第1章

1-1 至高の旅路

 0


 星の国の住人は僕たちと同じように人間の姿をとっていました。そう聞くと、僕の夢物語のように感じられるでしょう。致し方ない話です。

 星には我々生物のような性別がありません。魂の“在り方”が外見に直結しているのです。僕にとって、命の形とは人間そのものでした。ですので、僕というフィルターを通してとらえた星の魂が、その“在り方”が人間の個性という形で表出していたのです。

 自らの矮小わいしょうさを自覚している方は僕の瞳には小さく映り、自ら輝ける恒星のように自信に満ち溢れた方は大きく、たくましく、ときに美しく映るのです。魅力的な方も多く、夢見心地ゆめみごこちでなければ恋をしていたかもしれません。

 いいえ、現実味を帯びていたとしても、恐らく僕は恋をしなかったことでしょう。彼ら彼女らが僕に無償の愛を捧げていたように、僕は守られる立場であって守る立場にはありませんでした。身分が違い過ぎたのです。親が子を愛することはあれど、子が親に恋をすることはあり得ないのです。

 今なら、もしかすると恋をするかもしれません。あの世界で初めて僕に問いかけをしてくれた、あの方に。


 1


 丘陵地帯きゅうりょうちたいを抜けると、水晶で出来た道が眼前に広がった。浅葱あさぎ色、濃紺色、コバルトブルー、エメラルドグリーンなど、寒色が入り混じった複雑な光彩を放っており、けれどそれらは目に優しく、温かみを感じられた。足の裏に伝わる硬い感触は地球の岩場と然して変わりがないものの、足元に自身の姿が映し出される光景には不思議な気持ちを抱かされた。

 星の精、アルテミス。星の世界で初めて出会った、まるで少女の如き姿をしている彼女は、僕へ身体を向けながら後ろ向きに先導してくれる。


「この先にはみんなが住んでいるんだ。『住んでいる』と言っても、居住地が広がっているわけではないよ。魂の休息は永遠の眠りを意味するからね。星の記録が記された資料館だったり、失われた星を埋葬する墓地だったり、共通の施設だけこの世界には存在するんだよ」

「キウンってのはどこにいるの?」

「王様なら王城にいるよ」


 ほら、と指を示すアルテミスに釣られて、僕は遥か彼方へと視線を向ける。薄っすらと巨大な建造物が見える。


「王様は滅多なことでは外に出ない。出たとしても護衛がついているから、近くにいるくらいじゃ正体はバレないよ」


 どうやら僕の懸念を感じ取ったらしい。冗談がつまらないくせに、こういうところは察知できるようだ。


「どこに行くつもりなの?」

「ルナの紹介さ。言っただろう? ボクはこの世界の水先案内人だ、って」

「何で『水先』なの?」

「語呂がいいからさ!」


 かなきゃよかった。


 2


 この世界の地理について何となく把握した。ここは星を傍観する丘陵地帯きゅうりょうちたいと、資料館や王城といった共通スペースが広がる水晶地帯に大別されている。墓地は丘陵地帯と水晶地帯の狭間に点在しており、墓石が並べられているわけではなく、足元から槍のように突き出している光の柱が墓標の役割を担っている。ほとんどが見晴らしの良い小高い丘の上にあり、まるで終焉を迎えた自身の星を眺めているかのようだった。

 光柱こうちゅうに触れると頭の中に星の名前と命日に浮かんできた。試しに何個か触れてみたけれど、聞き覚えのない星だった。アルテミス曰く、地球から何億光年も離れた別の銀河系の星らしい。知らないわけだ。

 墓標に触れ過ぎると、人間の脳ではパンクしてしまうらしい。運が悪いと過去の記憶が上書きされてしまうというので、僕は触れることをやめた。

 世界の案内が終わり、墓地から離れようとすると、丘陵地帯の小高い丘の上に人影が見えた。老齢の男性が腰丈の岩に座り、遠くを眺めている。


「気になるのかい?」


 アルテミスに問われ、僕は沈黙する。気になると言えば気になる。眼前の男性から他の星には感じられない雰囲気が感じられたからだ。

 この場所へ来るまでの間にも、僕は星の精を数多く目の当たりにし、何度か会話を交わした。皆、多種多様な衣服に身を包んでいるものの、一様にローブを羽織っており、それがまたこの場所の異色さを浮き彫りにしていた。


『服装もキミのイメージによるものだよ。キミにとって、ボクたちの“在り方”が不明瞭だからこそ、身体を隠すローブを身に着けているように見えるんじゃないかい?』


 アルテミスはそう言った。まるでローブが僕の趣味と言わんばかりの口調で不服だった。僕の中での謎めいた服装のイメージがローブだったということだけれど、それはきっとゲームや漫画の影響によるところが大きいだろう。

 ミステリアスな印象を拭い切れない星の精だけれど、話してみると彼らは地球上の人間と然程さほど変わりがない。けれどやはり、会話の節々で彼らが星であることを実感する。考え方が寛大というか、達観しているのだ。

 僕は他人と関わることに積極的なほうではない。むしろ、人付き合いは苦手だ。僕が空っぽなつまらない人間であることが知られてしまうからだ。そうなれば、同じ空間にいるだけで互いに居心地が悪くなってしまうだろう。

 それでも僕は老齢の男性に不思議とかれていた。まるで引力のように、僕の足が眼前の丘まで引き寄せられる。アルテミスも僕に続いた。


「やあ」


 僕の気配に気付いた様子で、老齢の男性が振り返った。しわの多い顔。口元に蓄えた白髭しろひげ。目尻は下がっており、口許も弛緩しかんしているため、全体的に柔和な印象を受ける。ローブの下には白いシャツにサスペンダー付きのトラウザーズを合わせ、コンバットブーツを履いている。中世ヨーロッパの旅人あるいは騎士といったよそおいだ。目深に被った中折れ帽もそれに拍車をかけている。


