7-4 天に愛され、天に与えられ

 4


 僕たちは王城にある展望台の中央に立っていた。まるで世界の終焉のように静謐せいひつな空間が広がっていて、けれど僕たちは確実に息をしていた。僕とアルテミス、そしてキウンだけがこの場所にいる。他の呼吸は聞こえない。

 眼前でキウンが膝をつく。呼吸を荒くし、怨嗟のこもった双眸そうぼうをこちらへ向けている。


「……邪魔をするのか」

「誰のだい?」


 アルテミスが意地悪を言う。答えなど知れているのに。

 キウンは刀を具現化し、それを支えに立ち上がる。けれど、それもすぐに光の粒となって消え失せ、バランスを崩した。

 僕は咄嗟とっさに彼の身体を支えた。不意打ちを受ける可能性は十分に考えられたけれど、今ここで彼に手を差し伸べられるのは僕しかいないと考えると、自らの危険など度外視して飛び出していた。

 彼の身体は軽かった。星なのだから当然かと思ったけれど、グレンの身体はもっと重量感があったように思う。

 アルテミスが背後からキウンをのぞき込むように言う。


「彼は星の総意。中身なんてないよ」

「けれど、重さは……ある」

「キミが与えたんだろう?」


 キウンの顔をのぞき込む。表情を見られたくないのか、彼は僕から顔を背けた。けれど、りの深い顔立ちが裏目に出たようで、一瞬だったものの彼が苦悶の表情を浮かべていることが見て取れた。


「ボクたちは自力で命とは何か――真理へと到達する。キミがいなくても、ボクたちは勝手に続いてゆくよ。ボクたちには良き理解者がいるのだから」


 アルテミスと目が合う。僕はうなずき、キウンの身体を抱えて立ち上がる。はじめは抵抗の意を示していたけれど、その力も残っていないようで、彼はすぐにぐったりとした。


「僕たちは罪を犯しました。けれど、それは罪なのでしょうか。生き永らえる手段を知りながら、運命に従うのが正しいのでしょうか。貴方が運命に固執する理由が僕にはわかりません。だって、貴方は星の総意なんでしょう?」


 アルテミスが両手を高く掲げる。頭上できらめく恒星の一つに照準を定め、両手の指と指を合わせて円をつくった。すると、展望台から城外、更には水晶地帯の外まで続く大きなけ橋が出来上がった。僕はあの恒星の名を知らない。アルテミスの知り合いなのだろうか。

 僕の視線に気付いた様子でアルテミスが微笑む。わかった。これはキウンの縁だ。この世界で紡がれたキウンの縁が彼をかの地へと導いているのだ。そこがきっと彼にとっての安寧あんねいの地になるのだろう。

 僕とアルテミスは肩を並べて橋を渡り始めた。


 5


「我はルナの監視者。星の一生を監視する責務を担っている。ゆえに、星の運命さだめを乱すわけにはいかぬのだ。それが宇宙全体で見た時に星が最も長生きできる道であるからだ」


 僕に抱えられながらキウンは言う。どうやら羞恥心しゅうちしんは収まったようだ。抗えないと諦めたのかもしれない。身体的疲労のせいか、少しばかり身体が熱っぽく感じられる。


「個より多を重んじるということですか?」

「それが総意なのだ。我の思考は星の総意。総意とは圧倒的多によって採決されるものである」

「それは総意ではありません。ただの多数決です。総意とは全ての者の意思。運命に抗う者がいるということを考慮し、思考に組み込めなかった時点で、星の総意としてのシステムは破綻しています。貴方は存在そのものが役割と矛盾しているんです」

「我が矛盾だと?」


 心外といった様子ではなかった。心底意外といった様子だった。怪訝けげんそうに僕の顔をあおぎ、やがて苦笑した。


「なるほど。ゆえに我はキサマらに敗したのか」


 愉快そうにも聞こえる笑い声が天に木霊こだまする。アルテミスは前方で朗らかにスキップしている。もうじき地上に辿り着く。長いようであっという間の散歩だった。

 橋を降りれば、キウンと別れることになる。僕たちも星々に罵声を浴びせられ、ただでは済まないだろう。そうなる前に、平穏な一時ひとときだからこそ彼に伝えたいことがある。


「キウン王、星々に宇宙の運命さだめを伝える必要があったのでしょうか。無用な混乱を招くだけだと僕は思うんです」

「それはルナの存在意義を否定している。運命さだめを知り、それが最善と理解し抗わぬこと、それこそが宇宙の平穏につながるのだ」

「先ほどもお伝えしたように、それは個をないがしろにした選択です。一部の者に平穏を与えることが運命さだめだと言うのなら、平穏を求め抗う者がいることもまた運命さだめと言えませんか?」

「この期に及んで言い逃れか」

「違います」


 彼の発言は的を射ている。けれど、僕は言い訳したいわけではない。彼に考えてもらいたいのだ。どうして自身が星の総意であるのか。どうして矛盾した存在になってしまったのか。自身の“在り方”を問うてほしい。


「ルナの存在意義は星の一生を観測することでも、真理に到達することでもありません。それはきっと……キウン王、貴方の意思を形成することにあると思うんです」

「意思、だと?」


 存在理由と矛盾した存在。それは一つの答えを示している。


「貴方は星の総意ではない。一つの星なんです。僕たちとは別の位相、別の座標系に位置する新たな命。そして、心を育ませるために天より与えられたものこそルナの規律であり、貴方の使命……星の総意として振る舞うこと、なんだと思います」


 星の総意は感情を抱かない。混沌と化した感情が監視者というシステムに異常をきたすことは目に見えているからだ。

 けれど、キウンは感情を抱いた。僕の発言を受け、恨みを抱いた。キウンではなくルナとして、一つの生命体として確立されるのろいに――魔法にかかったのだ。

 キウンは言葉を失った。人間風情ふぜいの妄言だと一蹴されるかと思っていたけれど、彼は自身の頭で物事の真否しんぴを確かめているようだった。思案顔を見せる彼に星の総意は似合わない。

 やがてキウンは僕の顔を見上げ、いかめしい面持ちとは対照的に粛然とたずねた。


何故なにゆえ天は斯様かような真似をする? 我を試すような、我をだますような真似を……」


 僕は微笑をたたえて言う。常に自信のない僕だけれど、これだけは間違っていないと言える。


「それは――思考の旅路をさせるためですよ」


 可愛い子には旅をさせよ。地球にあることわざは星の外に出ても通用するのだろう。天が新たな命を産み落とし、存在確立のため旅をさせる。それは苦行を強いるためでも、してや突き放すためでもない。


「貴方は、愛されているんですよ」


 僕にはわかる。辛辣だった兄の言葉が、その真意が。きっと家に帰ったら、びしょ濡れの僕を見て兄は激怒するだろう。けれど、内心では心配するに違いない。悪口のような文句も、親のようなしつけも、耳障りな注意も、全て僕を幸福な道――光へと導くための行為だったのだろう。昔から、僕は兄に愛されていたのだ。

 キウンが僕の顔を凝視する。唖然あぜんとしている様子だった。りが深く、厳然げんぜんとした彼も今だけは赤子のように見える。

 やがてキウンは口許くちもとほころばせた。


「それは――果報者かほうものであるな」


 それはまるで産声のように生命力に満ち溢れ、愛おしいものだった。

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