7-7 わかり合えることはなくても

 8


 光の柱が天へ昇ってゆく中、僕たちの身体もまた光に包まれ始めた。ルナが役目を終えたのだろう。キウンは自らの意思を確立し、星であることを自覚した。天より授けられた『ルナ』ではなく、『キウン』という名の自我を選んだのだ。

 ルナは消滅しない。ただ、一時のお茶会がお開きとなっただけだ。ホストであるキウンに招かれれば、今度は『規律コード』の外で向かい合うことができるだろう。

 光に包まれていると、レナの旅立ちが思い返された。すると、視界の端に見覚えのある星の姿が入った。超新星爆発ちょうしんせいばくはつを起こしたレナを捕らえ、残りの命を捧げさせようとした集団のリーダー格――シィマだ。彼もまたこの暴動の一助を担っていたのだろう。手のひらから旅立ってゆく光の球を仰ぎ見て、穏やかな表情を浮かべている。

 これも縁なのだろう。僕が歩み寄ると、彼もそれに気付いて逡巡しゅんじゅんしつつもこちらへと歩み寄ってきた。ばつが悪そうに目を逸らし、頭をいている。後ろ暗さに突き動かされ距離をめたものの、いざ対面するとどうすれば良いのかわからない様子だ。壮年の男性を思わせる風貌が、今だけはしかられた少年のように映る。


「僕に謝ることなんてないですよ」


 シィマが目をいて驚く。思考を読まれたとでも思ったのだろう。けれど、僕にそんな能力はない。僕はただ、彼が言いそうなことを推測して口に出しただけだ。

 アルテミスやグレンも同じことをしていたのだろう。相手の思考を読むのではなく、相手の性格と前後の文脈を解析して思考を組み立てる。経験とかんではなく、信頼と実績による判断が為せる技なのだ。

 シィマは、しかし尚も申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「……ワタシはつくづく短絡的だ。彼女は生き永らえるため運命にあらがっただけだというのに、ワタシは宇宙崩壊の恐怖に吞み込まれ、集団という安全圏から彼女を攻撃していた。レナゴールドの一件にしてもそうだ。ワタシは――」

「自分たちが生き延びるために彼女を犠牲にしようとした……でしょう?」


 シィマは肩を落とし、足元を凝視する。青々とした芝が今だけは乳白色に包まれている。星々の身体だけでなく、地面――ルナの大地からも光が溢れ出している。これはルナ――天から僕たちへ向けた祝福なのだろう。あるいははなむけか。


「シィマさんは僕たちと同じことをしているだけです。生き永らえるために、宇宙の滅びをもいとわない覚悟で、僕たちは選んできました。その矛先が個に向けられているか、多に向けられているか、それだけの違いです」

「だが……個による抵抗はじ伏せられる」


 知っている。彼らがレナにしたことは到底忘れられるものではない。僕個人の感情としてもゆるせるものではない。けれど、僕が彼らをゆるさなかったところで、世界は何も変わらない。彼らにきばを向ければ、眼前の集団と何も変わらない。正義という名の安全圏から攻撃しているだけだ。それは、ただの暴力でしかない。

 僕はシィマへと右手を差し出した。怪訝けげんそうにシィマが僕の顔をうかがう。


「たとえじ伏せられても、僕たちには意思があります。こうして一対一で対話すれば、同じ命であることがわかります」


 命に大小も優越もない。僕たちは皆等しく思考の旅人で、一生をかけて真理を追い求める同志でもある。


「シィマさんの苦悩も、後悔も、僕にはわかります。同時に、レナさんがシィマさんたちへ向けていた感情も理解できます」


 彼女はシィマたちの幸せを祈っていた。生まれた時からその責務を負い、不満など口にせず、彼らの幸福こそ自らの幸福と信じて疑わなかった。いや、違う。信じるまでもなく、彼女にとって彼らの幸せこそ自身の幸せだったのだ。ゆえに、彼らに残りの命を捧げても構わないと考えていた。生きたいと願う心と同様に、彼らに命を捧げたいと願う心もまた、彼女は持ち合わせていたのだ。


