、と言葉にしてまた自分でニヤニヤしてしまうが、その前に教会に辿り着くことの方が先決だ。しっかり役目を果たして……。
はたとレイミヤは立ち止まった。
「私、手紙を渡してそれから、どうするんだろう」
何よりも大切な母はもういない。母からのお願いを叶えてしまえばレイミヤに残るのはひとりぼっちの時間だけだ。使命も何もない、ただひとりだけの時間。
また視界がぼやけて、雲が月を覆い隠し、周囲を暗闇が包んでいった。
「人生、楽しい方を選べばいーよ」
のんびりとした突然の問いかけにレイミヤは悲観し、声を荒げた。
「そんな、楽しい方なんてもうないのに!」
「そーかな?キミ、健康でしょ?」
しかし、つい返事をしてしまったがここにはレイミヤひとりだけのはずだった。その事に気がついたレイミヤの背中にどっと冷や汗が吹き出した。
蝶番の錆びた扉がゆっくりと開くようにぎこちなく顔だけで振り向くと、そこには口の周りが血だらけの髪の長い女性が立っていて、今度こそレイミヤは悲鳴を上げ尻餅をついて後ずさる。
「で、出た!出た、おばけ!」
血塗れのおばけはキョトンとした意外にも愛らしい目で、真っ赤な舌をぺろっと出して下唇を舐めた。頭にはガーベラのくっついたピンクの麦わら帽子。太い帯の、白い着物のような服にも血が付着している。
「キミ、こんな美少女をつかまえておばけだって?」
美少女は尻餅をついたままのレイミヤに手を差し出しかけ、自分の手が血塗れなことを確認してお尻の布でパンパンと手を払った。もちろん、白い着物には鮮血の手形がプリントされた。
「キミは、どうしてこんな夜の森の中に血塗れの人がフラフラしてるの?そう思ったね」
鋭くレイミヤの思考を的中させた美少女にさらなる警戒心を持ったが、今この状況でそれ以外に何を思うことがあろうか。レイミヤは意を決して話しかける。
「私はレイミヤ、教会に行くためにここを通っています。貴女は?」
「私はマリア。ちょっと病気でね、今から治療に行くところだったんだよ。驚かせてごめーんね?」
マリアはどう見ても重症な程に吐血をしていたが、両手にピースを作るその笑顔は健康そのものであった。互いの名前を名乗り合い、レイミヤの心に温かいゆとりが生まれる。
改めて見るマリアは、金色の髪と瞳が神々しく映える、美少女そのものだった。万人を惹きつける人懐っこい笑顔に、レイミヤは家族のような安心感すら覚えかけていた。
「うーん。レイミヤ、実にいい名前だ。これからもよろしくね♡」
マリアはレイミヤに両腕を広げてハグをしかけたが、また自らの血を見てストップした。今度はレイミヤもその仕草にくすくすと笑ってしまった。
「またお会いできると嬉しいです、マリアさん」
ここでお別れは寂しいが先を急ぐ旅だ。レイミヤは会釈して、頭を下げた。
「そうだ。夜の森は魔物の巣窟……何の用事か知らないけど、はやく行きなね。それじゃあ、また」
歩き出したレイミヤはマリアの最後の言葉に少し引っ掛かりを覚えた。どこかで同じことを言われたような。どこかで。
「ついさっきの赤い人も同じことを!」
またあの頼り甲斐のある、赤い人とのワンシーンが脳裏をよぎった。レイミヤの命の恩人であるあの人と、あの弱々しいマリアが同じ言葉を口にしていた。
「そうはいっても、もう安心していいってあの人も言ってたから大丈夫だよね」
夜の森は魔物の巣窟。レイミヤは軽く見ていた。一度危険な目に遭って、二度も動魔に遭遇することはそう簡単にはないだろうと。
しかし、その期待はすぐに打ち砕かれることになる。レイミヤが気を抜いたその瞬間、両脇腹の間から太い植物の蔦がにょきっと突き出し、ぐるぐると巻きついてレイミヤの自由を奪ったのだ。
「きゃー!」
あまりに突然のことにレイミヤはパニックに陥った。蔦から逃れようと足をジタバタと動かして暴れてみても、その蔦が離れることはなくより一層きつくレイミヤの体を縛り上げる。
目だけで蔦の大元を辿って見ると、ラフレシアのように大きな毒々しい花が、自由自在に蔦を操っていた。花の中心はさもなんでも溶かしちゃいますというように液体がコポコポと音を立てていた。
いくら使命があるとはいえ、パニックになった頭のどこかで、もう駄目だろうなと思った。誰もいない森の中、完全に身動きも取れない状態でひとり。レイミヤは静かにボロボロと涙を零した。
「大丈夫、その子は悪さをしないわ」
ぼやけた視界に青っぽい人のシルエットが映る。その人がレイミヤの顔に手をそっと近づけて涙を拭うと、優しい微笑みを向ける修道服の女性がはっきりと見えた。そのまま力を入れる訳でもなく、植物の蔦に手を添えると、それだけで植物は小さく、大人しくなってしまった。
「驚いたでしょう?この子は貴女を心配していたの、どうか怖がらないであげて」
少し垂れ目で、爽やかな水色のショートカットが似合う、誰にでも優しそうな静かな微笑みで女性はレイミヤの髪をそっと撫でた。
すっかり落ち着きを取り戻したレイミヤは、初めて会ったばかりのその女性をぎゅっと抱きしめた。
「あらあら……大変だったのね」
何も聞かれないまま、レイミヤはその優しさに甘えて抱きしめ続けた。
いつの間にか雲はひとかけらも無く、木々も少なくなっていて、大きく輝く丸い月が二人を照らしていた。
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