7-8 明けの明星

 10


 僕は立ち上がり、周囲を見渡した。次々と星々が光となり、天へ昇っている。別れを惜しむ者はいない。また会えると信じているからではない。会えないことが常だと悟っているからだろう。ルナが無ければ、彼らは自身で育んだ命以外と出会うことなどなかっただろう。あるいは、生まれた時より命が定められている以上、真の意味での出会いは皆無なのかもしれない。

 一期一会。そのとおりだと思う。だからこそ、誠心誠意をもって別れを、新たな門出を祝福したい。彼らとの出会いに、そして彼ら自身へと感謝を。僕はそんな我がままを突き通したい。

 人込みならぬ星込みの中で、僕はあの星を探す。先ほどまで騒ぎの中心にいた星だ。彼は何処どこにいるのだろうか。彼の性格では、ろくな挨拶も交わさずに立ち去ってしまってもおかしくない。

 それは、嫌だ。絶対に後悔する。この先一生出会えないかもしれないけれど、だったら尚のこと別れを惜しみたい。その感情はこの先出会うどの感情でも代替が利かないからだ。彼と共有するその一瞬が僕にとっての永遠になる。


「グレンさんッ!」


 周囲の目など気にせず僕は叫んだ。すると、頭一つ分抜けた背中が目に入った。僕の声が届いたのだろう、彼は手をひらひらと振り、背中越しに別れを告げている。

 そんなもので満足できるわけがない。僕は周囲の星々をかき分け、「ごめんなさい」「通してください」を繰り返して、ようやくグレンのもとへと辿り着いた。


「グレン、さんッ……!」


 息も絶え絶えに呼びかける。グレンは立ち止まったけれど、尚も僕に背を向けている。その足元は既に光に包まれていた。僕の声に焦りが混じる。


「あの、グレンさん、僕はッ――!」

「楽しかったよ」


 グレンは振り返らず、そう告げた。いなくなってしまう。焦燥感から僕は駆け寄り彼の腕を掴む――けれど、僕の手は空を掴んだ。愚かにも僕は彼に両腕がないことを失念していた。腕が通っていないそでが風に踊る。まるで無様な僕をからかっているかのようだ。

 僕は奥歯を強く噛み締める。


「……最後に、顔も見せてくれないんですか?」

「んー? また会えるだろう? オマエがオレを助けてくれるんだから」


 トーチャーからグレンを守る。それが僕の選び取った道だ。けれど、それがいつになるかわからない。僕が存命かどうかも怪しいところだ。僕という存在が彼を生かしたとしても、そこに僕の実体があるわけではない。魂が出会えるかどうかも怪しいのなら、こうして直接話す機会を逃すことはできない。

 僕が手を伸ばすと、グレンはひょいっとかわして遠ざかったいった。つくづく意地悪な星だ。思えば、僕に融通を利かせてくれたことなんて、数えるほどしかなかった。基本的に自分の願いに忠実な星なのだ。それは、しかしとても良いことなのだと思う。嫌な思いを抱く者がいなければ、それは悪になり得ない。

 けれど、今は状況が違う。今の僕にとって、眼前の彼は――悪だ。


「……待っていてください。必ずグレンさんのもとへ行きますから」


 僕は声を大にする。


「覚悟してください。『嫌だ』と言っても助けますから。グレンさんが僕の嫌がることをするのなら、僕もグレンさんの嫌がることをしますから。だから……絶対に、絶対に、勝手に決めつけないでください」


 命を有していることが善であると、命を育まない自身が無価値であると、救いなどないと、決して決めつけてもらいたくない。それは誰にも決められない。そもそも決めるものでもない。命に価値なんてない。あるのは生に固執する意思だけだ。

 僕はグレンへと背を向ける。捨て台詞のようなその言葉が復讐なのか、祝福なのか、僕には判断がつかない。グレンにもわからないかもしれない。ならば、誰にならそれがわかるか。簡単な話だ。第三者なら容易にわかる。


