7-3 殺しの呪文

 3


「思い残すことはなくなったか」


 つないだ手を高く掲げる僕たちを見据え、キウンがおごそかに言う。


「どのみち、これより無にかえるキサマらには何も残らぬがな」


 足元では今もルナの星々が慌てふためいている。彼ら彼女らは滅びの運命に戦々恐々としているのだろうか。アルテミスが僕をルナへ導いたことで、彼女の寿命と引き換えに失われた未来を憂いているのだろうか。


「優しいんだね。待っていてくれたのかい?」


 アルテミスが平生と変わらぬ飄々ひょうひょうとした口調で問う。幾分余裕が戻ってきたように見受けられる。

 キウンは鼻を鳴らし、冷ややかな視線を僕たちへと向ける。


「せめてもの情けである」


 キウンは刀を足元へと突き立てた。今、僕たちは宇宙空間の見えない足場に立っている。よって、彼が足元に突き立てた刀身は全て見えており、一見すると刃先を足元に向けているだけのように見える。けれど、それが攻撃の合図であることは僕にもアルテミスにも把握できた。彼から放たれる殺気がぴりぴりと肌を刺激する。

 次の瞬間、僕たちの周囲に無数の光がまたたいた。三百六十度全ての角度から眩い光球に取り囲まれ、まるで球体に閉じ込められたかのように身動きが封じられる。


「針 のむしろ


 キウンの台詞に呼応し、周囲の光が鋭利な針と化して僕たちへ襲い掛かってきた。針のむしろというよりも、これでは串刺しだ。

 アルテミスを横目に見る。彼女は僕とつないだ手、その指の隙間から光を放射した。とても暖かな光は波紋となって周囲へと伝わり、光の針を目に見えないレベルにまで分解し、まるで煙のように闇の中へと溶かしてゆく。

 そのままアルテミスは僕とつないだ手を正面へ向けた。


「罵詈雑言じゃ死なない」


 僕たちの手からレーザービームの如き光がキウンへと一直線に延びる。ブラックホールが光を通さぬ黒だとすれば、その光線は闇を通さぬ純白だった。目にも留まらぬ、それこそ光速をまとったレーザービームは、しかしキウンの真横を通過した。まるでレーザービームがれたように見受けられたけれど、実際にはその逆だ。まばたきする間に彼の身体が真横にずれていた。瞬間移動、あるいはワープとでも言おうか。まるで幻影げんえいを見ているようだった。

 キウンは足元に突き立てた刀を抜き取り、僕たちへ向けて投擲とうてきする。


「だが、心は死ぬ」


 アルテミスが空いた手で指を鳴らす。途端に耳をつんざく鋭い音が鳴り響き、眼前にまで迫った刀が刃先からひしゃげ、やがて拳大こぶしだい星屑ほしくずとなった。それは見えない足場を通り抜け、足元に広がるルナの大地へと落下してゆく。地上に降り注ぐ頃には光の粒となって消え失せていることだろう。


「終焉を約束されて穏やかでいられるものか」


 キウンがそう言うなり、足元から星々からの非難の声が聞こえてきた。ルナでパニックにおちいっている星々の声だ。


『誰のせいだッ!』

『自分さえ良けりゃそれでいいのかよッ!』

『自分が少し長生きしたいがために、他の星を皆殺しにするって言うのッ⁉』

『ふざけないでよッ! アタシまだ生まれたばっかりなのにッ!』

『何でオレたちが滅ばなきゃならんのだッ!』

『王は何をやっているんだッ!』

『そいつを殺せッ!』

『殺せッ!』

『断罪だッ!』

『制裁だッ!』


 耳が痛い。どれも正論だ。僕たちのせいで滅びの影響を受ける星々がいる。どれだけ言いつくろったところで僕たちは宇宙崩壊の現行犯でしかなく、自身を正当化する術をもたない。どれだけ互いに傷をめ合ったところで、これは僕たち自身がつくった傷だ。自業自得ならまだいいけれど、他の星々の命をもおびやかせば、それは傷害だ。同情の余地はない。


