第1話

咲と文に導かれ、薬師は小さな村に訪れた。

花飾りを付けた女をはじめに、村の住民たちが薬師を見るなり一斉に集まってくる。皆一様に瞳を輝かせ、頭を下げる。

「咲、この方は…この方はまさか!」

「ええ。薬師様です」

「ああ、この時をどれだけ待ち侘びたことか!」

「私たちは罪を償いました。今度こそはお救いくださる。そうですよね、薬師様?」

敬いの眼差しで見上げられようと、何を問いかけられようと、薬師は一言も喋らない。口に咥えた呼吸器から呼吸の音が漏れるばかり。

咲が代わりに答える。

「ええ、きっと…今回の薬師様ならば、お救いくださるでしょう」

「どうだかな」

村の門の陰から文が口を挟む。

「お前ら、今までの薬師のことを覚えてないのか。あの役立たずの薬師どもを」

「お、覚えているとも…でもそれは、我々が罪や煩悩を抱えていたから」

「馬鹿馬鹿しい。何が罪だ煩悩だ…それは救われなかった事実から目を背けるだけの言い訳だ。何故自己否定する必要がある。事実は薬師どもに何の力もなかったからだ」

「文、黙りなさい!」

「そうです。そんなところに居ないで、貴方こそ今すぐに」

「や、薬師様ですか⁉︎」

群衆をかき分け、ひとりの少年が現れた。

息を切らせてやってきた少年は薬師の前に項垂れ、ひらひらした手で薬師の片手を握る。

「こら、薬師様に気安く触るな、りゅう!」

「薬師様、お願いです、助けてください!」

「落ち着いてください、流…どうしたんですか」

錯乱する少年、流の肩を咲が掴み宥める。

流は青ざめた顔で、必死に薬師に訴えた。

「兄ちゃんが…病気なんです。前に誰かと喧嘩して出来た傷に、白い綿が生えてきて…!」

「傷が治るからではなくて?」

「兄ちゃん、すごく苦しんでんだよ! お願いです、薬師様。助けて、助けてください」

流は祈り、薬師の顔を見つめる。

だが呼吸器を咥えた薬師の表情は変わらぬ無表情。

流は少し後ずさる。

「…薬師様?」

「流、薬師様は言葉を話せないのです。ですが、きっと助けてくださります。そうですよね、薬師様…」

薬師はゆっくりと咲に振り返り、じっと見つめ返す。

それを承諾と受け取った咲が流へ振り返り頷けば、流は笑みを浮かべ、群衆をかき分け薬師を呼ぶ。

「ではこちらです、薬師様。どうか、兄ちゃんを助けてください!」

「…大変申し訳ありませんが、どうかお願いいたします、薬師様」

咲は薬師に頭を下げ、ゆっくりと流を追いかけた。薬師が歩き出すと、群衆たちもその後をついてくる。

その様子を、文は門の陰から嫌な顔をして覗いていた。



「兄ちゃん、りょう兄ちゃん!」

流が家の中へ駆け込む。少し遅れて咲と薬師も中へ入ると、寝台の上に横たわる流の兄、涼を見つけた。咲が青ざめる。

「…これは」

涼の片足には白い綿が生えている。痛みがあるのか、涼は低く唸り、身を捩らせていた。

駆け寄った流が声をかける。

「兄ちゃん、もう大丈夫。助かるよ。治してもらえるよ!」

「黙れ…ちくしょう、何で俺がこんな目に遭わなきゃならねえんだ…!」

「や、薬師様…はやく、お願い、助けてください!」

涙目で流が懇願する。

薬師は無表情でそこに立っている。

咲が声をかけた。

「薬師様、どうか…」

「薬師、薬師様だって…⁉︎」

涼が寝台から起き上がり、薬師を見た。だが痛みに呻き、すぐに項垂れる。

流はその身体を支え、微笑みを浮かべる。

「そうだよ。薬師様だよ、兄ちゃん。薬師様がきてくれたんだ。きっと兄ちゃんを助けてくれる!」

「流、退きなさい」

咲の声に流が顔を上げると、すぐ側に薬師が立っていた。無表情で流と涼を見下ろし、呼吸器から呼吸の音を吐き出す。

流は一瞬怯えた目をし、その場を退く。

薬師は杖を置き、涼の側へ跪いた。

「…あんた、本当に薬師様なのか」

「無礼者、涼。薬師様をそのような呼称で呼ぶのはよしなさい」

「咲、本当に薬師様なのか、こいつ…この方は」

「天から降臨なさったお方です。薬師様で間違いないでしょう」

「けど、この前だって、その前だって、天から降りてきた奴は何人も居た。だがそいつらは薬師と言いながら何も出来なかった…なのに」

「涼、口を慎みなさい。薬師様が治療してくださるのですよ」

薬師は涼の片足を掴み、懐から取り出した箸のようなもので、傷口から生える綿を丁寧に取り除いていく。

綿が完全に取り除かれた後、薬師はあらわになった傷に薬を塗る。

