0-3 銀河にたゆたう迷い星

 6


 不意に目が覚めた。頭がほわほわして夢見心地だ。何事か話していたような気もするけれど記憶にない。

 まぶたを開くと、満天の星に出迎えられた。夜空が黒くないということを初めて知った。まるでいたるところにあまがわが流れているかのように、無数の星々が空一面に散りばめられている。

 僕は目をいて上体を起こした。辺りは短く刈り揃えられた芝が生い茂っており、暑くも寒くもない適温だった。


(ここは……?)


 広い丘陵地帯きゅうりょうちたいだった。天上の星々に照らし出され、青い芝が淡く光を反射している。まるでバンカーのないゴルフ場だ。行ったことはないけれど。砂漠地帯が全て芝になっていると言ったほうが適切だろうか。僕の語彙力ではとても眼前の光景を正確に表現できない。

 周囲の見晴らしは良く、地平線の向こう側に夜空がつながっている。まるで地球儀に直接乗せられているかのようだ。いや、果たしてあれは夜空なのだろうか。それにしては間近に惑星のようなものが見える。これはまるで――


(宇宙……?)


 僕は立ち上がり、足元の感触を確かめた。地球と同じ感触だ。重力がある。ふわふわした感覚もない。眼前に宇宙空間が広がっていなければ、地球上のどこか開けた場所に連れてこられたと考えたことだろう。

 いや、そちらのほうが良かった。急速に思考が明瞭めいりょうになってゆく。現実感が戻り、不安が胸を占める。


(何だよ、この場所……⁉ 僕は、確か用水路で飛び降りようとして……)


 そこから先の記憶がない。僕は当初の目的を果たせたのだろうか。だとすると、ここは天国だろうか。それとも地獄か。


「おっはよ~!」


 能天気な声が背後から聞こえ、僕は肩を跳ね上がらせ振り返った。そこには中性的な外見の少女が立っていた。

 よわいは十五、六くらいだろうか。僕と同い年か少し下のように見受けられる。髪は肩につかない程度のショートカットで、左耳には三日月型のピアスを着けている。肌は透き通るほど白く、髪の毛もまた透き通るような銀色で、瞳は宵闇を思わせる漆黒に塗り潰されている。緩い五分袖のシャツに七分丈のボトムスというダンスレッスン着を思わせる恰好かっこうに身を包みながらも、その上から膝下丈のローブを身にまとっているため、アンバランス感が否めない。人間離れした外見と相まって、不審に思うよりも先に神秘的に感じてしまう。


「ボクはアルテミス! 星の国の水先案内人さ!」

「……不謹慎だね」


 僕は用水路に飛び込んだというのに水先案内人か。


「ジョークじゃないよ! キミを天の川の向こう側にまで連れて行ってあげるよ!」

三途さんずの川の間違いでしょ」

「うっそ~! 全部ジョークなのでしたッ!」


(つら……)


 初対面にしてはあまりにも辛過ぎるテンションだ。僕は顔を引きつらせ、溜め息を漏らす。


「キミはどこから来たんだい?」

「……地球、って言えばいいの?」

「うんうん、だいせいかーい!」

「知ってるなら、何でいたの?」


 その少女、アルテミスは指をピンと立てて、僕の視線を上方へと誘導した。


「ここは星の魂が集まる世界『ルナ』。キミが住んでいた地球とは位相がずれているから、見ることも触れることもできないけれど、確かに存在している世界さ」

「星の魂?」

「星には命が宿っている。キミたち人間と同じさ。宇宙空間を彷徨さまよう星の魂がこの場所へと集まってくるんだよ。いや、逆かな。星の魂が集約してこの世界が生まれたとも言える。全てはやぶの中。真相を決めるのはキミの主観だよ」

「いい加減だね」

「褒めたって何も出ないぞ~☆」


(駄目だ、つれえ……)


 語尾に星マークがついているように聞こえた。きっと勘違いではないのだろう。

 青天井ならぬ黒天井に散りばめられた星々はまるで図鑑にっている星座表のように、季節とは無関係に全ての星座が見えた。無論、憶えているものは少数だけれど。中には一際輝く星があったものの、図鑑に載っていなかったように思えた。無論、記憶が当てになれば、の話だけれど。


