5-9 紅蓮の勲章

 10


「グレンさんは」


 口を開くと、グレンは僕の顔を伺った。真剣な面持ちをしていた。

 途端に僕は何も言えなくなった。彼の怒りを買うことを恐れていたから? 違う。彼のみにくさを知ることを恐れていたから? 全然違う。僕は彼と対話できなくなることを恐れていた。今ここで彼にはぐらかされれば、そして問い返された時に答えにきゅうしてしまえば、僕はもう二度と彼と顔を合わせて喋ることができない。

 僕は両手の指を組み合わせ、うつむきがちにくちびるを嚙み締めた。こんなにも憶病な自分に嫌気が差す。ようやく気軽に話すことができるようになったと思っていたのに、これでは振り出しではないか。あるいは、僕の思い過ごしだったのかもしれない。仲が良くなったと思っていたのは僕だけだったのだ。

 なかなか切り出さない僕にグレンはごうやしたようだった。目と鼻の先にまで顔を近付け、見下ろす形で僕の両眼をのぞき込んだ。眼鏡の向こう側で彼の目が告げる。言え、と。誤魔化すな、と。向き合え、と。

 僕はグレンさんの両眼を見て、問いかける。


「……グレンさんは、死ぬつもりだったんですか?」

「んー?」


 グレンは無表情だった。やがて僕のひざに頭を乗せ、岩の上へと寝そべった。上空へ向けられた眼差しは遥か遠い宇宙を見眺めている。


「……どうせ衝突するならアイツが生き残るべきだと思っていた」


 それは言外に『死ぬつもりだった』と言っているようなものだった。


「オレは命をはぐくむことができなかった。星の価値はんなもんじゃ決まらねェが、どうにもオレは……まあ、羨んじまったんだろうな」


 グレンが渇いた笑いをこぼす。


「……オレは、生物が好きだった。特に、知的生命体に興味があった。可能性のかたまりなんだよ、アイツらは。オレたちにできねェことをやってのける。無論、毒にもなるし福にもなる。それが原因で滅んだ奴らもいる。だが、それでもオレは……アイツらが愛おしいんだよ」


 まるで人間を好きだと言われているような気がして、僕は赤面した。グレンの角度からは見えていないことを祈る。


「だから、アイツらが滅びるのは嫌だった。しかも、オレのせいでってんなら、尚更だ。どうせ可能性がねェんなら、オレが滅びれば早い話だろう?」


 同意を求められても、僕はうなずくことができない。

 彼は僕と同じだ。自らが害悪であると考え、自ら消えようとしている。彼がこれまで幾度となくトーチャーへと突っかかっていたのは、自分を滅ぼすことに後ろ暗い思いを抱かせないように大義名分を与えるためだったのだろう。

 馬鹿な話だ。そんなものは聡明なトーチャー相手であれば見抜かれているだろうというのに。

 僕も馬鹿だ。こんな単純な気持ちにも気付かずに命を投げ出そうとしていた。今、僕が彼に掛けようとしている言葉は、そのまま僕がかけてもらいたい言葉なのだろう。

 ならば、僕は――


「グレンさん」

「んー?」


 グレンが気怠げに反応すると、僕はその堕落だらくし切った表情に思わず笑みをこぼした。


「そんなことより、重いです」

「んー? ああそう。わかった」


 注意されても尚、グレンが僕の膝から退くことはなかった。悪童あくどうめいた笑いを浮かべ、僕の様子をうかがっている。


「何かお喋りしましょうよ」

「今してるだろう」

「じゃあ、このままで」


 グレンが眉をしかめる。けれど、すぐに屈託のない表情を浮かべて大笑いした。僕も釣られて大笑いする。静謐せいひつな宇宙が少しだけにぎやかになった。


「助かった」


 不意にグレンが漏らした。僕は目をしばたたかせ、すぐさま意地悪な笑みを浮かべる。


「お礼なんて要りませんよ。ただの自己満足ですから」

「……確かに、嫌な気分になるな」


 グレンは不満そうな面持ちになった後、ふうっと嘆息たんそくした。次にどんな言葉がかけられるのか、僕には想像がつく。

 少しだけ気が晴れた面持ちで、グレンは僕へ向けて真っ直ぐに告げる。


「ありがとう」

「どういたしまして」


 互いに笑い合うと、僕もまた気分が晴れやかになった。


 11


 グレンは死にたかったわけではない。トーチャーを生かしたいという思いがあったからこそ、自らの死を望んだのだ。誰だって理由わけもなく死を望んだりしない。そこには絶望が、不幸が、あるいは知的好奇心が根差しているのだ。『なんとなく死にたい』と思う者もまた無意識下で理由を持っている。無いと思っている者は気がついていないだけ。自身の内側と向き合っていないだけなのだ。

 だからと言って、他者を助けるために何でもしていいかと問われれば、僕は首肯できない。グレンを助けた僕の行為は間違いだったかもしれない。一個人の行動によって星の運命が大きく変わった。トーチャーの寿命は縮まり、そこに住まう生命体に大きな影響を及ぼした。星単位の罪だ。決して償えるものではないし、そもそも罪という概念で測れるものではない。

 けれどその代わり、グレンが生き永らえた。僕にとって重要なことはそれだけだ。彼らの衝突に介入した時、僕は言葉のとおり命懸けで突っ込んだ。死んでもいいとさえ思っていた。けれど、こうして隣にグレンがいることを、グレンの隣に僕がいることを、今は幸せに思う。結果論だけれど、誰も死ななくて本当に良かった。僕が後悔せずにいられるのは、自分が心から望んでいることを自覚できたからだと思う。

 彼らの衝突がいつどの瞬間に起こるのか、僕にはわからない。けれど、僕に運命を変えられたということはまだ起こっていないということだろう。僕という存在が彼らの運命を、星の宿命を変えることができるというのなら、僕にはまだ生きる希望が遺されている。生きる意味がある。

 いや、そんなものがなくても、今こうして笑い合えるだけで僕はもう生まれた意味がある。グレンと、バルドと、レナと、そして他の星々と触れ合えた僕には、明日を見つめるこの両眼には恒星に匹敵する輝きが宿っている。

 グレンが自分こそ滅びるべきだと言ったように、僕も自分が消えればいいと思っていた。けれど、それで満足するのは自分だけだと思い知った。グレンが消えれば僕は哀しむ。そして、トーチャーはきっと僕よりも哀しむだろう。グレンの知らないところで哀しみの輪が広がってゆくのだ。

 僕はそれを未然に防ぐことができた。そして、僕は同じことを自分に対しても行うことができる。無用な哀しみを広げないように、僕は僕の命を守り続ければいいのだ。

 僕が求めていたものは、明日の僕を迎えてくれる存在だった。



 第5章 了

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