6-4 イエス or ノー

 4


「セレーネさん」


 水晶地帯の街の中、星のようにきらきらと輝く噴水の前に彼女はいた。緩慢とした動作でこちらを振り返り、おっとりとした口調で「あら」と言う。


「おはよう。今日もいいお昼寝日和ねえ」

「いきなりですみません。お願いがあります」


 セレーネは穏やかに細められた目を開き、全てを見透かすような眼差しを向けてきた。


「残念だけど、アルテミスへの道は開けないの」

「……ッ……どうして、ですか……?」


 思考が読まれていたことなどどうでもよかった。道すがら、星々の間でアルテミスが王に連行されたとうわさされているのを耳にした。当然セレーネも知っていることだろう。

 セレーネは噴水の中へと足を踏み入れた。長いまつげを伏せ、静かに言う。


「祈りが足りないの。ワタシは地球の衛星だから、彼女の傍でなければ力を発揮できない。それを補うだけの祈りが、足りていない」


 やはりセレーネは彼女の正体に気付いていた。いや、はじめから知っていたのだ。僕たちが出会うずっと前から。僕の正体など当に知れているだろう。

 星に願いを。月に祈りを。彼女の力を引き出すだけの祈り――想いが、僕に足りていないというのか。憤慨ふんがいする気持ちを抑え、僕は食い下がる。


「……どうすれば、道を開けますか? 正面突破なんてできません。だから……」

「本気で彼女を助けたいと思っているの?」

「祈りが、足りていませんか?」

「うーん、一人で抱え込んじゃうのは悪い癖よねえ」

「だから、今こうして……」

「一人で考えるから、抜け道をつくって助けにいこうっていう発想になるんじゃない? そして、いつまでもその案にしがみつく。みんなで考えれば、もっといい方法が見つかるかもしれないのに、勿体もったいないわあ」


 セレーネはふわあと大きな欠伸あくびをした。アルテミスが弱っているから彼女も元気がないのだろうか。いや、元々こうだったかもしれない。


「……教えてください。どうすれば、アルテミスを助けられますか?」

「それが目的なの?」

「はい」

「うーん、ちょっと違うかも」

「違う?」


 わけがわからず思案する僕へと、セレーネは事も無げに言う。


「彼女を助けた先に何があるか、考えたほうがいいんじゃない?」


 5


「あ、お兄ちゃんだ」


 水晶地帯にある寺子屋てらこやを訪れると、ヴェルに出迎えられた。背丈が小さく、他の小惑星と比べても頭半分くらい低い。

 以前のように罵声を浴びせられている様子はなく、ヴェルは眩しい笑顔を僕に向けている。教室と思しき室内は活気に溢れており、以前ヴェルを取り囲んでいた星々の姿はなかった。王により粛清されたという情報が真実であったと改めて思い知る。


「どうしたの? 出直し?」

「違います」


 無邪気な分、心がえぐられる。確かに小学生よりも精神的に成熟していないかもしれないけれど。そもそも小惑星だからと言って、僕よりも生きてきた時間が短いわけではないけれど。

 その場にしゃがみ、僕はヴェルと目線を合わせる。


「ヴェルさんは、アルテミスのこと好きですか?」

「うん、お姉ちゃん好き。お兄ちゃんは、嫌い?」

「……いえ、好きですよ。恩義を感じている、と言ったほうがいいかもしれません」

「へえ、よくわかんなーい!」


 ヴェルが白い歯を見せて笑う。きっとアルテミスに同じ反応をされていたら殴っていたかもしれない。純朴さというものは悪意を微塵も感じさせないものなのだとつくづく思う。


「お姉ちゃんと何かやりたいことはありますか?」

「よくわかんなーい!」


 これはわざとだろうか。


「お姉ちゃんとなら、何やっても楽しいよ」

「……そう、ですね」


 アルテミスを助けた先に何があるのか。その目的がはっきりとしないから、僕の祈りはセレーネに届かないのだろう。あるいは、彼女を助けたいと思っているにもかかわらず、周囲を巻き込まずに穏便にやろうとしている姿勢に本気さが見受けられないのかもしれない。それはきっと、彼女に対する想いが僕の中で定まっていない証拠なのだろう。

 ヴェルはアルテミスと共にいるだけで楽しいと言った。ならば僕は? 僕は彼女と一緒にいて楽しいと思うだろうか。否、半分くらいイラッとしている。それでも彼女が大事だと思っている。母のようなものだから? 違う。彼女が僕をかばってくれたから? もっと違う。


