第6話

洞窟を進む。

咲が文へ尋ねる。

「あの梓というひと…随分と文に似ていましたね」

「嫌いだ」

「何故です?」

「己を見ているようだ」

「そう思うのでしたら、貴方も考えを改めてはどうですか、文。だって貴方は、梓を救いたくて薬師様にお願いしたのでしょう」

文はただ前を見、肩を落とす。

「俺の気は変わらない。死ぬのは俺だけで良いんだ。死に場所に邪魔なものは要らない」

「…死にませんよ。貴方のことも、薬師様がお救いくださりますから」

「あいつがこの星を救えたら、願ってみるさ」

ふらふらと、文の歩みは不安定だ。呼吸は乱れ、瞳はうつろになっていく。

咲はその顔を覗く。

「文…どうか見届けてください。その後必ず、貴方は薬師様に救われますから」

「…どうだかな」

ひらひらと翼をゆらめかせ、薬師の後を追う。

やがて目の前はぼんやりと明るくなる。だがそれでも、洞窟内の暗さとほとんど変わりない。



空の濁った緑の雲が地上にまで広がる。

視界は一面の澱んだ緑色の空気に包まれ、咲と文は口を手で覆った。

異臭と重苦しい空気。ようやく辿り着いた。

薬師は足を止めた。

咲が薬師に言う。

「薬師様、ここが、この場所が…この星を呑み込もうとしている瘴気の発生源です。どうか、この災いを鎮めてください!」

薬師は何も答えない。

文が苛立つ。

「はやくしろ、薬師。俺たちはここに長居はできない…ほら、証明してみろ。お前が本物の薬師であるなら、出来ることがあるんだろう」

薬師は答えない。微動だにしない。

沈黙が続く。

咲がもう一度薬師を呼ぼうとしたが、文が鼻で笑うが早かった。

「は…やはりか。やはりな。咲。こいつは、また俺たちを…」

「そんな」

「やはりお前も薬師ではなかった。お前に出来ることなど何もなかった。お前には、この星を救うことなどできない。そうなのだな、薬師!」

「そんなこと…薬師様」

「そうだ!」

薬師に駆け寄ろうとした咲の前に、鏡が立ち塞がった。引きつった笑みを浮かべ、勝ち誇った声でふたりに言い放つ。

「薬師なんて居ない。このひとは薬師ではないんだ。貴方たちは救われない。私たちは、この星を救うことなんてできないんだよ!」

「貴方は黙ってください、鏡!」

咲が叫ぶ。

「薬師ではないと名乗った貴方の言葉は信じません、鏡。ですが薬師様は、薬師様だと頷いた。薬師様、貴方に尋ねているのです。祈っているのです。願っているのです。どうか、私たちをお救いください‼︎」

