第6話
洞窟を進む。
咲が文へ尋ねる。
「あの梓というひと…随分と文に似ていましたね」
「嫌いだ」
「何故です?」
「己を見ているようだ」
「そう思うのでしたら、貴方も考えを改めてはどうですか、文。だって貴方は、梓を救いたくて薬師様にお願いしたのでしょう」
文はただ前を見、肩を落とす。
「俺の気は変わらない。死ぬのは俺だけで良いんだ。死に場所に邪魔なものは要らない」
「…死にませんよ。貴方のことも、薬師様がお救いくださりますから」
「あいつがこの星を救えたら、願ってみるさ」
ふらふらと、文の歩みは不安定だ。呼吸は乱れ、瞳はうつろになっていく。
咲はその顔を覗く。
「文…どうか見届けてください。その後必ず、貴方は薬師様に救われますから」
「…どうだかな」
ひらひらと翼をゆらめかせ、薬師の後を追う。
やがて目の前はぼんやりと明るくなる。だがそれでも、洞窟内の暗さとほとんど変わりない。
▼
空の濁った緑の雲が地上にまで広がる。
視界は一面の澱んだ緑色の空気に包まれ、咲と文は口を手で覆った。
異臭と重苦しい空気。ようやく辿り着いた。
薬師は足を止めた。
咲が薬師に言う。
「薬師様、ここが、この場所が…この星を呑み込もうとしている瘴気の発生源です。どうか、この災いを鎮めてください!」
薬師は何も答えない。
文が苛立つ。
「はやくしろ、薬師。俺たちはここに長居はできない…ほら、証明してみろ。お前が本物の薬師であるなら、出来ることがあるんだろう」
薬師は答えない。微動だにしない。
沈黙が続く。
咲がもう一度薬師を呼ぼうとしたが、文が鼻で笑うが早かった。
「は…やはりか。やはりな。咲。こいつは、また俺たちを…」
「そんな」
「やはりお前も薬師ではなかった。お前に出来ることなど何もなかった。お前には、この星を救うことなどできない。そうなのだな、薬師!」
「そんなこと…薬師様」
「そうだ!」
薬師に駆け寄ろうとした咲の前に、鏡が立ち塞がった。引きつった笑みを浮かべ、勝ち誇った声でふたりに言い放つ。
「薬師なんて居ない。このひとは薬師ではないんだ。貴方たちは救われない。私たちは、この星を救うことなんてできないんだよ!」
「貴方は黙ってください、鏡!」
咲が叫ぶ。
「薬師ではないと名乗った貴方の言葉は信じません、鏡。ですが薬師様は、薬師様だと頷いた。薬師様、貴方に尋ねているのです。祈っているのです。願っているのです。どうか、私たちをお救いください‼︎」
背を向けたままの薬師は答えない。どれだけ返答を待つ沈黙が流れようとも、呼吸器から漏れる呼吸の音しか聞こえない。
咲は青ざめ、対して鏡は微笑み、薬師に振り返る。
「薬師…いいえ、貴方。貴方は意思を取り戻したのだな」
薬師は答えない。
構わず鏡は薬師の横へ回る。
「そう…そんな使命なんて、果たす必要はない。私たちは自由に生きていいんだ。だから貴方、終わりを迎えるこの星から出よう。帰ろう、貴方。だから、貴方の本当の名を…」
鏡が薬師の手を握ろうとした時。
「───ひ」
突然鏡へ振り返った薬師は、逆に鏡の手を強く掴み、瘴気の中へ走り出す。間も無く薬師の姿は、澱んだ緑の空気に呑み込まれ見えなくなる。
呆然としていた咲がはっと我に返る。
「薬師様!」
「さて…俺も行くか」
ため息をついた文もまた、瘴気に向かって歩き出す。咲が制止する。
「文、貴方は行ってはだめです! 命の危険が」
「薬師が偽物ならば、俺がやることは限られた。瘴気に中てられて死ぬだけだ。ちょうど薬師もこの中に居る…都合が良い」