「それでも、と食い下がるか?」


 考えを読まれていたようだ。僕たちは反論できず、地上より湧き起こる罵詈雑言の嵐に打ちひしがれる。


「無知は罪だと言うが、既知こそが罪なのだ。悪意の有無こそが罪を形成する。悪意には知識が――心が内在している。キサマの愚行は正しく悪そのものなのだ」

「……そうだよ。ボクは大馬鹿者さ」


 繋いだ手を下ろし、アルテミスは言う。


「言い訳する気はない。ゆるされることだとも思っていない。ボクはただ、生き永らえたくて規律を犯した。受け入れるよ、この声を」


 手に込められる力が強くなる。一見するとアルテミスは毅然きぜんとした態度をとっているようだけれど、実際には不安で仕方ないのだろう。声に影響は出ていないものの、くちびるが小刻みに震えている。

 だから、僕は彼女の手を強く握り返した。何があっても僕はアルテミスの味方だ。一蓮托生いちれんたくしょうちるところまでちて、一緒にい上がる。僕は彼女のおかげで生き永らえたようなものだ。彼女が同じものを望んでいたとして、どうして責められるだろう。手をつなぎ続けたいと願うことが当然の感情だろう。

 アルテミスの震えが止まる。深く息を吐き出し、彼女は眼前のキウンを真っ直ぐ見据えて断言した。


「だから、滅びをまぬがれたいのならかかってくるといいさ。ボクは――ボクたちは受けて立つ。多くの星々を傷付ける結果になろうとも、ボクたちは生き延びる。人間は傲慢ごうまんなんだよ。それはきっと親譲りの性格なのさ」

「滅される覚悟ができたか」


 キウンが右手に新たな光を宿す。それはすぐに薙刀なぎなたの形状となり、小宇宙を思わせる水晶へと具現化した。どこまでも暗く、冷たく、寂寥感せきりょうかんさえ覚える得物。それはキウンそのものであるように感じられた。

 物騒な得物を目の前にしてもアルテミスがたじろぐことはなかった。彼女は挑発的な表情さえ浮かべて、堂々と言い放つ。


「いいや、壊す覚悟ができたところさ」

笑止しょうし


 キウンが薙刀なぎなたを大きく振り回すと、眼前の空間が裂け、一面に闇が広がった。それはまたたく間に僕たちを包み込む。


「一寸先は闇」


 キウンの言葉を合図にして、音が途絶えた。視覚も機能していない。隣に立つ星の姿すらも視認できない。けれど、右手に握り締めた手の感触だけは残っている。これが彼女との縁。未知の向こう側にも行ける命の輝き。

 彼女が求めた――真理。


「……アルテミス」


 その名を呟くと、世界にヒビが入った。頭上より闇が砕け、天上より光が差し込んでくる。天使の羽すら見える。安らぎのイメージか。悪くない。僕にとってアルテミスは死のふちよりすくい上げてくれた天使に等しい。あるいは聖母だろうか。どちらでもいい。


「――――」


 名を呼ばれた気がした。親から借り受けたものではない。親から授けられた、僕だけの名前もの。僕は右手を高く掲げ、彼女と共に天使の羽へと触れる。

 刹那、世界が光に包まれた。天国を彷彿ほうふつとさせる乳白色の世界に、煌々こうこうと輝く光が至るところに漂っている。

 右隣にはアルテミスがいる。正面にはキウンがいる。得物である薙刀なぎなたは光の世界に溶け、身一つになっている。困惑した様子はないけれど、状況に納得できていないのか眉根を寄せている。

 僕たちは眼前の王へとつないだ手を向ける。照準を定め、言葉に出す。


「これはのろいです。命をもたない、貴方に恨みを植え付ける――魔法」


 手から光が放たれ、それは、しかしキウンではなく、僕たちの足元へと垂直に落ちた。足元から同心円状に波紋が広がり、世界が色づいてゆく。あおく、青く、蒼い。無機質な水晶と、生命力豊かな自然。相反する二つが混在している世界。


「僕と手を繋ぎませんか――ルナ」


 煌々こうこうと輝いていた光が弾け飛んだ。まるでシャボン玉が割れた時のようにはかなくも美しく、余韻よいんを残すように。

 バルドが教えてくれた。僕たち人間には思考する権利が与えられている、と。星たちが自らのお腹を痛めて命を生み出すように、僕たちも思考することで『無』から『有』を生み出すことができる。命を形作ることができる。

 彼に与えよう。生命誕生の祝福を。彼にはその権利があるのだから。

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