「こんばんは。ワタシはバルド。キミの名前を教えてくれないか?」


 バルドと名乗った老齢の男性は帽子のつばをくいっと持ち上げ、優しげな眼差しをこちらへと向けた。僕は男性を見上げる形で応じる。


「僕は……テラ、です。ついさっき、ここへ来ました」

「テラ――地球か。話には聞いたことがあるが、銀河系が異なるゆえ面識はないね」


 バルドはアルテミスへと視線を向けた。


「やあ! ボクはアルテミス! 惚れるなよ~☆」

「フフ、意地悪を言うね。キミの万有引力の前ではワタシの斥力せきりょくも無力さ」


 大人だ。素直に感服した。自己陶酔じことうすいしているふしはあるけれど。

 バルドは僕とアルテミスを交互に見比べ、口許くちもとに微笑をたたえた。


「珍しい客人だね。ワタシに用があるのかな?」

「いえ、特に用は……」


『つまらないのはお前だ』


 不意に兄の台詞が脳裏へとよみがえった。呪いのようにこびりついて離れないその言葉に、僕は奥歯を噛み締める。

 こんな言葉を返せば『つまらない』と言われるのも当然だ。会話が終わる。僕の意志とは無関係に会話が終わってしまう。

 僕は踏み込むことに憶病になっているのだろうか。『つまらない』と思われることにおそれを抱いているのだろうか。考えて『つまらない』と言われるよりも、考えずに『つまらない』と思われたほうが痛みは少ないと、無意識に選んでいるのだろうか。

 だとすれば、それこそつまらない考えだ。僕は下がりつつあるおもてを上げ、「あの」と続ける。


「ここで、何をしていたんですか?」

「星を眺めていたのだよ」


 バルドは身体を左側へと少しずらし、右隣をぽんぽんと手で叩いた。僕は岩の上に乗り、バルドが眺める先を一緒になって眺めた。地平線の向こう側には宇宙空間が広がっており、大小様々な星や隕石が漂っている。月や火星といった見慣れた星はそこにはなく、未知の光景が延々と続いている。


「ワタシたち星の一生はとても長い。生物にとっての一年が一瞬に感じられるほどに。ここから見える眺めも光の速さで変化してゆく。ワタシはそれを眺めることが日課なのだよ」

「みんな、そうしているわけではないんですか?」


 口にしてから失敗したと思った。星の精であれば疑問に抱く事柄ではない。愚問だ。

 けれど、バルドは僕の方を向いて目尻のしわを濃くした。


「星によるかな。ワタシのようにずっと眺める者もいれば、全く眺めない者もいる」

「だけど、それは星の責務に……」

「確かにキミの言うとおり、命に触れ、命を知ることこそが星にとって至上の責務だ。しかし、星もまた生命体だ。刹那の快楽に身を委ねることを否定できようものか。生物が生物としての責務を全うしているかと問われれば、そうではないだろう? 知性ある生物であれば尚のことだ」


 僕が答えにきゅうしていると、バルドは「まだわからないかな」と苦笑した。


「キミは真面目だね」

「真面目……ですか」


 真面目――その性質は僕にとって喜ばしいものではない。『つまらない』という性質に直結しているからだ。真面目は美徳とされていたはずなのに、徹底すると『つまらない』という烙印らくいんを押される。不条理だ。

 僕の感情の機微を感じ取ったのだろう、バルドは僕の背を優しく叩いた。


「褒め言葉だよ。どうやらキミは他者の悪意に触れ過ぎているようだ。どうかワタシの言葉は言葉のとおりに受け止めてほしい」


(そんなこと言われても……)


 僕の考えを見透かしたようにバルドは目を細めて言う。


「賛辞に対する拒絶は悪だよ」


 僕が顔を向けると、バルドは計算どおりとばかりに意地悪な笑みを浮かべた。


「善意に悪意で返すような真似をしてはならない。悪意の循環は環境を害する。善意の循環こそが環境の清浄化に不可欠なのだよ」

「善意の循環……」

「なに、難しいことではないさ。ワタシが『ありがとう』と言ったら『どういたしまして』と胸を張ればいい。ワタシがキミに手を差し出したら『ありがとう』と返せばいい。無論、至高の笑顔でね」


 バルドは目を線にして笑う。祖父がいれば、こんな風に会話を交わせたのだろうか。父方の祖父は幼少期に他界しており、母方の祖父は母親の姉、即ち伯母おばと同居しているため顔を合わせることが少ない。毎年正月に会う際にも挨拶を交わす程度で会話らしい会話を交わすことはない。

 慣れない相手であるはずなのに、しかし僕は不思議と気分が高揚していた。純粋に嬉しかったのかもしれない。相手から真っ直ぐに笑みを向けられていることに胸が弾んでいる。


「……おじいさんは、優しいですね」

「フフ、おじいさんはよしてくれ。これでも百億歳の若造だよ?」


 ツッコミ方がわからない。


「冗談だ。もうじき天寿を全うする老いぼれだ。好きなように呼ぶといい」

「そんな、縁起でもないこと……」

「命あるものは皆等しく終わりを迎える。この世の摂理だよ。とうとうワタシの番が来たというだけのことだ。恐れることは何もない」


 呆然とする僕に向かって、バルドは右手を差し伸べた。


「怖いなら、ワタシの手を握りなさい」


 僕は恐る恐るバルドの手を握った。

 刹那、僕の意識は宇宙の彼方へと吸い込まれていった。

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