「強情ですね」


 背後からトーチャーの声が聞こえた。僕に話しかけているわけではない様子だ。けれど、その声は僕にも聞こえるように調整されているように思えた。


「人間なら、別れの時くらい感情的になるものでしょう」


 感情的になるかどうかは人次第だ。別れの時でも表情一つ崩さない者もいる。それでも、別れの時には感情的になっても『仕方がない』とゆるされる。いや、違う。『ゆるす』のではなく、その感情が『わかる』のだ。誰しも自分の理解が及ぶ領域には敏感なのだ。その逆もしかり。だからこそ、『無知は罪』と言われることが多いのだろう。共通認識が暗黙の了解をつくりだすというわけだ。


「寂しさを紛らわせるためではありません。一時のぬくもりを感じるためでもありません。はなむけは新たな門出を祝うためにあるんですよ」


 シィマとの別れが思い返される。僕は彼と握手を交わし、彼に祝福を授けた。彼のこれからのために、そして僕のこれからのために。祝福もまた、鏡のように反射するのだ。

 トーチャーの柔和な声が耳朶じだに響く。


「もう、嫌いではないでしょう?」


 刹那、迫り来る足音と共に僕は何者かより背中から抱き締められた。一回りも大きい体躯たいく。がっしりとした身体つき。さわやかな柑橘系かんきつけいのような匂いが漂ってくる。今頃になって彼の知らない一部分を知ることになり、僕は苦笑する。


「……痛いです」

「んー? ああそう。わかった」


 理解しているけれど離れたくないそうだ。わざわざ水晶で腕を構築しているほどだ。生半可な気持ちではないのだろう。

 それは僕も同じだ。痛いけれど、離れてもらいたくない。グレンから抱き締められたまま、僕は口にする。


「……ありがとうございます。グレンさんのおかげで、僕は目的を見つけることができました」

「んなもん、オレがいなくても見つかっただろう」

「そうですね。けれど……グレンさんがきっかけで良かった、と思っています」

「んー? どうして?」

「グレンさんのことが、好きだから」


 身体が火照ほてってゆくのを感じる。きっとグレンから伝わる熱のせいだろう。爆発しないか懸念されるほど熱い。


「ああでも、最初は怖くて苦手でした」

「……オレは、はじめからかれていたよ」


 思いがけない言葉に僕は赤面した。この熱が背後の彼に伝わっていないことを祈る。


「嘘ですよ。つるむ気がないとか言ってたじゃないですか」


 レナの誕生祭。初めて彼と出会った時、僕はろくに会話もできなかった。相手の人となりを知った上で無難な言葉を選びたいという無意識の願望があったからだろう。


「それこそ嘘だよ。気付けよ、鈍感」

「無茶苦茶ですよ」


 鈍感なのはお互い様だし。


「オマエなら応えてくれるだろう?」


 グレンが自信満々に言う。否定する材料もないので、僕は代わりに疑問をていする。


「……かれていたのは、僕が人間だからですか?」

「んー? ああ、まあ……それに気付くよりも前から、だな。直感ってやつ?」

「人はそれを『運命』と呼ぶんですよ」

「『運命』、か……抗えなかったなァ」

「抗うだけが『運命』ではないはずですよ。グレンさんもそう言ってたじゃないですか」

「んー? そう?」

「だったような」


 僕たちは笑い合う。次にいつ会えるかなんてわからないけれど、いや、だからこそ笑い合うのだ。それが縁となって、僕たちをつなぎ合わせてくれる。

 これは約束だ。もう一度、道が重なった時に出会えるように、今度は最初から良い印象で始まるためのおまじない――魔法。

 熱が離れてゆく。振り返ると、グレンの背中は既に遠く、代わりに彼の隣でトーチャーがうやうやしくこうべを垂れていた。二人とも既に胴の半ばまで光に包まれている。走れば届く距離にいる。けれど、僕はその場で彼らを見送った。


「僕も……楽しかったです」


 またいつか、なんて口が裂けても言えない。思うのは自由だけれど、言葉に出した途端、それは魔法ではなくのろいになる。僕はグレンに祝福を与えたいのだ。だから――


「面白い話があったら教えてください」

「おう。期待しとけ」


 グレンが天高く手を掲げ、ひらひらと振る。旗印はたじるしのように高く、明星みょうじょうのように眩しい星は、愛しい弟星と共に自らの旅路へと戻っていった。

 残された星は僅か。あるじであるキウンと――アルテミス。

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