第6章

6-1 ありったけの感情を

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 身の回りに不幸ばかりあると『どうして自分ばかり』と思ってしまいがちです。最も長く、深く経験するものが自分の人生ですから、そう思ってしまうのも無理からぬ話でしょう。いつだって自分こそが物語の主役で、周囲の人間は端役はやくに過ぎないのです。

 僕たちが身近の死に触れるように、周囲の人間も僕たちの死に触れます。その時に同じことを考えるでしょう。どうして自分ばかり、と。どうしてこんなにも辛い目に遭わなければならないのか、と。どうしてこんなにも哀しい気持ちにならなければならないのか、と。

 それは僕たちが人間だからです。もっと言えば、僕たちに心があるからです。他人の死をいたむことができるからです。僕たちが他者の死を悼むように、他者もまた僕たちの死を悼むのです。

 自分に死が訪れた後、この物語はどうなるのかと疑問に思うかもしれません。緩やかに収束するのか、それともぴたっと終わりを迎えるのか、はたまた何事もなく続いてゆくのか……三つ目の場合、自分が物語の主役であるという前提は崩れます。いえ、主役が死んでも続いてゆく物語は往々にしてあるものですね。

 話を戻しましょう。物語の結末は誰にもわかりません。ずるい答えで申し訳ありません。けれど、物語とは元来結末が伏せられるものであり、尚且なおかつ書き手が僕たち自身である以上、僕たちが存じ上げていなければ、それは誰にもわからないことなのです。

 それでも僕なりの見解を述べるとすれば、きっと世界は続いてゆきます。僕の物語はこれからも、僕に死が訪れても、ずっと続いてゆきます。僕の物語は既に決められています。出会うべき方がいるのです。目指すべき道があるのです。

 僕はそれを選びました。いえ、正確ではないですね。その道にかれたのです。導かれた世界で、僕は自分が進むべき道を、僕の物語が進む航路を知ったのです。こういうことを言うと『すごい』『自分を持っている』と言われますけれど、僕は運が良かっただけなのです。きっかけを与えられたから、とも言えますね。

 きっと、良い水先案内人がいてくれたおかげでしょう。最期の最期まで、彼女は僕に航路を示してくれたのですから。この場を借りて感謝いたします。


 ――ありがとうございました。


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「アルテミスッ!」


 僕は暗闇の中で叫んだ。あの銀髪が見当たらない。僕は喉を震わせる。痛めたっていい。二度と喋れなくなったって構わない。彼女を見つけられるのなら、惜しくはない。

 彼女が僕を愛してくれているように、僕もまた彼女を愛している。それは当然の理だろう。いや、理由なんて要らない。あってはならないのだ。


「……どう、して」


 暗闇の中でか細い声が震えた。一瞬誰のものかわからなかった。僕の記憶にある声とかけ離れていたからだ。

 アルテミス。粛清を待つ彼女を救出するため、僕は声が聞こえる方向へと足を踏み出した。

 始まりがあれば終わりがある、なんて陳腐ちんぷな文句があるけれど、ならば何処どこが始まりで、何処どこが終わりなのだろうか。生と死、それが物事の始まりと終わりなのだろうか。

 違う、と僕は思う。終着点が物語の終わりだとは限らない。物語とは旅路、即ち思考することだ。ならば、思考の旅路を終えた時、僕たちの物語は幕を閉じる。だからこそ、僕たちは考えるあしなのだ。

 僕にとっての始まりは、バルドとの出会いだろうか。いや、もっと前だ。少なくとも彼と出会う前に僕の物語は既に始まっていたように思う。そうでなければ、僕が彼に声をかけることもなかっただろう。

 始まりをくれたひとは、きっとそんな深いことを考えていない。それは僕にとって都合が良かったのかもしれない。素直な感情で動くことができた。あの時だってそうだ。僕は自分の感情に従って動くことができた。だからこそ、今こうして彼女のもとへと到達できたのだ。

 縁は巡る。それは必然の軌跡だ。僕は身をもって体感した。彼女がくれたものを返すため、僕はこの場所まで駆けてきたのだから――

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