6-2 必然なればこそ

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 グレンの両腕が失われてからも、僕とトーチャーの関係性が悪化することはなかった。彼らの衝突は必然で、トーチャーの負傷は偶然なのだ。僕という一個人の介入により、彼らは運命を大きく狂わされた。

 けれど、僕はこう考える。僕のおかげでグレンの運命は正しく導かれた、と。だから、僕は彼と出会う日のためにも歩み続けなければならない、と。


「グレンが死ななくて安心したかい?」


 アルテミスは皮肉のようにそう言った。彼女に悪意はないのだろう。けれど、僕には確かに悪意が感じられた。もしかすると、それは僕の敵意が反射したものなのかもしれない。

 八つ当たりだ。彼女がグレンとトーチャーの衝突を止めなかったのは、自らの運命を狂わされたくなかったからだ。自らの命を最優先に考えていたからだ。他の星々も同じだ。責められる道理はない。

 理屈はわかっている。けれど、僕はいきどおりや失望を感じずにはいられない。それはきっと僕が『アルテミスなら彼らの助けになってくれる』と勝手な期待を抱いていたからだろう。理想の彼女を壊されたことに腹を立て、彼女を敵視すらするようになった。逆恨みもいいところだ。

 今の僕には彼女の台詞が全て挑発に聞こえる。首肯もできず、かと言って否定もできず、平静を装って論点をずらすことに必死になる。


「誰だって死ぬ。僕だって、グレンさんだって、トーチャーさんだって……君だって、死ぬ」


 イエスもノーも誰かを傷付ける。グレンを、あるいはトーチャーを。そして、いずれの場合にも僕が最も傷付く。僕は僕自身が最も大事な存在だと思うようになった。それは『彼ら』との出会いのおかげだろう。散りゆく彼らの命に触れ、僕は陳腐ちんぷながらも命の大切さというものを痛感した。


「達観しているね。遅いか早いかの違い、というやつかい?」


 アルテミスがそらを仰ぎ、くるくるとその場で回りながら言う。彼女の目には満天の流星が映っていることだろう。

 僕は彼女に見えていないことを知りながらも首を横に振り、水晶で出来た樹木に背を預ける。


「刹那的だね。君は誰かとのつながりを時間で換算するの?」

「それが得意なのはキミたちじゃないか」


 人間は損得勘定で生きている。目先の欲望だけで動く者は少ない。だからこそ、みにくい争いが生まれているのだ。

 僕はふうっと息を吐く。丁度こちらを向いたアルテミスと目があった。余裕そうな表情が一層僕をイラつかせる。


「……人間ぶるなよ。話のはぐらかし方も、損得勘定での考え方も、あおるようなその態度も、全部人間みたいだ」

「お気に召さないかい? 自己嫌悪の渦に呑み込まれるよ?」

「僕は人間が嫌いなんじゃない。人間のみにくい部分を真似るようなやり口が気に食わないんだ」


 アルテミスはふっと笑んだ。今の反論すらも彼女のシナリオ通りのように感じられた。

 彼女は星だ。何処どこの星かもわからない。いや、本当はもう知っている。それを口に出さないのは、彼女の優しさに背きたくないからだ。僕は恩を仇で返すような真似だけはしたくない。それは人間のみにくい部分だからだ。

 星と人間とではものの考え方が違う。命に対する姿勢もまた異なる。まず寿命が段違いだ。僕たちが種族をかけて存亡の危機に立ち向かっている瞬間にも、彼らは悠々と生きている。生まれた瞬間から定められた道を進んでいるのだ。

 決められた道の先に真理などあるのだろうか。いや、やめよう。その考えはバルドの生き様を否定しているようなものだ。彼は旅の最期に真理へと到達した。僕とお喋りすることを幸せだと、そのために生きていたのだと言ってくれた。僕はその優しさに、愛情に、心でもって応えたい。