涼も流も呆然としていた。

「すごい…きれいに取れてる」

「こ、こんなんで治るのか…?」

綿が無くなった傷を確認する涼へ、薬師は無言で二種の薬を差し出した。小瓶に入った液体と粉末。流と咲が興味を持って薬師の後ろから覗く。

「この薬は、物語にも出てきた…」

「どう使うんですか、薬師様」

流が尋ねるが、薬師は呼吸器から呼吸音を吐き出すばかりで何も答えない。代わりに咲が説明した。

「物語に書いてありました。この薬は、水に溶かして使うものです。薬を溶かした水に患部を浸せば、たちまち治癒されるとか…ですよね、薬師様?」

咲が顔を覗く。

「すげえ…そんなもんがあるのか」

涼が感嘆の声を漏らすと、それを外から見ていた群衆たちが一斉に声を上げた。

「今回の薬師様は本物だぞ!」

「涼の傷をあっけなく治したどころか、神の薬もお持ちだ!」

「ああ、出来ることならば、私もあの薬を頂きたい!」

騒がしい群衆たちに咲がため息をつく。呆れもするが、咲もまた声を上げたくなるほど驚いていた。だが心を落ち着け、薬師に頭を下げる。

「騒々しくて申し訳ありません、薬師様」

流と涼も頭を下げる。

「助けてくれてありがとう、薬師様。兄ちゃん、もう治らないかと思ってた」

「あんた、本物の薬師様だったんだな。疑って悪かったよ」

「貴方…本当に無礼者ですね、涼」

薬師は無表情のまま、その場に背を向ける。

咲が慌てて追いかける。

薬師は騒ぐ群衆たちをするりと躱し、村の入り口の門へ戻っていく。



「よくやったな、薬師」

門の陰に立つ文が声をかけた。

薬師は無表情で振り返る。

文はにたりと上から目線の笑みを浮かべる。

「これでお前は本物の薬師として認められた…とでも思うか? あいつの傷を治したくらいで。神の薬を差し出したくらいで」

「薬師様…」

追いかけてきた咲が立ち止まる。

文は片腹を押さえたまま、もう片手で薬師の胸倉を掴む。

「良い気になるなよ。たったひとり救ったくらいで何が薬師だ。あいつを救ったところで、救ったあいつも死ぬことには変わりない。お前がやるべきことは、この星を呑み込もうとしている瘴気を止めることなんだよ。できるのか、薬師様、なあ?」

「無礼者、文!」

咲は走り出し、文の肩を掴み引き剥がす。

文はうつろににたりと笑い、薬師を睨みつけた。

「そもそもだ…お前が助けたあいつ、涼とか言ったか。あいつには助ける価値もなかったんだよ」

「文、口を慎みなさい!」

「弟が言っていたよな。あいつの怪我は喧嘩で負ったものだとか何とか…その喧嘩はあいつの方から振ったものだ。あいつはいじめっ子なんだよ。弱い者から居場所を奪って生きている性悪野郎だ」

「文!」

「その相手は少し前にあいつと同じ病にかかり死んだ。なのに加害者は生きている。お前が救ったんだ薬師。お前が。悪党を救ったんだよ。薬師!」

「黙りなさい、文!」

呼吸の限り罵倒した文は荒々しく息を吐く。強く腹を押さえ、にたりと邪悪に笑う。

だが薬師は少しも動じず、ただ無表情のまま、喘ぐ文を見つめた。

咲がその間に割って入り、文の肩に触れた。

「…文。今すぐ貴方も、薬師様の治療を受けるべきです。きっとこの薬師様ならば、貴方のことだって」

「どうせ死ぬのにか?」

「死にません。薬師様はきっと私たちを救ってくださる。だから貴方も、どうか生きる希望を」

「言っただろう、咲。俺は期待なんかしてないんだよ。この薬師にも。お前の言葉にも」

咲はぐっと息を詰まらせる。返す言葉もない。

文は屈んでいた背を伸ばし、村から離れていく。

「いいから行くぞ。俺の死に場所に。ぼさっと突っ立っているな」

「文、貴方はここに残るべきです! その為に立ち寄ったのですよ⁉︎」

「俺は死にに行くんだよ。或いは咲、お前の言葉を信じて、その薬師が本物であるか見届けてやると言っているんだ。さっさと歩け」

文はひらひらと髪や翼をゆらして歩いていく。

その背を不安げに見つめた咲は、薬師に向き直り、頭を下げる。

「御無礼をお許しください。文は、元々は良いひとなのです…あんな風になってしまったのは、過去に負った怪我のせいで」

だが薬師は咲を無視し、ゆっくりと杖をつき歩き出した。咲は慌てて薬師を追いかける。

ひらひらと翼が靡く。薬師は何も言わず、ただ無表情で先を見据える。

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