7-9 個

 11


「この服も着納めかなー」


 白のドレスをまとったアルテミスがくるくると回る。緑広がる地面より生まれ出る乳白色の光。それらに指先で触れつつ舞うように動き回るアルテミスはさながら踊り子のようだ。


「似合ってるよ」


 不意に口をついて出た言葉は僕らしくなかった。ハッとして口許くちもとを手で覆うけれど手遅れのようで、アルテミスは立ち止まってニヤリとした。


「惚れるなよ~☆」


 惚れてしまうのが必定の可憐かれんさだった。目をらした先では、キウンもまた彼女に見惚みほれていた。再び舞を披露する踊り子を前にして、口許をほころばせている。


「気に入ってもらえて何よりだ」


 失念していたけれど、彼女のドレスも僕のタキシードもキウンの『規律コード』により変化した姿だ。即ち――


「キウン王の趣味ですか?」

しかり」


 さいですか。


「……ということは、トーチャーさんの和装もキウン王の趣味ですか」

しかり」

「えこ贔屓ひいきでは?」

「似合う者に似合うし物を与える。それが王の責務だ」


 違うと思う。けれど、キウンがあまりにも満足そうにうなずいているため、否定するのも野暮だと感じられた。


「だが、最早我の『規律コード』は失われた。彼女の言うように、これで着納めだろう」


 規律コードとは王城、即ち王の管理下に身を置く者が従うべき秩序だ。皆を平等に扱いたいという願いがドレスコードに込められているのだとすれば、ローブ姿にもまた皆と平等に扱われたいという願いが込められているのだろう。アルテミスのドレスも僕のタキシードも、平生のローブも全て地球上では礼服に変わりない。キウンは僕に星であると断定された影響で規律コードを失い、ドレスコードの付与も剥奪はくだつもできなくなったのだろう。

 王城を見遣る。今では『規律コード』が失われ、ただの水晶と化している。けれど、その美しさは遠目でも健在で、僕は思わずつぶやいた。


「綺麗ですね……」


 僕の視線に気付き、キウンも自らの王城へと眼差しを向ける。彫りの深いその横顔にはどこか照れのようなものが見受けられた。

 当然だ。キウンにとって王城とは自らの象徴、即ち心そのものでもあるのだ。心に土足で踏み入ることは許されない。せめて自らの規律コードに従い振る舞ってもらえれば、自分もまた相応の態度で接することができるという考えなのかもしれない。

 つまるところ、僕は今、キウンの心に対し綺麗だと言ったようなものなのだ。そりゃ照れる。僕だって正面からそんなことを言われれば赤面してしまうだろう。

 けれど、平静を装うキウンがとても可笑おかしくて、僕はついからかいたくなった。「キウン王」と呼びかけ、再度口にする。


「とても、綺麗ですよ」


 キウンは口を真一文字に引き結んだ。腕を組み虚空こくうへと目を向けながらも、アルテミスのステップに合わせて指先でリズムをとる姿からは、不機嫌さを感じられない。むしろ、上機嫌といったところだろう。耳が真っ赤だ。どうやらキウンは褒められることに慣れていないようだ。


「……今度は、客人として招きたい」


 不意にキウンが口にすると、アルテミスは踊りをやめ、僕の右隣に並んだ。彼女の左手が右手に触れ、僕たちは自然と手をつなぎ合った。そして、指先まで絡め合う。


「最低限のドレスコードは守ります」


 僕は微笑んでみせる。キウンもまた微笑み、眼前でうやうやしく立膝をついた。


此度こたびの騒動、誠に申し訳ないと思っている。すまなかった」

「それが最後の言葉ですか?」

いな


 キウンはおもてを上げた。


「貴殿が祝福を授けてくれたこと、誠に感謝している。有難ありがとう」

「それでおしまいですか?」


 キウンは一瞬戸惑いつつも、すぐさま不敵に笑みを浮かべた。


「――またいつか」


 それはのろいだ。僕が彼に恨みという名ののろいをかけたように、彼もまた僕に再会という名ののろいをかけた。まるで鏡。いや、違う。僕が彼にかけたのは呪いではなく魔法だ。


「『いつか』ではないはずですよ」


 魔法には魔法が返ってくる。それが『奇跡』という陳腐な文句に換言できるなら、僕はいくらでも『奇跡』を起こそう。


「『いつでも』呼んでください」

「――御意ぎょい


 キウンは世界に溶け込むように、足元より光に包まれ消えていった。


 12


 残された僕とアルテミスは互いに目を合わせ、何処どこへともなく歩き始めた。目的地はない。ただの散歩だ。


「穏やかな時間だ」


 この世界に来てからいろいろあった。思い出すだけで時間がかかる。だから、思い出さないことにする。きっとふとした瞬間に思い出すだろう。今はまだ、その時ではない。


「ボクはキミに嘘をいた」


 アルテミスがそう切り出した。天の川の如きせせらぎに素足をつけた時のことだ。


「元の世界へ戻る方法のこと?」

「気付いていたのか」


 アルテミスは驚いた様子で目を見開く。彼女のそんな顔を見るのは新鮮だ。僕は笑い、すそを巻くってくるぶしまで水に浸かる。彼女の白いあしが水面に反射し、いびつながらも魅力的な曲線美を描き出す。


「君が僕を導いたということがわかっていたからね。だから、今まで冷静でいられたんだ」


 そうでなければ、とっくに発狂している。こんな非現実的で不可思議な世界、夢にしては複雑過ぎるのだ。

 アルテミスは僕へ向けて足を跳ね上げた。ばしゃり、と満天の星が僕の足元へと襲い掛かる。


「魂は死の間際に分離する。走馬灯というのは、魂が別の位相にずれた瞬間に体験する、記憶の継承なのさ。三途さんずの川、というのも同じだね。あれは別の位相への境界線だ」

「すると君は、魂が身体を離れた瞬間を見計らって、僕を無理矢理ここへ引っ張ってきたということ?」

「ビンゴ~☆」


 ビンゴ~、じゃないよ。死神じゃないか。

 思わず睨みつけていると、アルテミスはニヤニヤとした。


「そんなに見つめて、さ・て・は――」

「惚れてない」


 先手を打ってみた。


「プロポーズかい?」


 何で?

 アルテミスがけらけらと笑う。


「ボクは星の国の水先案内人。言っただろう?」

「『星の国の』ではないけれど」

「ちょっと話を盛るくらい大目に見てくれよ。可憐な乙女の特権ダロ?」


 ちょっと、かな?


「この世界は役目を終え、新たな世界――個の命となった」


 アルテミスが天を仰ぐ。星々がきらめく広大な別宇宙。彼女はそこにはいないキウンを眺めているように見えた。


「他の星々が自らの旅路へと戻ったように、いずれボクたちも追い出される。その瞬間に元の場所へと戻れば、キミは現実にかえることができる」

「そんなことができるの?」

「キミが逃げなきゃね」


 真っ直ぐに見つめられ、僕は、しかし困惑しなかった。彼女の双眸そうぼうを見つめ返す。


「僕は生きるよ。だから、君にも生きてほしい」

「ああ」

一蓮托生いちれんたくしょう。僕は君と共に在ることを――誓います」

「はは、プロポーズかい?」

「そうだよ」


 僕は言う。アルテミス――母星テラへ向かって、伝える。


「これからも、末永くよろしくお願いします」


 彼女は眼前で円を描くように身体を回転させた。足元でばしゃりばしゃりと音を立て、緩やかに一回転すると、両手を後ろに回し、目を線にして言った。


「こちらこそ、よろしくお願いします。キミたちに永遠の愛を――誓います」



 第7章 了

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