「危ない顔をしていますよ」


 考え込んでしまったせいだろう。難しい顔をしてヴェルをにらんでいたようだ。ハッとして振り返ると、僕たちを見下ろす形で筋肉質な身体つきをした短髪の男性が立っていた。

 トーチャーだ。ヴェルが不思議そうに見上げていると、無表情のまま口許を指先で持ち上げ、無理矢理笑顔をつくった。どうやら無感情を自覚しているようだ。ヴェルがその行為の意味を理解できず、小首をかしげているのが痛ましい。


「トーチャーさんこそ、危ない顔をしています」

「笑顔は危険でしょうか?」

「ものによります」


 少なくともトーチャーの作り物の笑顔は不気味でしかない。


「そうですか」


 トーチャーは手を下ろし、笑顔をやめた。かと思いきや、僕の口許くちもとを指先で無理矢理持ち上げ、笑顔を強要してきた。滅茶苦茶痛い。


「危険を感じませんが」

「トーチャーさんが特別ということです」

「照れますね」


 然して照れた様子もなくトーチャーが言う。いい加減顔面を解放してほしいのだけれど。


「にらめっこ?」


 僕たちの様子を見てヴェルが言う。少女を一瞥いちべつし、トーチャーは僕に顔を近付けた。滅茶苦茶近い。彼の肌ツヤまで見える。すごく綺麗だ。うらやましい……じゃなくって!

 僕が手をつかむと、トーチャーは危険を察知したのか咄嗟とっさに僕を背負い投げの要領で投げ飛ばした。壁に叩きつけられ、ずるずると頭から床へ落ちてゆく。逆様の視界でヴェルが「おお!」と拍手している。見世物みせものじゃないんだな、これが。理不尽な暴力でしかない。


「こんなことをしている場合ですか?」


 誰のせいでッ!

 僕は身体を跳ね上がらせ、トーチャーを睨みつける。目を細めたトーチャーは少しだけ楽しそうに見えた。グレンとの一件があってからも僕とトーチャーの距離感は変わらなかったけれど、話す機会はかなり減った。実際、今も久しぶりに喋ったように思う。

 彼が話しかけてきた理由は僕にも察せた。アルテミスが連行されたと耳にしたのだろう。今の言葉からもそれは確かだ。


「……助けに行きたいです。でも、方法がわからないんです。正面突破は無理だから抜け道でも、と思ったんですけれど、祈りが足りていないせいで抜け道すらも用意できなくて……手詰まりなんです」

「ジブンなら、正面突破できますよ」


 トーチャーが事も無げに言う。彼の筋骨隆々とした身体つきを見れば、確かに可能だろうとは思うけれど、しかしそれでも躊躇ためらうものはある。


「けれど……タダじゃ済まないですよね?」

「ジブンなら平気です。身の危険を感じれば即時撤退します」

「王城に乗り込んだら、それこそ粛清とか受けるんじゃないんですか? その場は逃げ切れても、いずれ捕まったら……」

「ジブンは捕まりません」


 何だかとてつもない阿呆あほうと喋っているような心地になる。彼の表情は真剣そのものだ。それが余計に辛い。誰かこの星に阿呆あほうだと言ってほしい。


「アホか、オマエ」


 よく言った!

 などと心中にて快哉かいさいを叫んでいると、背後から何者かにぶつかられた。多少よろけながらも振り返ると、そこにはグレンが立っていた。ラウンド型の眼鏡を掛け、口髭を苦々しく歪ませている。

 グレンの登場にトーチャーはわずかに目を伏せたもの、すぐさま平常心を取り戻した。


「事実を述べたまでです」

「あのなァ、オマエは逃げ切れるだろうがコイツは無理だろう」


 グレンが背後から僕に身体をぶつけてくる。両腕がないからといって、代わりに体当たりしてくるのはどうかと思う。軽いタックルじゃん。わりと痛いよ。

 トーチャーは心底不思議といった様子で言う。


「身の安全を気にしているんですか?」

「当たり前だろ」

「だったら何故、そう言わなかったんですか?」


 トーチャーから視線を向けられ、僕は胸に鋭利な刃物を突き立てられたような心地になった。


「身をていしてでも彼女を助けたいわけではないんですか? 彼女の隣に立っていたいということなんでしょうか?」

「どうなんだ?」


 フォローに入ってくれるかと思っていたけれど、グレンは体当たりで僕に答えを催促した。

 セレーネが首を傾げていた理由がわかった。僕はアルテミスを助けたいと思っていながらも、自らの身の安全を無意識のうちに優先していた。だからこそ、正面突破を無理だと一蹴したのだ。

 僕の願いはアルテミスを助けること。同時に、自分の身も安全であることなのだ。何故その二つの願いを叶えたいのか。目的はそこにある。


「……僕は」

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