6-3 春過ぎて

 3


「答えがまだだったね」


 水晶地帯に差し掛かったところでアルテミスが振り返った。何の話かと眉をひそめる僕へと、彼女は平然と言ってのける。


「キミをこの世界へ導いたのはボクだよ」


 僕は唖然あぜんとした。はぐらかされたと思っていたからだ。知りたいという思いは本物であるものの、彼女の飄々ひょうひょうとした性格上、真実を教えられることはないと思っていた。


「それは……僕に死なれたくなかったから?」

「命というものは、自分の命があって初めて『命』だと認識できる。キミがいない世界に命は育たないんだよ」


 どういう意味かと口を開きかけたところで、アルテミスは補足を加える。


「星も同じさ。ボクという存在が消えかけた世界に命は育たない」

「星が滅べば、生命体も滅びる……それは、ごくごく当然の話じゃないの?」

「当然の話さ。だからこそ、忘れてはならないことなんだよ」


 彼女の台詞はまるで命を投げ出そうとした僕への皮肉のようだった。当然のこともできない人間だとさげすまれているようにさえ感じられた。

 いや、違う。彼女は僕に死んではならないと言っているのだ。いや、それも少し違う。彼女は自らの命を大切にしろと言っていているのだ。そうでなければ、他者の命も大切にできないと僕にうったえている。


「……キミは、死のうとしていたの?」


 アルテミスが困ったように笑う。それは肯定の意を示しているように感じられ、僕は思わず問いを重ねた。


「やっぱり……君が、テラなの?」

「まさか」


 アルテミスは僕の言葉を一笑にす。けれど、否定の句が飛んでこないことに僕の手がじっとりと汗ばむ。


「君は……僕を、かばったの?」


 その瞬間、アルテミスの背後に複数の影が並んだ。彼女が振り返ると同時に、その影は数人がかかりで彼女を後ろ手に拘束した。全身に甲冑をまとっており、星々のようなきらめきは感じられない。

 王の騎士だ。となれば、その背後に立つ外套がいとう姿の男性はキウン王に違いないだろう。レナの誕生祭の時とは異なり、外套がいとうの下には上質そうなシャツとスラックスを身に着けている。何者をも仕留めかねない鋭い双眸そうぼうがアルテミスをとらえる。

 キウンが何事か言うよりも先に、騎士たちはアルテミスを拘束状態のまま連行し始めた。追いかけようと前のめりになる僕の眼前へと、王の騎士二人が左右より剣を交差して突きつける。僕はたじろぎ、けれど威勢だけは前を向いた。


「何ですか、いきなりッ……!」

「これは粛清である」

「粛清……?」


 聞き馴染みのない物騒な文句に僕は眉をひそめる。


「ルナは星々の魂が集いし世界。それが規律であり“在り方”である。不良因子が一つでもあれば、ルナは“在り方”を問われ、矛盾の果てに自壊する」

「……よくわからない、です。彼女が……アルテミスが、一体何を犯したって言うんですか。確かにつまらない軽口をよく叩くし、他人ひとの感情を逆撫さかなでするし、いいところなんて数えるほどもないですけれど、それでも――」

「『アルテミス』などという星は存在しない」


 キウンが断言しても尚、騎士に連行されるアルテミスは微塵みじんも反応を示さなかった。まるで想定内とばかりに毅然きぜんとした態度を貫いている。

 それが拘束された理由なのだろう。初めて出会った時、アルテミスは言っていた。


『星の魂以外がルナを訪れることは禁忌だ。知性を持つ人間であれば尚のこと。星に住まう者が星の命を、客観的に命の“在り方”を知ってはならない。その生物の価値観を大いに狂わせるからだ。破壊思想にもつながりかねない。星の命に関わることなんだよ』


『王様に知られればきっと星の記憶から消し去られる』


 それが粛清なのか。このままではアルテミスがこの世界、いや、宇宙から消し去られてしまう。違う。そうじゃない。そもそも粛清を受けるべきはアルテミスではなく、僕だ。


「王様」


 僕は王へ向かって一歩踏み出した。騎士がまるで機械人形のように機敏に反応し、二本の刃が僕の首を挟み込む。手を引かれれば、首が飛ぶ。怖い。足がすくむ。けれど、彼女の消滅はもっと怖い。


「アルテミスは……間違いなく、星です。だって、彼女は――」


 その瞬間、僕の視界にアルテミスの姿が映り込んだ。騎士に身動きを封じられながらも顔だけを振り返らせ、口角を上げた。それはジェスチャーこそないものの、「しー」と僕の発言を封殺するものだった。

 キウンへ真実を伝えるべきであることはわかっている。けれど、それ以上言葉がつむげなくなったのは、その行為が彼女の想いに反すると感じられたからだ。

 彼女は命を投げ出そうとした僕を救った。そして、今もこうして規律を犯し消されそうになった僕をかばってくれている。そもそも彼女が巻き込んだ? かばってくれだなんて頼んでいない? 馬鹿言うな。他人ひとの想いに悪意で返すような真似ができるものか。彼女の想いが本物であることを僕は知っている。でなければ、僕の水先案内人になんてなるはずがない。彼女にとって、僕は愛しい我が子なのだ。無償の愛情を注ぐのが道理なのだ。そして、僕もまたそれを受け入れるのが道理なのだ。

 いろんなことが起きて、僕の情緒は不安定になっていた。彼女に敵意を向けることもあった。反抗期真っ只中だったのだ。けれど、反抗期さえ過ぎてしまえば、僕はまた彼女と良好な関係を築くことができる。彼女の隣にいられる。僕は彼女と敵対することではなく、肩を並べることを望んでいる。理想の彼女で在ってほしいと願うのも、その想いの裏返しなのだ。

 今ここで真実を告げれば、消されるのは僕だ。それをアルテミスが後悔しないはずがない。けれど、それは僕も同じだ。彼女が消されれば、僕が後悔する。どの選択をとっても、双方が幸せにならない。

 ならば、僕が選ぶべき道は一つだ。


「何かね?」


 キウンが続きを催促さいそくする。僕は引き下がり、こうべを垂れた。


「……申し訳ありません。理由は……ありません。僕が、そう信じ込んでいただけです」

「そうか。残念であったな」


 キウンに悪意はないのだろう。彼は秩序を保つため規律に準じているだけなのだ。そこに彼の意志はない。彼が星ではないのなら、彼もまたこの世界の機構の一部なのだろう。

 王がアルテミスを連れて王城へと戻ってゆく。彼らの足音が聞こえなくなるまで、僕は頭を上げられなかった。

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