「だからこそ、僕はシィマさんに祝福を授けたいと思います」


 たとえ傲慢だと思われようとも、僕はレナの分まで彼らの門出を祝いたい。彼らの旅はまだまだ始まったばかりなのだ。いや、まだ始まってすらいないのかもしれない。ならば、なおのこと彼らが後ろを気にしないで生きられるように背を押したい。彼女はきっと憎しみで動こうとはしないだろうから、僕もそれにならいたい。

 他者に憎しみを向けてしまえば、鏡のように反射してしまう。自分の命が他者への憎しみで濁ってしまうのは、それこそゆるせない。憎しみよりも喜びで、僕は旅をいろどりたい

 恐る恐るといった様子で握手に応じるシィマを見つめ、僕は周囲を漂う光よりも眩しい笑顔を見せる。


「行ってらっしゃい。良い旅路を――」


 それは偶然にもバルドにかけられた最期の言葉と重なった。

 シィマは膝から崩れ落ち、僕の右手を両手で包み込んだ。祈りを捧げるように両手に額を当て、懸命に嗚咽おえつを呑み込む。


「ありがとうッ……キミの祝福、誠に感謝するッ……!」


 シィマが足元から徐々に光へと包まれてゆく。彼は彼の旅路に戻る。これで最後かもしれないし、再会するかもしれない。どちらでもいい、と言うと冷たいように思うかもしれない。けれど、彼と再会して僕が嫌な気分になることは決してない。彼の感謝に嘘偽りがないことくらい、解析するまでもなくわかる。魂まで偽れる存在などあり得ないのだ。

 僕たちの周りを乳白色の光が螺旋状らせんじょうに回る。まるでレナからの祝福のようだ。


「……キミにも幸があらんことを。良き友になれたこと、心より誇りに思う」


 面を上げ、シィマが微笑む。父親のような表情に僕も自然と表情がほころぶ。心も、身体も、暖かい。

 そして、シィマは――光に溶けて天へ昇っていった。


 9


 星々との別れ。それはバルドやレナとの別れを彷彿ほうふつとさせた。けれど、彼らの場合とは抱く感情に決定的な違いがある。

 僕たちはまだ生きている。それが寂しさを暖かい色で染めてくれる。一時の別れ。再会へ向けた区切り。いや、レナの時もそれは変わらない。僕たちはいつかまた、旅の途中でふとした瞬間に出会うのだ。そして、軽い挨拶だけ残して去ってゆく。停滞ではなく前進。そのための別れなのだ。

 周囲の星々が徐々に消えてゆく。暗い顔をしている者は一人としていなかった。皆、光の先を仰ぎ見て、自らの旅へと戻っている。


「お兄ちゃん」


 ぴょこぴょことした足取りでヴェルが歩み寄ってきた。シィマとのやり取りを一部始終見られていたのだろうか。僕は気恥ずかしさを堪え切れず、耳を赤くする。アルテミスが傍にいれば、『語っちゃって~☆』と揶揄やゆされていたに違いない。


「あらあら、すっかり頼もしくなっちゃって」


 ヴェルの隣でセレーネが頬に手を当てて言う。おっとりとした彼女特有の空気感が心地好く感じられる。


「セレーネさん――」


 礼を口にしようとしたところで、ヴェルとセレーネの身体が光に包み込まれた。僕は戸惑い、すかさず右手を差し出す。けれど、セレーネは首を傾げるばかりで一向に応じようとしなかった。仕様がわかっていないのだろうか。

 ヴェルが手を高く掲げ、僕の手に触れた。僕はその場でしゃがみ、ヴェルと目線を合わせて握手を交わした。


「ヴェルさん、また今度遊びましょう」

「うん! ヴェルがたくさん遊んであげるね♪」


 遊ばれる立場なのか。アルテミスから悪い部分ばかり影響を受けているように見える。呆れながらも微笑ましく感じられ、僕の声は優しくなる。


「楽しみにしています」


 ヴェルは満天の笑顔を見せると足元より光の粒となり、すぐに姿を消失させた。光が天へ昇り、広大な宇宙へとかえってゆく。間髪かんはつ入れずセレーネも光となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る