「まだ決まってません! 薬師様は、まだ、きっと本物で」
「もう黙れ、咲。無理だよ。事実は変えられない…なあ、咲」
腹を強く押さえ、文は咲に笑う。苦痛を浮かべ、速い呼吸に喘ぎながら、うつろな目でにたりと笑う。
「…もう楽にさせてくれよ。村を出た時から、ずっと、ずっと苦しかったんだよ。今にも死にそうだったんだよ。それでもお前が、今回の薬師ならば本物だと言い張るから…最期だと思って、信じてやってたんだ」
「…嘘」
「嘘じゃない。口では薬師とお前のことを散々否定したがな…腹の中で、お前のことだけはずっと信じていたんだよ。どれだけお前が薬師に狂っても…お前のことだけは」
「嘘です…貴方が私を信じるなんて、嘘! でしたら、死にに行くのをどうしてやめなかったのですか。どうして今もなお、死にに行こうとするですか!」
咲の問いかけに、文は寂しげな目をし、瘴気の中へ進んでいく。
咲はしばらく躊躇った後、その後を追った。
▼
鏡は薬師に引っ張られ、瘴気の満ちる汚染地帯の奥へ連れて行かれる。どれだけ暴れても薬師の手は解けない。鏡は訴える。
「離して…離せ。私をどうするつもりだ。私と逃げるのではなかったのか。貴方は意思を取り戻したのではなかったのか…!」
薬師は答えない。それでも鏡は問い続ける。
「お願いだ、教えて。貴方の本当の名を。貴方の名を答えて。その名を口にすれば、貴方は目を覚ますはずだ。お願いだから、貴方の名を…!」
薬師が立ち止まる。
鏡は薬師の顔を見、そして目の前の光景を見て、これ以上なく目を見開いた。
「…あ、ああ…‼︎」
澱んだ緑の空気に満ちた視界の中、ぼんやりと見える人影たち。鏡はそれを見て、その場に崩れ落ち、声をこぼす。
「
名を呼ぶ。
緑の空気の向こうに居る、その名を持つ者たちは、口から背に向かって長い串で貫かれ、地面に突き刺さっていた。
ふるえ出し、慌てて逃げ出そうとする鏡の襟を、薬師が後ろから掴む。鏡は抵抗する。
「嫌だ、離して! 私は薬師じゃない!」
薬師は杖を放り、その手で懐から長い串を取り出す。鏡は悲鳴を上げる。
「お願いだからやめて! 私は意思を持っているんだ! あんな風にはなりたくない! あんなの、死んでるのと同じじゃないか!」
薬師が串を高く掲げる。鏡は絶叫した。
「私は死にたくない‼︎」
▼
文と咲が見た光景は、薬師が鏡を、口から背に向かって串刺しにし、貫いた串の先端を底に刺している姿だった。
鏡は白目を剥いたまま、だらんと両腕を垂らし、もう動かない。
呆然と文が尋ねる。
「薬師…お前、何を」
「文、口を慎みなさい」
対して咲は、極めて冷静に呟いた。物言えぬ薬師を代弁するように、胸の前でひらひらとした手を組み、澄んだ声で言う。
「…薬師様の行いには必ず意味があります。鏡がこうなったのは、必要なこと。そうですよね、薬師様」
咲は微笑む。
薬師の無表情は変わらない。
文がざわっと、ゆらめく髪を逆立たせ、咲に掴みかかる。
「咲! 何故そこまで冷静なんだ!」
「薬師様を信じているからです」
「だから、お前は、一体───ぐ、がはっ」
叫んだ文は途端、ごぽりと口から泡を吐き、その場に崩れ落ち、腹を押さえ蹲る。
ぼたぼたと文が吐き出す泡が底に広がる。
その異様に咲はしばらく呆然とし、やがて慌てて薬師に叫んだ。
「薬師様!」
薬師は無表情でふたりを見ていた。
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