 ふと思う。何故なぜバルドは僕よりも先に亡くなったのだろう。レナもそうだ。僕のほうが圧倒的に寿命が短いはずなのに、この世界では僕のほうが長生きしている。

 ちらりと目配せすると、アルテミスは予想していたとばかりに回転を止めた。小首を傾げるような仕草を見せ、僕の顔を下からのぞき込む。


「ボクたちは命だ。死ぬからこそ命なんだ。死なない命は命ではなく、ただの『もの』でしかない。みんなが生まれ、育ち、死んでゆく中で唯一不変の飾りでしかないのだよ」


 アルテミスが微笑を顔面に貼り付けたまま言う。


「星は死ぬ。星の一生を見届けることこそがこの世界の存在意義であり、“在り方”だからさ」

「星の死がこの世の常だってこと?」

「それはどの世界でも同じだよ。ボクが言いたいことは、第三者が星の死に触れることこそ、この世界の真の存在意義なんじゃないかということだよ」

「第三者?」


 それはつまり人間であるところの僕のことだろうか。

 アルテミスはきびすを返し、王城がそびえ立つ水晶地帯へ向かい歩き始めた。僕はその背を追いかける。彼女に敵意を抱いているはずなのに離れられないのは、僕が臆病だからだろうか。


「星の一生を観測するという行為は手段であって目的ではない。例えば、観測した先で新たな価値観であったり知識だったり、そういったものを得ることこそ目的になり得るのさ。そして、それが目的だと仮定するなら、星の死に触れることで何かを得られる者は星以外の存在でしかない。星々はそれぞれが別個体のように見えているけれど、生まれた瞬間から運命が決められているという点では、宇宙という一個体の一部と見ても相違ない。誰かの死に触れたところで、そんなものは『知っている』ことなのさ」


 星々が死をいたみながらも容易に受け入れられる理由がわかった。あらかじめ起こることを知っていれば、哀しみは起こるけれど痛みは少なくて済む。その瞬間までに彼ら彼女とのつながりを深めることもできる。予定調和に狂わされる運命などない。

 アルテミスがこちらを振り返り、後ろ向きに歩く。


「人間だってそうだろう? 他人がいなければ、自分の死は『死』にならない。ただの現象。状態の変化というやつさ」

「だから、第三者?」

「そう」


 アルテミスが満足げにうなずく。銀髪の揺れるあどけない表情を見ると、彼女に悪意がないことを理解できる。あるいは、これも僕の善意が反射しているだけなのかもしれない。相手から受ける印象は僕の感情に大きく左右されるのだろう。


「星の死に触れるという目的を果たせる存在がいるのなら、この世界はその存在に多くの死を見せるだろう、ってことさ」

「だから……」


 僕の言葉を引き継ぐ形でアルテミスが言う。


「キミの周りの星々ばかりが死んでゆく。逆に、この世界でキミに死が訪れることはまずあり得ない。キミの死はこの世界がとるべき手段ではないからさ」

「……それがわかるのは、君が僕をここに招き入れたから?」


 アルテミスが前を向いた。その背中は彼女へと踏み込むことを躊躇ためらわせた。

 それでも、僕はきたい。あの日からずっと、あの声が気にかかっていた。


「死を望んだ時、僕は光に包まれ、声を聴いた。内容は、もうあんまりおぼえていないけれど……あれは、君の声だろう?」

「果たしてそれは重要なことなのかい?」


 アルテミスが言う。声音が低くなったようにも冷たくなったようにも受け取れた。


「『誰が?』ではなく『何故?』のほうが重要だろう?」

「『何故?』のほうが重要なだけで、『誰が?』が無意味なわけじゃない。僕はその誰かが何故僕をこの世界に招き入れたのか、その理由を知りたいんだよ」

「キミは相手の考え方次第で自分の考え方を変えるのかい? 違うだろう? キミは単なる好奇心ではなく、自らのかてにするために質問しているように聞こえる。ならば、その問いは無意味と言わざるを得ない。他者の考え方が混ざった時点でそれはキミの考え方ではなくなる。せめて価値観は自分で決めるべきだよ」

「その通りだよ。だからこそ、僕は言っているんだ。僕を導いた者は目的へ向かう道の途中で僕を見つけた。彼あるいは彼女の道と僕の道が偶然にも重なったんだ。それなら、僕の旅路と無関係じゃない。無関係じゃないなら知らずにはいられない。無知が後悔を呼ぶと知っているからだよ。いや、違う。それが楽しくないと思うからだ。触れられることのいとおしさを知らずに失いたくないんだよ。これは、僕の価値観じゃない。バルドさんと、レナさんと、グレンさんと……そして、君と創り上げた僕の価値観なんだよ。独りがりな価値観よりも、ずっといいと僕は思う」

「……立派な考え方をするじゃないか」


 アルテミスが参ったように笑う。その声には、先ほどまでの深刻さは感じられない。

 彼女は顔だけを振り返らせる。


「ボクの愛情が届いた結果だね☆」


 余裕めいたその表情も今だけは照れ隠しのように見えた。

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