背を向けたままの薬師は答えない。どれだけ返答を待つ沈黙が流れようとも、呼吸器から漏れる呼吸の音しか聞こえない。

咲は青ざめ、対して鏡は微笑み、薬師に振り返る。

「薬師…いいえ、貴方。貴方は意思を取り戻したのだな」

薬師は答えない。

構わず鏡は薬師の横へ回る。

「そう…そんな使命なんて、果たす必要はない。私たちは自由に生きていいんだ。だから貴方、終わりを迎えるこの星から出よう。帰ろう、貴方。だから、貴方の本当の名を…」

鏡が薬師の手を握ろうとした時。

「───ひ」

突然鏡へ振り返った薬師は、逆に鏡の手を強く掴み、瘴気の中へ走り出す。間も無く薬師の姿は、澱んだ緑の空気に呑み込まれ見えなくなる。

呆然としていた咲がはっと我に返る。

「薬師様!」

「さて…俺も行くか」

ため息をついた文もまた、瘴気に向かって歩き出す。咲が制止する。

「文、貴方は行ってはだめです! 命の危険が」

「薬師が偽物ならば、俺がやることは限られた。瘴気に中てられて死ぬだけだ。ちょうど薬師もこの中に居る…都合が良い」

「まだ決まってません! 薬師様は、まだ、きっと本物で」

「もう黙れ、咲。無理だよ。事実は変えられない…なあ、咲」

腹を強く押さえ、文は咲に笑う。苦痛を浮かべ、速い呼吸に喘ぎながら、うつろな目でにたりと笑う。

「…もう楽にさせてくれよ。村を出た時から、ずっと、ずっと苦しかったんだよ。今にも死にそうだったんだよ。それでもお前が、今回の薬師ならば本物だと言い張るから…最期だと思って、信じてやってたんだ」

「…嘘」

「嘘じゃない。口では薬師とお前のことを散々否定したがな…腹の中で、お前のことだけはずっと信じていたんだよ。どれだけお前が薬師に狂っても…お前のことだけは」

「嘘です…貴方が私を信じるなんて、嘘! でしたら、死にに行くのをどうしてやめなかったのですか。どうして今もなお、死にに行こうとするですか!」

咲の問いかけに、文は寂しげな目をし、瘴気の中へ進んでいく。

咲はしばらく躊躇った後、その後を追った。



鏡は薬師に引っ張られ、瘴気の満ちる汚染地帯の奥へ連れて行かれる。どれだけ暴れても薬師の手は解けない。鏡は訴える。

「離して…離せ。私をどうするつもりだ。私と逃げるのではなかったのか。貴方は意思を取り戻したのではなかったのか…!」

薬師は答えない。それでも鏡は問い続ける。

「お願いだ、教えて。貴方の本当の名を。貴方の名を答えて。その名を口にすれば、貴方は目を覚ますはずだ。お願いだから、貴方の名を…!」

薬師が立ち止まる。

鏡は薬師の顔を見、そして目の前の光景を見て、これ以上なく目を見開いた。

「…あ、ああ…‼︎」

澱んだ緑の空気に満ちた視界の中、ぼんやりと見える人影たち。鏡はそれを見て、その場に崩れ落ち、声をこぼす。

あおい…、まつ…、なな…‼︎」

名を呼ぶ。

緑の空気の向こうに居る、その名を持つ者たちは、口から背に向かって長い串で貫かれ、地面に突き刺さっていた。

ふるえ出し、慌てて逃げ出そうとする鏡の襟を、薬師が後ろから掴む。鏡は抵抗する。

「嫌だ、離して! 私は薬師じゃない!」

薬師は杖を放り、その手で懐から長い串を取り出す。鏡は悲鳴を上げる。

「お願いだからやめて! 私は意思を持っているんだ! あんな風にはなりたくない! あんなの、死んでるのと同じじゃないか!」

薬師が串を高く掲げる。鏡は絶叫した。

「私は死にたくない‼︎」



文と咲が見た光景は、薬師が鏡を、口から背に向かって串刺しにし、貫いた串の先端を底に刺している姿だった。

鏡は白目を剥いたまま、だらんと両腕を垂らし、もう動かない。

呆然と文が尋ねる。

「薬師…お前、何を」

「文、口を慎みなさい」

対して咲は、極めて冷静に呟いた。物言えぬ薬師を代弁するように、胸の前でひらひらとした手を組み、澄んだ声で言う。

「…薬師様の行いには必ず意味があります。鏡がこうなったのは、必要なこと。そうですよね、薬師様」

咲は微笑む。

薬師の無表情は変わらない。

文がざわっと、ゆらめく髪を逆立たせ、咲に掴みかかる。

「咲! 何故そこまで冷静なんだ!」

「薬師様を信じているからです」

「だから、お前は、一体───ぐ、がはっ」

叫んだ文は途端、ごぽりと口から泡を吐き、その場に崩れ落ち、腹を押さえ蹲る。

ぼたぼたと文が吐き出す泡が底に広がる。

その異様に咲はしばらく呆然とし、やがて慌てて薬師に叫んだ。

「薬師様!」

薬師は無表情でふたりを見ていた。

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