【14-2】




 三河さんが言う「担当患者が退院した」というのは、病院としての役目が終わり、患者が無言の帰宅したということなのだ。


「私、看護できたのか……。もっとなにかできたんじゃないかって……。精一杯やらせていただいたつもりですけど、本当にそれでよかったのか……」


 そうか、美穂にあれだけ時間を割けたということは、他の患者さんとのコミュニケーションの時間があまりとれなかったということ。


 でも、それは仕方ないことと言ってくれた。


「まだ小学生の女の子でした。いろいろ、夜通しお話ししましたよ。腕や顔を拭いたり、なんとか目を開けてくれないかなって、ずっとお願いしながら看護でした。本当はまだICUにいなければならないほどだったんです。でも…… 」


 仕方ない。病床の数は限られる。だから、症状の段階に応じて部屋を移ることは仕方のないことなのだと。


「ご両親から、娘も喜んでいますと言っていただけました。本来なら医師が外す人工呼吸器の管もご両親の希望で私に外してほしいと……」


 その希望に添うように、医師から許可を得て処置を行い、看護師として出来る最後の仕事、エンジェルメイクを病室に二人きりになって施したという。


「三河さんが悩んでいること、その方はちゃんと見ていてくれてますよ。精一杯のことをされたんです」


「すみません、小田さんにご心配をかけてはいけないのに……」



 三河さんは、持っていたハンドバックから、シャボン玉の容器とストローを取り出した。


「これ、私のおまじないです。小児科の患者さんの時は、元気になったら一緒にやろうねって、いつも屋上で待っているんですけどね」


 無事に退院が決まった患者さんと、いつも退院前に一緒に思い出をつくって、遊んだそれをプレゼントに渡すのだそうだ。


「私の先輩はもっとすごかったんですよ。夏には患者さんと一緒に花火までしてました。でも、その先輩は、線香花火だけは別にとっておかれて、同じように退院する方がいると、ひとりで灯していたんです。一緒にやりたかったねって話しかけていました」


 それを三河さんが少し形を変えて受け継いだということなんだろう。


「小田さんももし、よろしければお願いできますか?」


「俺でいいんですか?」


「ええ、楽しいことは人数が多いにこしたことはないですもの」


 水銀灯の光に照らされるシャボン玉の姿は、昼間とはまた違った色に変わっていって、昼間とは違うとても幻想的なものに見えた。


 三河さんの頬に光る筋が流れていて、小さな嗚咽も漏れている。


「大丈夫ですか?」


「すみません……。病棟では絶対に泣いてはいけないと自分のルールなので……」


 いろいろな状況があるのだろう。言葉を失ってしまうことだってあると思う。でも、病院の中ではプロだから、感情を出してしまって患者さんを不安にしてはいけないから、いつも落ち着いて笑顔を絶やさないように。


 そんな強い意志があるから、この人はみんなから信頼されて愛されているのだろう。




「小田さん、ありがとうございました。明日、美穂さん朝早いですから、この辺で切り上げておかないと。お先に失礼しますね」


「すみません、明日はよろしくお願いします」


 顔をハンカチで少し直して、三河さんは一礼して公園を出ていった。




 いつもこうやってなんとか自分を奮い起たせているのか。


 でも、やはりまだ若い一人の女性であることには変わらない。


 いつの日か、彼女の心を柔らかく包み込んで支えてあげられる人が現れてほしい。それを願わずにはいられないと思いながら、俺も家路についた。

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