「この場所からはどの世界も見渡せる」


 アルテミスが周囲を見渡し、三百六十度回転する。ローブの裾がひるがえり、ふわりと舞う。


「ルナに集まった星の魂、いわゆる『星の精霊』たちは自らの命を傍観する」

「自分の命を?」


 そう、とアルテミスが微笑んでうなずく。


「キミたち人間が鏡を見るようなものさ。それとも、自撮りした映像を見るようなもの、って言ったほうがわかりやすい?」


 情緒じょうちょの欠片もない言い方だ。


「人間ドックに行くようなもの、ってのもありかな」


 一気に俗っぽくなった、とは言わないことにした。面倒なことになりそうだったので。


「じゃあ、人間ドックで検査に引っかかったらどうするの? がん細胞とかそういうの」

「星の王キウンに鉄槌てっついを下されるよ」

鉄槌てっつい?」


 キウンと言えば星の神の名だ。けれど、それは旧約聖書での話であって、宇宙全体でその名が共通だというのははなはだ疑問だ。


「うん。星を砕かれる」

「えッ⁉」

「うっそ~☆」


 すんでのところで手を収めた僕を褒めてほしい。危うく僕が彼女に鉄槌てっついを下すところだった。


「悪いところが見つかっても王様は何もしない。ただ見守るだけさ」


 アルテミスは声音を変えないまま、僕の横を通り過ぎていった。僕はそれについてゆく。


「人間で言うがん細胞や腫瘍しゅようというのは、星で言うと資源を食い漁る生物に他ならない。星の命に寄与しているものもいるけれど、大半が害となる生物だ。星は命を分け与えているに過ぎないんだよ」


 だから、とアルテミスは歩きながら振り返る。


「手術なんてした日には、人間はいの一番に切除されるだろうね」


 屈託のない笑顔で言われると、反論の句も出てこない。アルテミスが小高い丘の上に座ると、僕も彼女に誘導される形でその隣に腰を下ろした。目覚めたところよりも一層、周囲の景色がよく見渡せる。やはりここは地球上とは異なる世界だ。空気が澄んでいて心地好い

 いや、僕を取り巻くこれらの気体は空気と呼べないのかもしれない。だからこそ、寒暖差というものも感じないのだろう。どうせ夢の世界なのだから考える意味もないのだけれど。


「それでも、他の星を蹂躙じゅうりんした星には鉄槌てっついが下される。それは星の総意だ。そこに住まう生物にも責任がある。人間だって殺人を犯したら罰を受けるだろう? 場合によっては細胞も苦しめられる。それと同じことさ」


 アルテミスは両手を芝につき、仰け反る形で空を仰いだ。


「命に触れ、命を知る。それが命を育む星としての責務だ。だからこそ、こうして客観的に傍観するのさ。自分のことは主観ではわからないものだからね」

「そのための人間ドック?」

「ビンゴ!」


 アルテミスは僕の方を向いて白い歯を見せる。


「ここは星の魂が集う場所であり、命を見つめる観覧席であり、命を知る病棟でもある」

「でも、僕は星の精じゃない。人間――」


 僕が言い終える前に、アルテミスは人差し指を僕の唇に押し当てた。不思議とドキドキしなかったのは彼女が中性的な顔立ちをしているからだろうか。


「星の魂以外がルナを訪れることは禁忌だ。知性を持つ人間であれば尚のこと。星に住まう者が星の命を、客観的に命の“在り方”を知ってはならない。その生物の価値観を大いに狂わせるからだ。破壊思想にもつながりかねない。星の命に関わることなんだよ」

「じゃあ何で僕はこの場所に招かれたの?」

「わからない。けれど、王様に知られればきっと星の記憶から消し去られる」

「星の記憶?」

「地球の歴史からキミの痕跡が消されるということだよ。この世界は地球と位相がずれているだけでなく何万光年も離れている。当然、時間の流れ方も違う。この世界からキミを排除するには、全ての位相から消し去らないとならないんだ。そうしなければ宇宙の歴史に矛盾というヒビ割れが入るからね。それは崩壊の因子になり得るとても危険なものなんだ」


 僕は顔が青ざめてゆくのを感じた。確かに僕は死を望んでいた。どうせ誰のためにもならない、足を引っ張るばかりの人生ならば、はじめから無かったほうがマシだとさえ考えた。けれど、僕が今まで過ごした時間も、幸せだと感じた時間さえも無くなってしまうのは、あまりにも、あまりにも――辛い。


(幸せ? 僕が?)


 そんなものを感じたことがあったのか。今際いまわきわだから思い出したのだろうか。


『お前ほんとに本読むの好きだよな』

『うん。お兄ちゃんは読まないの?』

『読まん。てか読めん。活字読むと眠くなる』

『馬鹿じゃん』

『馬鹿言うな。国語が苦手なだけだし。数学は得意だし』

『国語できなきゃ数学だってできないでしょ』

『うるせえ』


 どうしてこの記憶がよみがえったのだろうか。こんな何の変哲もない、むし仲睦なかむつまじいとは言えないエピソードが、どうして。


「ボクはね」


 アルテミスの声にハッとする。我に返ると、彼女は地平線の向こうを見つめていた。


「キミに消えてほしくない。もっと言うと、生物に消えてもらいたくない。そりゃ星の命に比べたらとても短い、在っても無くても変わらないような短い命だけれど、それでも失ってもらいたくない」

「……同情しているから?」

「そうかもしれない。ボクたち星にとって、生物というのは我が子のようなものだ。お腹を痛めて、とは違うけれど、命を分け与えて生まれた尊い輝きなんだ。ボクは、そんな我が子を愛している。他人の子供だろうと、親が子を愛する気持ちを知っている。だから、地球の子であるキミを無に帰したくはない」

「だったらどうするの? 僕を地球に帰してくれる? それとも……」


 殺してくれる、とはさすがにけなかった。アルテミスの哀しむ顔が目に浮かんだからだ。


「残念ながら元の世界に戻る方法をボクは知らない。そもそも、この場所には『離れる』という概念がない。星の魂が自然と集まって、命の終わりと同時に消失する。ゆりかごであり墓場でもあるのさ」

「なら同じことじゃん。無になるか、死ぬまでここにいるか、の違いでしょ?」

「過ごす時間が変わるよ。一日よりも一年、一年よりも十年のほうがいいだろう?」

「何で?」

「だって、そのほうがたくさん楽しめるだろう?」


 アルテミスはそう言って笑った。屈託のない笑顔を見せた。不安や焦りから対極にある表情。僕が失った感情。幸せ。

 僕は取り戻せるのだろうか。彼女のような感情を。幸せを。生を。

 そうすれば、死にたいと思わずに済むのだろうか。


「……正直、僕は死んだって構わない」


 僕はおもむろに立ち上がった。アルテミスが僕の顔を見上げる。


「死のうとして飛び降りたらこの場所にいたんだ。元の世界に戻ったところで天国行きか病院送りは確定だ」


 でも、と僕はアルテミスを見下ろす。目と目が合い、僕は自然と口角を上げた。


「君が嫌がることをえてやろうとは思わない。わざわざ誰かの迷惑になるようなことをしたくない」


 そんな建前を口にすると、アルテミスの表情はぱあっと晴れ渡った。僕が使ったことのない表情筋を使っている。


「まさか、ボクに惚れたな~☆」

「……さてね」

「お返しにキミにあだ名を授けよう」


 嫌な予感がする。


「ウッドデッキマーン!」


 何で?


「略して『テラ』だよ」


 何で?


「キミは地球の精を名乗るといい。幸い、地球の魂はまだ王様に知られていないようだからね」

「偶然鉢合はちあわせしたらどうする?」

「大丈夫だよ! 世界は意外と広いから!」

「意外と狭いから、みたいなノリで言われても」


 不安しかない。けれど、このままこの世界に溶けるのも悪くないと思えた。



 序章 了

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